見出し画像

誰にもラベルをつけない心理学「行動分析学入門 ヒトの行動の思いがけない理由 」杉山尚子

学生時代から、心理学に近寄ったり、遠ざかったり、何度も繰り返してきた道のりなんだけれど、何となく生理的に受け付けず(と、思っていた)触れてこなかった心理学の分野がある。それが「行動心理学」だ。動物実験から人間の行動を変える方法を研究する学問は、あまりにも、人間性に対する「冒涜」だと感じていたのだ。

とはいえ、それも誤解に過ぎなかった。何でも知りもしないで批判的に考えるのはよくないと実感した。生活習慣を改善したり、一歩ずつ進歩向上する生活を送ろうと努力している私にとって、行動心理学(行動分析学)は、大いに知的好奇心を刺激し、同時に役立つ学問だということが分かったのだ。率直に言えば、20年前に、この面白さに気づいているべきだった。

え~と、表紙が違うけど、この本だよねぇ。

行動分析学のシンプルさ

行動分析学の祖はスキナー博士で、ハトをもとに実験したことで有名だ。ハトの行動を変化させる方法は、そのまま人間にも有効なのだ。行動分析は、目に見える「行動」だけを分析する。行動分析学では、以下の3つの説明は決して行わない。

1:神経生理的説明(脳機能で行動は説明できるとすること)
2:心的説明(行動の原因は心にあると説明すること)
3:概念的説明(能力や本能や性格などを説明の根拠にすること)

見えるもの(行動)だけを対象にするというのは潔い。そして、ひたすら行動に注目することで、人をラベルで見ることを避けられる。杉山さんは「医学モデル」に注意するように促している。

医学モデルの限界と行動分析学の可能性

医学モデルとは、病気の背後には原因があるという見方のこと。もちろん、医学の場合はそれが正しい。感染症の原因は、ウイルスや細菌だ。発熱の原因は炎症だ。しかし、これを行動に当てはめていくと「多動の原因はADHDだ」という意味不明の説明になる。ADHDという言葉は「注意欠陥多動性障害」の訳なので、つまり「多動の原因は多動性にある」と言っているようなもので、分かったようで、何も分かっていないのだ。

興味深い例として、著者の杉山さんの弟が食事中に片手をこたつに突っ込んでいるという行動が説明されている。弟は、何度注意されても、その癖を改めることができない。片手で食事を食べることは、一般的には「行儀が悪い」「だらしない」と言われるけれど、行動分析学では、いったい何がその行動を引き起こしているのかを、何度も条件を変えて確かめる。

この例の場合、実は左手の側から外気が入り込んで寒いので、無意識に手をこたつに引っ込めているということが発見されたのだった。仮説を作ってから、弟の左手の側にストーブを置いたり、引っ込めたり、条件を変えつつ、行動の変化を見ることで、そのことが判明する。何が行動に影響を及ぼしているかを理解すれば、環境を操作することで、行動を変化させることが可能になる。

だとすると「行儀が悪い」「だらしない」というレッテルは、行動の「原因」ではなかったことになる。これを行動の原因にするなら、その人への個人攻撃で話が終わってしまうことになる。まったく生産的ではない。

「人間というものは、何度言って聞かせても自分が望むような行動を相手がしてくれなかったり、逆に自分にとって迷惑な行動を相手がしてくれなかったり、逆に自分にとって迷惑な行動をやめてくれないと、最終的にはその人にラベルをはって非難する。注意しても言うことを聞かない子供は「問題児」であり、何度頼んでも協力しない人は「自己中心的」である。しかし、行動のもたらす効果に注目し、行動随伴性で行動をとらえなおすことにより、個人攻撃の罠に陥らない新しい人間観が生まれる。」

(行動分析学入門 ――ヒトの行動の思いがけない理由 (集英社新書) 杉山尚子P44)

ちなみに「行動随伴性」とは、行動と同時に起こる状況の変化と行動の関係のことだ。先の例で言えば、「左手側にストーブを置く」→「手をこたつに入れなくなる」ということだ。これを読んで「発達障害」や「ADHD」、「HSP」などのラベル・レッテルにも、このことが言えるかも、と思った。

レッテルを貼ると、原因が分かったような気分になり、モヤモヤが晴れたような気になる。その時は。しかし、実際の問題行動は解決しない。大事なのは行動に変化を起こすことだ。

行動の原理はシンプル

私も、かじったばかりの行動分析学なので、うまく説明できないことは前提で説明を試みてみる。行動の原理はシンプルで、人の行動が起こったり、怒らなかったりするのは「強化の原理」で説明できる。そして、これは実験室でハトにも同じように生じることなのだ。

「強化」とは、行動が繰り返し起こることを言う。例えば、人は、なぜ同じ行動を繰り返し取るのかを考えてみよう。

好子出現の強化
「好子」というのは、杉山さん、および研究者の造語らしい。厳密には違うのだそうだけど、基本的には好ましい変化をもたらす刺激や出来事のことらしい。例えば、好子の例はいくらでもある。

「眼鏡をかける」→「よく見えるようになる」
「スイッチを押す」→「電気がつく」
「蛇口をひねる」→「水が出る」

当たり前のことばかりと思うかもしれないが、もし、眼鏡の度が合っていなかったら、かえって物が見えづらくなるので、眼鏡をかけるという行動はとらないだろう。スイッチが壊れていて、何度押しても点かないと、もう押さなくなるだろう。蛇口も同じ。

ある行動をとれば、何らかの好ましい行動が生まれると「強化」されるので、人は、その行動を何度も取るようになるのだ。

嫌子消失の強化
「嫌子」も造語だ。これも、厳密に言えば、好ましくないこと・・という意味ではないようだが、その説明が分かりやすいと思う。嫌なことがなくなると分かれば、そのことを何度も繰り返してするようになる例、これもいくらでもあげられる。

「傘をさす」→「雨に濡れない」
「謝る」→「もう怒られない」
「タバコを吸う」→「イライラしなくなる」

嫌なことや、恐ろしいことを避けるためなら、人は何でもする。実は多くの行動は、自分にとってマイナスを避けるために、無意識に選択している行動なのだ。

行動は変えられる

こんな単純な原理で、人がある行動を繰り返し取るのかが説明できるわけだ。もちろん、ある行動をなぜやめるのかも説明が可能だ。そして、行動分析学の素晴らしいところは、それに基づいて行動を変容させることができることにある。つまり、この理論を応用すれば、ある行動をとらせる(自分にも、他人にも)ことが可能になり、ある行動をやめさせることが可能になるということだ。

強化の原理は動物に使えるので、言葉が通じても使えなくても使えるものだ。それで、自閉症児の教育に、行動分析学は大いに用いられている。どんな理論も、実践で使えないとすれば、机上の空論に過ぎない。行動分析学の理論をマスターすれば、人生は壮大な実験場となる。自分自身の生活も自在に形作ることができ、他人の行動すら・・・(悪用厳禁)。

今、読んでいる本は、これだ。ちょっと古いけど、面白くて鼻血が出そうになるくらいだ。これは20年前に出会っていたかった。ほんと。

#行動分析学入門 #集英社新書 #杉山尚子 #行動分析学 #書評 #読書感想文 #行動分析 #応用行動分析

この記事が参加している募集

読書感想文

大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq