見出し画像

お父さん。


皆様、今日も1日、お疲れ様です!

先日の初投稿に、たくさんの「スキ」をありがとうございます!
「スキ」をいただけるってこんなに嬉しいのですね。
noteを始めて、良かったぁ。

ずっと誰かに聞いてもらいたかった、
私の父の話です。
書くのが楽しくなって、
初投稿に続けて、またまた投稿してしまいました🤣

少々重めな内容になりましたが、ご了承下さい。

幼少期。

私が3歳の時、父が他界しました。
母方の祖父母の家に引越し、
母と祖父母の元で育ちました。

私には、父の記憶、
父と母と3人で過ごした記憶、
父が亡くなった時の記憶が、
全くと言っていいほどありません。
当時の私は幼かったから、
覚えていないのも当然なのかもしれません。

父が亡くなる前の私は、とても活発で、お喋りな、
ハキハキとした子だったそうです。
私は父が亡くなった後の自分しか、知りません。
みんながお友達と外で遊びまわっていても、
1人、教室でひたすら絵を描いている。
人前で発表したり、自分の意見を言うことが苦手。
そんな可愛げのない、幼少期でした。

父のこと。

昔から父のことについて、
母や祖父母に教えられていました。

父は男三人兄弟の長男。
理由は分かりませんが、両親からあまり愛情を受けずに育ったと聞いています。
父の好きだったものは、
・バイクと車(運転はド下手だったらしい)
・ファッション(特にデニム、アメカジファッション)
・音楽(特にブラックミュージック)
・絵画や似顔絵を描くこと(とても上手だったらしい)
父の好きだったものは私も大好きで、
私、しっかり遺伝子を受け継いでる!と嬉しかった。

バイクといえば、父は高校生の時からバイクを乗り回しており、いわゆる「不良少年」だったようです。
不良仲間と映る父の写真が今でも残っています。笑
そのためなのか、父のお葬式には葬儀場に入りきれない程の友人が押しかけたとのこと。

決して友人の数=ではありませんが、
父のことが少し誇らしく思えました。

父は、自殺だったのではないか。

祖母から聞いた、父が亡くなった日の話です。

父が亡くなった日、
私は母方の祖父母の家に預けられていました。
祖母は仕事に行く父を見送る時、父の発した言葉に異変を感じたといいます。
「どうか娘のことを頼みます。よろしくお願いします。」と、何度も繰り返す。
生前の最後の言葉でした。

「あれは変だったねぇ。まるで自分が今から死ぬことを分かっていたんじゃないかなと思ったよ。」

「辛いことがあっても、人に言わない、人に頼れない人だったから。もしかしたら、なにか大きな悩みを抱えていたんじゃないかって。だから自ら命を経ったのかもしれないと、今でも考えることがあるの。」

父は仕事に行く途中、事故を起こし、
そのまま帰らぬ人となりました。
バイクでの自損事故ということになっています。
道路脇の壁に激突し、
更に後方を走行していたトラックに跳ねられ、
即死だったそうです。

当時、祖母の話を聞いて本当にショックでした。
腹が立ちました。
私達をおいていくことより、
辛いことなんかあったのかと。
「娘を頼みます。」じゃないよって。

祖母にも腹が立ちました。
なぜ、わざわざそのことを伝えたのかと。
異変を感じた時に、父を止められなかったのかと。

祖母は昨年他界したため、理由は分からず仕舞いになってしまいました。
今思えば、ただの思い出話のつもりで、
口走ってしまっただけなのかもしれません。

父についても同様です。
本当の理由は、彼にしか分かりません。
ですが、仮に自殺だったとしても、
今はもう、父の事を恨んだりしません。
私も歳を取るにつれ、生きていくことがどうしようもなく苦しい時があると、理解できるようになったからです。

子供の頃は、父がいないことに対して違和感を持ったり、寂しさや悲しみを感じることはありませんでした。
それは、母と祖父母から沢山愛情をもらったからだと自覚しているし、育ててもらって本当に感謝しています。

しかし、今、父の事をよく考えます。
父がこの世にいないことへの、
自分に父との記憶がないことへの、
行き場のない寂しさを感じます。

若くして親を亡くした子は、
親が亡くなった年齢に近づいた時、
自身も親が亡くなった年齢で死んでしまうのではないかと恐怖を感じたり、むしろ親が亡くなった年齢で死にたいと思ってしまうこともあると、なにかの記事で読んだことがあります。

父は34歳で亡くなりました。若すぎる。
生きられなかった彼の年齢を、
自分がいつか、超えてしまう。
少し怖いです。
だから、寂しいんでしょうか。
この寂しさはしばらく、続きそうです。

想像でしか分からない父のことを恋しく思うのは、
変なことではないですよね。


遺伝子。

幼い頃から、父に顔が似ていると言われ続けてきました。
当時の私はそれが嫌で嫌で堪らなくて、
似ていると言われるたびに癇癪を起こし、
泣き喚いていました。笑
父、ごめん。

なぜ嫌だったか。
はっきりと理由を覚えています。
当時の私は、写真でしか分からない父を、
自分のお父さんだと認められなかった。
そもそも、お父さんとは?なんぞや?という。
お父さんという存在について、
よく分かっていなかったんですね。
会ったこともない、よく知らないおじさんに顔が似ているねと言われ続ける。
自分のドッペルゲンガーが存在しているような、
ある意味、恐怖にも似た経験でした。

ちなみに父はどんな顔だったかというと、
奥二重の塩顔。顔の各パーツが小さめ。
身長も小さめ。THEおっさん体型。
そして薄めの頭頂部。
決してハンサムの部類には入らない、
どこにでもいるような普通のおっさんでした。
しかし母は父の顔がめちゃくちゃタイプだったらしい。
顔がタイプの人と結婚できるって、羨ましい。

父ってなんぞや幼少期を経て、
アラサーになった今。
友人に自ら父の写真を見せ、見て見て!私お父さんに似すぎてない?と言いふらし、父親の遺伝子最強説を説くまでになりました。
(女の子は父親に似るってよく聞く説。)
自分とそっくりなのに、
お父さんと思えなかったのが不思議なくらい。笑
父親の遺伝子最強説は、
私の鉄板ネタになりつつあります。
(父親には全然似てないし!って女性の方、すみません。)

今ではお父さんの顔が、
お父さんに似ている自分の顔が、好きです。
(異性として好きなタイプの顔ではありませんが)

父の話は一旦終わりです。
いつか母の話もします。

最後に。

お読みいただき、
ありがとうございました🥰

皆様からの「スキ」がとても励みになります!

明日からもまた、生きていきましょう。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

529,721件

#眠れない夜に

70,017件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?