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バーンアウト(燃え尽き症候群):体験談 休職スタート~初期編

こんにちは。メンタルウェルネスあおぞらです。

今回は精神科病院受診後から休職初期の期間についてお話します。

前回の記事はこちらから。




受診した夜の出来事

初めて精神科病院を受診した夜、私は医師から処方された薬を飲みました。精神科病院の医師は、私の必死な状況説明を考慮してか、5種類の処方を出していました。当時の記憶でどの薬が処方されたのかは覚えていませんが、おそらく抗うつ薬、抗不安薬、睡眠導入剤などが出ていたのかと思います。その日はその薬を飲んで眠りました。

次の日から食事を食べる以外はひたすら眠り続けていました。とにかく眠気がつよいのです。しかも夜中に「眠れない!!!」と叫びながら歩き回り、身体をたたき続けていた行動をとっていたそうです(自分は全く覚えておらず、妻から聞きました)。

当時子どもは幼稚園と生後半年程度で、妻は私が歩き回って、子どもが踏まれるのではないかと必死に守っていたそうです。深夜に24時間相談ダイヤルに電話して相談したと言っていました。

翌日妻からもう一度別の心療内科に受診しないかと言われました。必死に話をして処方された薬だったため、薬が合っていないのではないかと心配してくれたからだと思います。対応してくれた医師の印象もあまり良くなかったというのもあったみたいです。

私は最初の医師が処方した薬を飲むべきだと考えていたので断りました。しかし、その日の夜に仲良くしていた友人家族が来てくれて、同じように説得されました。そこまで言うなら・・・と私はしぶしぶ別の心療内科に受診することにしました。


信頼できる主治医との出会い

改めて受診した心療内科の医師との出会いは、私にとって大きな転機となりました。今度は、必死に訴えることはせず、自分の状況を率直に説明しました。医師はじっくりと話を聞いてくれ、「大変でしたね」と優しい言葉をかけていただきました。

診断の結果『うつ病』ではなく『ストレスによる抑うつ状態(適応障害)』であると診断され、薬を1錠だけ処方されました。

「うつ病はストレスがない状態でも抑うつ状態が続きますが、ストレスによる抑うつ状態はストレスが取り除かれれば元に戻ります。必ず治りますよ」

と言っていただいた言葉に本当に救われた気持ちがしました。
どん底からほんの少しだけ光が見えた瞬間でした。

妻は、医師に対して薬を飲むことに抵抗があると伝えると

「ストレスから離れることができるのであれば、絶対飲まないといけないことはありません。でも飲んだ方が回復は早いので飲むことをお勧めします」

と言っていただきました。その言葉に私も妻も再度薬を飲むことに決めました。

改めて、症状はきちんと正確に伝えること、信頼できる医師に診てもらうことの大切さを感じた瞬間でした。


休職初期に感じていたこと

 その日から休職が本格的にスタートしました。新しい薬のおかげで、以前のように眠り続けることはなくなりました。ただ、薬が効いてくるには1,2週間はかかると言われていたため、抑うつ症状や不安感がなくなったわけではありません。

最初に感じたことは、「どうやって休むんだっけ?」ということでした。

これまで仕事をとにかく頑張ることに注力していたため、いざ仕事をしなくていい、休みなさいと言われてもどうやって休むのかわかりません。
何かをする気が起きないため、ベッドでゴロゴロしていますが、頭は常に仕事のことがグルグルと回っています。

「あの仕事どうなったかな?」」「みんなどう思っているんだろう」

とそんなことをずっと考えているため、体は休めていても、頭は全く休めていない状態が続きます。考えないようにしようと思えば思うほど、気づいたら考えている自分がいます。とにかく本当の意味で休んだと思えるまで2週間~1か月はかかりました。

劣等感に苛まれた時期

「自分は一日ほとんど横になっている」
「仕事ができなくなった自分はダメな人間だ」
「このままずっとこの状態が続いたらどうしよう」

そんな劣等感に苛まれました。

一番つらかったのは、子どもを朝見送ること。毎朝、幼稚園の子が登園するのを見送ります。子どもは私の状況が分かっていないのか、私が見送ることに何の疑いももっていないのが救いでした。
ただ、子どもは幼稚園に行って頑張っているのに、自分は家でゴロゴロしている。「父親として自分はダメだ」とそんな気持ちを感じていました。

バーンアウトは、脳がオーバーヒートしており、危険や不安を察知する偏桃体の活動が過活動を起こしている状態です。言ってみれば、常にサイレンが鳴り続け、緊急事態を感じ続けている状況です。
ネガティブな思考が優位になり、ずっとその思考に苛まれてしまう状況が続いていました。今となっては、バーンアウトし抑うつ状態の脳がそのように感じさせていたことは分かりますが、当時は本当に自分がダメになったと思い込んでいました。


ほんの一歩ずつ前進

休職して2週間程度経ったのち、少しずつ休めるようになり、気分は前向きになりだしたので、何かをしようと思い始めました。
とにかく復職するためには生活リズムと体力をつけたいと思い、ジョギングから始めました。もともと運動は好きでしたが、運動習慣はめっきりなく、初日はジョギングといっても数m走っては歩くを繰り返すだけ。だいたい30分程度しか続けられませんでした。しかし、毎日繰り返すことにより、ジョギングできる距離が数mから数十m、数百mと伸びていきました。

常に後退し続け劣等感に苛まれていた私にとって、ほんの少しでも昨日より進歩していることがあるだけでとてもうれしい気持ちがありました。

気分は三寒四温の状態

少し気分が良くなったと思った次の日には、気分がどっと落ちました。良くなってきたと喜んでいた矢先、気分が落ちることで、がっかりしていました。うつ状態からの回復はこのように波がありながら回復していくのですが、とにかく早くよくなりたいと思っていた私にとってその現実はとてもつらい思いがありました。


今回はここまでです。

休職期間の初期は、休めない、劣等感に苛まれる、本当に小さい一歩を目指す、三寒四温に一喜一憂する、このような状況でした。

「休むことが今の自分の仕事なんだ」そう自分に言い聞かせながら過ごしていました。グルグル思考が徐々に落ち着き、頭のオーバーヒートが徐々に落ち着いてきてから、少しずつ回復していった実感がありました。それでも一歩進んで2歩下がることを繰り返しながら前を向いて歩んでいきました。

心療内科の受診は、自分の感情や状態を正直に伝え、信頼できる専門家の助けを借りることの重要性を改めて感じた出来事でした。初めて経験した私にとってこの状況がどういう状況なのか、どうしていったらいいのか全くわからなかったからです。

心療内科は薬を処方してくれます。薬は火事を消火するには非常に有効です。しかし、同時に防火の対策をしなければ、考え方のクセや症状で苦しみ続ける、または再発しやすくなります。今とはなってはグルグル考え続けること、自分を責め続けることがいかに症状を強くし、長引かせていたのかわかります。

あの時、医師とは別に、防火対策を一緒になって考え、サポートしてくれる専門家がいればどれだけ救われたかとも思っていました。
私の活動はこの時の思いが原点になっています。

次回は休職中:初期~中期 復職するか退職するか一番葛藤していた時期についてお話します。


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