バーンアウト(燃え尽き症候群)体験談:就職~適応障害~休職スタート編
私が20代後半の時にバーンアウトして休職した時の体験談です。
今苦しんでいる人の少しでも参考になれば幸いです。
はじめての就職
私は大学を卒業して、最初に勤めたのが福祉の世界でした。
大きな志と夢を抱き、自分の描く理想に近い事業を行っているところに就職したいと、地元に就職せずに縁もゆかりもない土地へ引っ越しました。
やる気に満ちた青年だったため、就職してからとにかくひたすらに働き続けました。
いろいろなプロジェクトがあれば率先して手を挙げ、研究事業を開始すると聞きつけては参加させてもらうよう上司と掛け合ったりもしました。
当時勤めたところが特殊な環境でもあったのですが、
毎日の残業は当たり前。グループホームの宿直でもゆっくり眠れるわけではなく、夜勤のような状態で朝まで働き、そのまま次の日は夜まで仕事をすることはざらでした。(今は労働環境は改善したと聞いています)
そんな中でもいろんな挑戦をし続けていたので、職場の評価はだんだんとあがり、毎年のように役職があがっていきました。
出世するごとに「認められた」と感じ喜んでいたのは間違いないですが、
それと並行して、「しんどい」、「つらい」、「苦しい」と思うことも多くなりました。
「若い頃は苦労は買ってでもしろ」「この苦しい状況は成長する糧だ」と何かの本で書いてあるものを信じ、自分の苦しさに目を背け、奮い立たせて仕事をがんばっていました。
若くして管理者に
20代後半になり、最終的には3つの事業の管理者となりました。
新規事業の立ち上げから始め、プログラム作りやスタッフの採用、営業活動、利用者の対応、苦情対応などありとあらゆることをやりました。
もちろんベテランの上司がいるので、相談はできるし、方向性は指示してくれるのですが、現場の責任はすべて私が担っています(そう思っていました)。
失敗すれば自分の全責任だ・・・と常にプレッシャーを感じていたのを覚えています。
事業は軌道に乗ってはいくものの、私の心は常にギリギリの状況でした。
休みは疲れ切っているので出かけたくない、出かけても仕事のことを考えて早めに家に帰りたい。結婚をしていたのですが、休みの日でも仕事を優先していました。その当時はストレスから皮膚も荒れまくり、皮膚科の薬が手放せませんでした(今は全くありません)。でもそれがストレスから来るものだとは全く思っていませんでした。
スタッフの退職の申し出
そんなギリギリの精神状態で働いていた時、当時同じチームで働いていたスタッフが次々に退職したいとの申し出がありました。理由はそれぞれですが、私が事業を優先してチームマネジメントがうまくできていなかったのだと思います。
「どうしよう」「やばい」そんな思いが駆け巡りました。
一番つらかったのは、「どうしたらいいのかわからない」「チームのみんな同じように思っているのではないか?」「また誰か辞めるのでないか?」という考えが頭をグルグルと駆け巡ったことでした。休みの日でも休んだ気がせず、常に仕事をしている感覚がつきまとっていました。
職場の先輩の死
そんな中、職場の上司からある一本の電話が鳴りました。
「Aさん(職場の先輩)が亡くなりました・・・」
一瞬どういう意味か分かりませんでした。
Aさんは私の先輩で、別の地域の統括(エリアマネージャーのようなもの)をしていた人でした。
すごく穏やかで仕事ができる、誰からも慕われている人で、私も尊敬していた先輩でした。数日前も仕事の関係で普通に電話をしたばかりでした。
あんなに普通に働いていた先輩が急に亡くなったと言われても信じられません。何かの間違いだと思いました。どういう意味か分からないままに告別式があると聞き、参加することにしました。
告別式で見た光景
告別式に参加した光景は今でも忘れられません。
Aさんの奥さんは感情がいっさい奪われてしまったかのような無表情でそこに立っていました。こんなに表情がなくなった顔を見たのは初めてでした。
小さい子ども2人(幼稚園くらい)は父親が亡くなったことがよくわからないのか、二人でちょっかい掛け合って遊んでいました。奥さんと子どもの表情の差がまた異様に感じられました。
告別式を終え出棺する際です。それまで無表情だった奥さんが、
突然「わ~~!!!」「なんで~~!!!」と大きな声で叫び、棺桶にしがみついていました。
静かな空間の中で奥さんの声だけが響いていました。
その時の子供の様子を私は見ることができませんでした。
Aさんは自ら命を絶っていました。
その当時、Aさんと一緒に働いていたスタッフがやめ、利用者と一緒にAさんが管轄している事業所に対して訴えを起こしていたと聞いていました。しかし、Aさん自身が何か悪いことをしていたわけではありません。会社として他の事業所でも当然のようにしていたことを、たまたまAさんの事業所に対して訴えを起こしていたのです。
そのことは会社全体でも大きな問題となっていたので、私も知ってはいましたが、その対応をAさんが中心に行っていたのです。
そんな状況を奥さんには一切言っておらず、悩んでいたことを全く知らなかったそうで、いつも通り生活をしていたとのことです。
亡くなった当日、Aさんが出勤しなかったので、同じ職場の人が心配に思って奥さんに連絡した際、普通に出勤しましたよ。と言っていたそうです。
最後Aさんが亡くなった手のそばには家族写真が落ちていたと聞きました。
完全にバーンアウトした
告別式に参加し、一気に私の張り詰めた糸が切れてしまいました。
もしかしたら私自身がAさんのような状況になっていたかもしれない、そう思うと心が保てなくなったのです。
「何のために自分は頑張っているのか」
「苦しみながら頑張った先に待っているのはこういう未来なのか」
これまで頑張ってきたことがすべて否定されてしまったようで、全く未来が見えなくなりました。
実際にAさんが仕事のことだけが原因で亡くなったかわかりません。私には知りえないさまざまな原因があったと思います。ただ、当時の私は自分とAさんを重ねてしまっていました。
そこからというもの、吐き気、動悸、めまい、食欲低下で5キロ減、不眠(眠りが浅く、夜中何度も目が覚める)、いつも休まる時がなく常に頭から仕事やその日の出来事が離れなくなりました。
それでも責任感が強い私は、身体のメッセージも心のメッセージも無視して
「お前はやればできる!!」という音声をネット上で見つけて、スマホにダウンロードし、毎日聞いては自分自身を奮い立させてなんとか出勤していたのです。
しかし、当然のごとくそんな状態が長く続くことはできません。
ある日、限界に来た私は仕事中にその場にいられなくなり、仕事を急遽早退し、自宅に帰って妻に涙を流しながら「つらい・・・」とうちあけました。
それでも「自分が行かないと職場に迷惑をかける」「仕事に行かなくては」という思いは常に頭につきまとっていました。
しかし、妻や友人の説得で仕事を休むことにしたのです。頭では仕事に行こうと思っても身体はもう仕事に行くことができなくなっていました。
心療内科への受診
仕事を休み、完全に頑張る気持ちがなくなってしまったので、心療内科に行くことにしました。
心療内科に行くことはずっと抵抗がありました。今思えばなんでそんなことを思っていたのだろう、もっと早めに行くべきだったと思いますが、当時の私は、心療内科に行くことは自分が正常ではなくなったと認めることになると感じていたのかもしれません。
自分の異常を感じつつも、ずっと「まだ大丈夫」「きっと戻る」といい聞かせ、自分の心や身体の反応を無視し続けていまいた。
しかし、その限界を大きく超えてしまった今、心療内科に行くことを決意したのでした。
その時の私は心療内科に通院することを知られたくないとの思いで、市内ではなくわざわざ市外の心療内科へ行きました。
やっとの決心で心療内科に受診したのですが、医師より薬を出すなら市内のクリニックに行くようにと言われました。
今考えれば当たり前だと思います。わざわざ市外のクリニックに受診し、今後も通院することを考えると市内のクリニックに行くよう言われるのは当然かと思います。
結局、処方もなく、休職の診断書も書いてもらえませんでした。
それは、また仕事に行けと言われているようでした。そう思った瞬間気が狂いそうなほど不安が襲ってきます。
「やばい、休職できないかもしれない。もうがんばれないのに休めないかのか・・・」そう思うといてもたってもいられませんでした。
別の方法を考えないと・・・と思った私は、帰り道に別の精神科病院へ連絡し、受付時間ギリギリではあったもののなんとか診察してくれるとのことで急遽受診しました。
今度は診断書をだしてもらわないといけない。
そう思った私は、医師に必死で今私の状況を訴えました。ここでドクターストップをもらえなければ自分がどうにかなってしまうのかという必死さが、伝わったのだと思います。医師からは重症だと診断され、休職の診断書と、抗うつ薬や睡眠薬を数錠だされました。
診断書が出たことにとにかく安堵したことを強烈に覚えています。
ああ、これで休める・・・もう精神的にも肉体的にも限界だった。もう一回頑張れと言われたらきっと爆発してしまってただろうと思います。
ブレーキが壊れてアクセルを踏みっぱなしにしていた車が、急にアクセルが壊れて、いくら踏んでもアクセルがきかない・・・そんな感じでした。
これからどうなるだろう・・・などと思う余裕もなく、その日は自宅に帰りました。
しかし、これからが本当につらい時間のスタートだったのです。
本日はここまでです。
今後休職~再出発し、どのように回復して言ったのかを書いていきます。
適応障害やうつ病は回復します。しかしまずは休むことが一番大切です。
今同じように苦しんでいる方がいたら迷わず休んでください。
もし迷っていたり、どうしたらよいか分からない方がいましたらメッセージください。カウンセリングも随時行っています。
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