笑ってはいけないモキュメンタリー「帰ってきたヒトラー」

2020年12月10日 21:00

すごい映画を見てしまった。ホラーでもサスペンスでもないけれど、ジワジワ怖くなる。ジャンルは「コメディ」だが、とてもコメディとは思えない。モキュメンタリー（フィクションをドキュメンタリーと混ぜ込む）という手法を使った強烈な風刺映画だった。おかげで、昨晩の夢にはヒトラーが出演してきたくらいだ。

最初はコメディだと思って「ヒトラーに似ているかな？バカらしいね～」と笑っていたのだが、映画が進むにつれて、この俳優、だんだん本人にしか思えなくなってくる。目がマジだ。最後のヒトラーのセリフは現代の民衆の脆弱さをお見事にえぐるナイフだ。

帰ってきたヒトラー（あらすじ）

あのヒトラーが2014年にタイムスリップして戻ってきた。本物のヒトラーを「芸人」と勘違いしたTV局が、彼を持ち上げると人々は熱狂する。やがて、彼のまっすぐで熱意のある主張は人々の心をとらえはじめる。ヒトラーを利用していたマスメディアが、実はヒトラーに操られ始める時、もはや誰も彼を止められない。やがて、彼の本性に気づいたディレクターが必死で彼を止めようとするが・・・

笑ってはいけない

この映画のポスターに表示されている文句だ。「笑ってはいけない」。コメディだけど、これは笑いごとではないのだ。

街中でヒトラーが通行人から、今の政治への不満を聞き出すシーンは本物だという。人々はヒトラー役の俳優だと分かった上で、彼のインタビューに答えるのだが、意外なくらいに彼に好意的・そして本気でナチズムの主張に合うような意見を述べる。また、これに対するヒトラーの返答が見事で、カリスマ性を感じさせる。

通行人は笑って彼の写真を撮ろうとする。ナチス式敬礼をしてふざけ合う人までいる。中指を立てて嫌悪感をあらわにする人もいるが、どちらかというと驚くほど好意的に迎えられているのだ。まさか本物だとは思わないので「よく真似ている。そっくり！（笑）」と笑い転げる。

多くのレビューに書かれている通り、ユダヤ人の老女（認知症）がヒトラーを見て引きつった顔をして「私はあんたの本性が分かっている！出ていけ！」と叫ぶシーンが印象的だ。「あの時も、最初はみんな笑っていたのよ」とつぶやく老女。だんだんヒトラーが人心掌握していく様が見事に描かれている。

操り操られる

タイムスリップしたヒトラーを一躍有名にしたのはテレビ局だった。新手の芸人だと勘違いしたからだ。やがて、彼はSNSに取り上げられ、ハッシュタグと共に拡散され大人気になっていく。低迷していたテレビ業界にとっては、彼の存在はありがたいわけだ。実際に彼と話すと、彼は本物のヒトラー節なので、おそらく「狂人」だろうと思いつつテレビ業界は彼を持ち上げることをやめない。

やがて彼を題材にした手記や映画化の流れが始まる時には、もはや操られているのは完全にメディアのほうだ。ヒトラーは徹底的に1945年～2014年までの歴史を勉強し、人々の心をつかむスキルを磨き上げている。民衆の不満を丁寧に聞きながら、成功を約束するヒトラーとその約束を垂れ流すメディア。昔も今もメディアはプロパガンダの道具だ。

時代が「彼」を選んだ

ヒトラーを芸人だと勘違いする人たちは、笑い転げながら彼と話すが、強い彼の主張に触れるうちに、その笑顔はだんだん固まり、最後には真顔になる。極右政党の党首とヒトラーの会談シーンが印象的だ。ヘラヘラと笑いながらヒトラーの目線を交わそうとする党首に対して、ヒトラーは強烈な質問を浴びせ続ける。やがて、党首は黙ってしまい何も言えなくなり、動揺して涙ぐんでしまう。本物だけが持つ圧倒的なカリスマ性を見せつけられる。

私自身も「ヒトラーのそっくりさん」という気持ちで見ていた前半と、後半の彼の本物具合いに言葉を失った。鋭い眼光。穏やかな物言い。自信に満ちて堂々した振る舞い。論舌で彼に勝てる人はいないのだ。実際のヒトラーは、口角泡を飛ばして、絶叫するような演説シーンばかりが印象的だが、おそらく1人の人間としてのヒトラーは非常に有能で魅力的？だったのだろう。中途半端な信念では彼にかなわない。

ナチス時代を嫌悪する人に「すべてが悪いことではなかっただろう。良いこともあったのではないか」と語り掛ける穏やかなヒトラーは、なかなか凄みがある。実際、第二次世界大戦直前に、ヒトラーは低迷したドイツ経済をV字回復した救世主だったのだ。時代は熱狂的に彼に望みを託し、彼を選んだのだ。映像の世紀を見ると、この辺の歴史がよく分かる。