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アスペルガー症候群の由来になった医師の物語「ナチスとアスペルガーの子どもたち」フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿(2)

今や世界中で知らぬ人はいない名前、ハンス・アスペルガー。彼の名からとられたアスペルガー症候群は日本でも非常に有名だ。もっとも、近年、精神科臨床の現場ではアスペルガーという言葉は消えて、ASD(自閉症スペクトラム)と呼ばれるようになっているようだけど。

さて、このアスペルガーという医師、今から10年ほど前まではナチスと戦い、発達障害を持つ児童を命がけで守った人として知られていた。しかし、歴史研究が進むにつれて、アスペルガー医師の闇の一面が見えてくるようになった。ナチスと戦ったのではなく、ナチスと協力した医師だったというのがホントのところのようで、いわゆる「ナチズム犯罪加害者」になってしまった一人の医師の苦悩がそこにあった。

この番組の掘り下げ方、死者を鞭打つようで、ちょこっとかわいそうな気もするけど、ナチスの優性思想などに関する考察は、今の時代の私たちが知っておかなければならないことだと感じた。アスペルガー医師個人の責任を問うというより、こういう闇の時代・歴史に向かい合うのも大切なことだろう。そこから教訓を学ぶために。

発達障害児の可能性を拓く

ハンス・アスペルガーは1906年にウィーンで生まれた。やがて、彼はウィーン大学小児病院で、今でいう発達障害児を専門的に見る医師になった。当時の発達障害児は「教育不可能」として、病院送りになった子供たちだった。

しかし、アスペルガーはそのような児童の中に、きらめく個性を見つけたのだ。彼は日々、子供たちと触れ合ううちに自閉症の特徴(ある分野にのめりこむ・対人関係が苦手)を有しながらも知能は低くない一群の子供たちがいることに気づいた。例えば、驚くほどの「計算能力」を持つ少年や、「毒薬」の調合に没頭する少年など、ある分野で異常なほどの知能が見いだされたのだ。

アスペルガーはこの発見を1944年の論文「自閉性精神病質」に書き記した。そして、彼はこの論文のなかで「医師は全身全霊でこの子にかわって声をあげる義務がある」と論じた。当時としては珍しく、アスペルガーは小児科医(精神科医)であり、同時に「教育者」としての視点を持つ人であった。やがてアスペルガーの教え子の中から、才能を発揮して学術の世界で活躍する人も出始めた。発達障害という概念すらない時代に、アスペルガーの視点は鋭いものだった。

幼少期に彼に教えられた女性によると、アスペルガーは空いた時間があると子供たちに本を読んであげる優しい医師だったとのこと。障害を持つ子供たちを矯正不能と見なさず、一人の人として見たからこそ、その「個性」に注目できたのだ。彼の慧眼は今の時代でも有用である。

しかし、近年の研究と発見により、アスペルガーの闇の面が浮かび上がってきたという。

障害児の「安楽死」作戦

「優性思想」に基づくナチスドイツは障害を持つ人に冷酷な処置を行っていた。今でいう発達障害を持つ人のDNAが優秀なドイツ民族に混ざらないように、児童を「安楽死」させていたのだ。実に789人もの子供たちが命を絶たれたことが分かっている。

矯正不能と見なされて、わずか3~4歳で亡くなっている子たちもいるのだ。特にシュピーゲルグルント児童養護施設に送られた子供たちは、わずか数か月のうちに「肺炎」という診断で死亡している。(後にこの施設で子供たちが「安楽死」させられたことが分かっている)

生前のアスペルガーは、自身は子供たちの「安楽死」に関わっていないと明言した。しかし、最近発見された資料によると、アスペルガーが44人の子供を診断しシュピーゲルグルント児童養護施設に送ったことが分かっている。そのうちの37人は「肺炎」で死亡している。研究者たちによると、アスペルガーがシュピーゲルグルント児童養護施設で行われていたことを知らなかったという論議には無理があるという。

アスペルガーはナチスの体制の中では、ナチスに忠誠を誓う様々な団体に積極的に加入していたことが分かっている。また、講演の中でナチスの優性思想を礼賛している記録が残っている。彼もまた「ナチズム犯罪加害者」の一人であったのは間違いなさそうだ。

戦後にも、彼は順調にキャリアを積み、数百本の論文を書いたが、1944年の画期的な論文の後はほとんど発達障害(自閉症)に関する研究はやめてしまったのだ。彼自身が自閉症児の研究をアピールすることはいっさいなかったのだ。もし、研究を続けていたら、もっと早くに(彼の生前に)世界的に注目を浴びていたのは間違いない。

彼の死から1年後に、ローナ・ウィングというイギリスの精神科医が1944年のアスペルガーの論文を見つけるまで、彼の業績は明らかにならなかった。彼女は彼の発見に敬意を表して「アスペルガー症候群」という名を世に広めた。アスペルガーは自分がこれほど有名になったことは知らずに死んだ。でも、死の間際まで葛藤に苦しみ続けたのではないか。注目されることを恐れていたのかもしれない。

彼の発見に注意が向けられることで、おぞましい過去が明らかになることが怖かったのかもしれない。今、ある意味で彼が恐れていた通りになった。アスペルガーという名前は「ナチスの共犯者」として語られることが多い。もし、彼が生きていたら「だから目立ちたくなかったんだよ・・・」と言いたい気分かもしれないね。

感想まとめ

アスペルガーがナチスと関係していたというのは、もう有名な話なので、それほど驚きではなかったが、時代の闇を感じたよね。ナチスの思想は、現代から見るとあり得ないほど過激で、狂っていて、なぜこのような思想が支持されたか分からない。しかし、その時代の潮流に流されている人たちにとっては、それに逆らうことも難しいことだったのだろう。

立派に戦った人たちもいるので、簡単に擁護できないかもしれないけど、時代ゆえの悲劇だったともいえる。文化人・宗教人・科学者・一般人も、こぞってナチスと歩調を合わせたのだ。そうしないと生きていけなかった現実があった。実際の命も、社会的生命も危うくなったのだ。綱渡りのようにして、何とか命を長らえたアスペルガーが、戦後に保身に走った気持ちも分からないではない。

残念だけど、大方において人は流されるものなのだ。

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大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq