見出し画像

必読!ニーチェの言葉を読むなら……【ニーチェ超解説】

ニーチェの言葉を読む人は
必ず今回のことを念頭に置いてください!


メンタリスト 彩 -sai-(@psychicsorcerer)です。

【ニーチェ超解説】は、
ニーチェの言葉を私なりの解釈で
「超」解説するシリーズです。

さて今回の言葉ですが、
今回はニーチェによる詩です。

詩人の虚栄心

膠だけあればいい。膠でつなぐ木材ならば、
すでにいくらも手元にある。
無意味な韻を四つ並べて、そこに風情を
作り出す。――これはちょっとした自慢にはなる芸当だ!
(『喜ばしき知恵』「戯れ、企み、意趣返し」56)


超解説

今回の言葉は、
詩についての言及を
詩で表現してしまうという
遊び心に溢れたものです。


ニーチェはこの四行の詩で、

自分は、
無意味な4つの韻を並べて
「膠(にかわ)」でつなぐようにして
風情を持った詩が作れるんだ

と自慢する詩人の様を
描いているわけです。


引用後に原文(後述)も
見てみたのですが、
「風情を作る」というよりも、

意味としては関連のない
韻が並んでいても、
自分はそのつなぎ方によって
意味の通った文が作れて、
それで詩ができるんだ

と述べている感がありますね。


ところで、韻とは何か。

ご存知の方も
いらっしゃると思いますが
解説しますね。

(韻については、特に最近では、
 韻を重視するヒップホップが
 日本でも広く知れ渡り、
 定着しつつある感がありますよね)

韻とはごく簡単に言うと、
言葉の響き、
具体的には言葉の母音

だと捉えてください。

つまり、
同じ韻を持つ言葉とは
同じ母音を持つ言葉
です。

例えば……

詩人、美人、みりん、委任、
資金、遺品、にしん、自信

これらの言葉は
「i i n(い い ん)」
で全く同じ母音ですよね。

これが同じ韻を持つ言葉
ということです。


さて、
今回のニーチェの言葉は、
4つの韻を並べることについて
言及していましたが、
この詩自体、
4つの韻から成っています。

ここでドイツ語の原文を
載せておきましょう。
(読めなくて大丈夫です。)

Dichter-Eitelkeit

Gebt mir Leim nur: denn zum Leime
Find ich selber mir schon Holz!
Sinn in vier unsinnge Reime
Legen - ist kein kleiner Stolz!

この詩の本文、
その各行の最後が韻になっています。
(脚韻といわれるものです。)

1行目末はLeime(膠)
3行目末はReime(韻)
「ライメ」と「ライメ」で、

2行目末はHolz(木材)
4行目末はStolz(誇り)
「ホルツ」と「シュトルツ」で、

それぞれが
同じ母音の言葉になっています。

つまり、

 ………… Leime
 ………… Holz!
 ………… Reime
 ………… Stolz!

と交互に同じ韻に
なっているわけですね。
(「!」も合わせていますね。)


さて、
韻の解説が長くなりましたが……

結局、今回の言葉は、

4つの韻で構成される四行の詩
について何かを述べるのに、
4つの韻で構成される四行の詩
を使うというもの

つまり、

真面目な形式を持ったものを
わざと模倣して茶化すことで、

詩のパロディ

を行っているのです。


このことに皆様は
何を読み取るでしょうか?

批判?
小馬鹿にする態度?
単なるいたずら心?

何を読む取るかは、
皆様への
(そして私への)
宿題にするとして……。

それでも、

こういったパロディを
行うような態度が
ニーチェにはあるということを、
ニーチェを読む際には
念頭に置いてほしいんです。


パロディで詩を書くのは、
今回の言葉にとどまりません。

今回の言葉が収められている
『喜ばしき知恵』という著作には、

「プリンツ・フォーゲルフライの歌」

という詩集が(第二版から)
付け加えられています。

この詩集では、

ゲーテの『ファウスト』のパロディ詩

ポーの「大鴉」のパロディで、
鴉の代わりにキツツキ(!?)が
あらわれる詩

等々が収められています。

この詩集について
ニーチェ本人は
『喜ばしき知恵』の序文で、

一介の詩人たる私が、いかにも不作法にすべての詩人を茶化したそんな詩篇

なのだと述べてるのですが、

ニーチェは
こういう精神を持った人物
だということを、
是非ニーチェを読む人に
覚えておいてほしいんです。


今回のようなパロディ精神は
ニーチェにおいて
特殊なものではありません。

パロディ詩にとどまらず、
ニーチェの言葉には
パロディや滑稽さの要素が
多く含まれています。

ニーチェに大きな影響を受けた
哲学者ドゥルーズは、
ニーチェを読むことについて
次のように述べています。

ニーチェ笑わずに読む者、それも大いに笑い、ひんぱんに笑い、ときには狂い笑いをすることなしに読む者は、言ってみれば、ニーチェを読んでいないようなものです。
(ジル・ドゥルーズ「ノマドの思考」、『ニーチェは、今日?』所収)

ニーチェの言葉を
真面目にのみ受け取ることは、
ニーチェの精神に
反してしまうことになります。


もちろん
パロディのようなものの場合、
その元となるネタが
時代や文化の違いによって
読み解きづらいというのは
多々あります。

しかし、
この精神をおさえた上で
ニーチェを読めば、
真面目に読む時以上に
ニーチェを体感し、
より深く理解することが
できるはずです。

今までの、
そして今後の
【ニーチェ超解説】も
この精神を念頭に読むと
味わいが変わってくると思います。


今回の超解説は以上です!

ご参考になればと思います!



今回はニーチェの詩を
取り上げましたが、
ニーチェの詩人的な側面を
知るためには
韻律、つまりリズムについて
知ることもかかせません。
それはまた別の機会に。


参考文献

フリードリヒ・ニーチェ『喜ばしき知恵』村井則夫(訳)、河出書房、2012年。
Friedlich Nietzsche"Die froeliche Wissenschaft", Anaconda Verlag GmbH, 2009.
ジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズ、ジャン=フランソワ・リオタール、ピエール・クロソウスキー『ニーチェは、今日?』林好雄、本間邦雄、森本和夫(訳)、筑摩書房、2002年。


こちらの記事に何か価値を感じたら、サポートをお願いします。 これからのメンタリストとしての活動に活かしていきます!