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親友に親友と言えなくて。

皆様、今日も一日、お疲れ様です!

「親友」とは?
Wikipedia大先生に、聞いてみました。

親友(しんゆう)とは、とても仲がいい友人を指す。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

とても仲がいい友人。シンプル。笑
私自身、「親友」にあたる人はいます。
しかしながら、とても仲がよいゆえに「親友」と呼ぶことに抵抗があります。
理由は簡単。恥ずかしいから。
誰かにその人を紹介する際、この子は私の親友で〜などと、言葉にすることが小っ恥ずかしく友達という言葉を使いがちなんです。
それは相手に親友と思われてないなかったら、という不安からくるものではありません。
私が親友と思える人は、あんたは親友じゃないし!と言われたとしても、はぁ?と冗談混じりに反抗できるような、そのくらいには信頼関係がある相手です。
恐らく私の場合、長年連れ添ったパートナーに「愛してる」「好きだよ」などと甘い言葉を言い辛くなるような、今更恥ずかしいわっ!という感覚な気がします。

言わなくても伝わる日本人。

英語教師だった夏目漱石は、
「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳した。
本当かどうかは定かではないようですが、有名な逸話ですね。
恥ずかしくて親友と言えない理由以外に、日本人が「愛している」と言えないと同じ、直接言わなくても伝わることを美徳としている日本人特有の文化によるものもあるのでしょうか。

そもそも日本語は、曖昧な表現が多いように感じます。
「言わなくても伝わるよね」「なんとなく言いたいことは分かるよ」とお互いに、相手の気持ちを行動や表情から汲み取ろうとする文化。
良く言えば、空気が読めるのが日本人ですよね。
しかし、言葉にしなければ伝わらないこともあります。大切な人を失ってしまうことも。

「親友」の話。

親友が結婚しました。
彼女は、同じ短大に通う同級生でした。
いい子ちゃんを演じ、長いものに巻かれるタイプだった私は、学校の中心となる多数人が集まるグループの子達と仲良くしていました。
一方彼女は、遅刻や欠席が多く、学校行事は不参加。
私達のグループから反感を交うような子でした。
在籍中は一言も話したことはありませんでした。
仲良くなったのは、卒業後のことです。
互いの共通の友人を介して、
たまたま複数人で飲みに行く機会がありました。

「私、あなたと話してみたかったんだよね。なぜか分からないけど、友達になりたいってずっと思ってた。」
彼女はそう言いました。

彼女の言葉に驚き、少し恥ずかしいような、嬉しいようなそんな気持ちになりました。

彼女は、とてもストレートに気持ちを伝える子でした。
あなたのこんなところが好き、一緒にいると楽しいなど言われた方がくすぐったくなるような言葉をくれました。
しかし、興味がないことには無関心で、嫌いな人は嫌いだと言えるような、好き嫌いがハッキリしているところもありました。
一方、私は彼女と正反対のタイプ。
いわゆるNOと言えない日本人ってやつです。
好きも嫌いもハッキリ言えず、頼まれたら断れない。
誰にでも良い顔をしてしまう八方美人な性格でした。

こんなに真逆な私と彼女がなぜ親友になれたのか、正直にいうと、きっかけは覚えていません。
ごく自然に、いつも一緒にいるようになりました。
日を跨ぐまで話し込んだり、冗談を言い合って笑い合ったり、恋愛ドラマの全話を一日で観て、2人でひたすら号泣したり。
私の日常に彼女がいる生活が幸せで、本当に楽しかったです。

そんな日々が続き、今から数ヶ月前のこと。
「彼にプロポーズされた。」
彼女から報告を受けました。
以前から、今の彼と結婚することを夢見ていた彼女だったので、私も自分のことのように嬉しかったです。
しかし、同時に寂しくなりました。
今までのように、会うこともなくなっていく。
そして、親友であることも。

結婚した友人達と疎遠になりがちだった私。
その理由は、結婚していたり、子供がいる友人達の話の輪に入っていけない時、自分が1人ぽつんと取り残されたような、そんな寂しさを感じてしまうからです。
もちろん、友人達が嫌いになった訳ではありません。
しかし、人は環境が変われば付き合う人も変わっていくもの。仕方のないことです。
彼女にとっても、その方がいい。
私は1人、勝手にそう思っていました。

それから彼女は、結婚へ向けての準備や手続きで忙しい日々。毎週のように会っていた私達ですが、案の定、会うことはなくなっていきました。

つい、2ヶ月ほど前のことです。
久しぶりに会った彼女は少し痩せていました。
お互いの近況報告を終えた後、彼女は私の顔をじっと見て言いました。

「ねぇ、寂しいなら寂しいと言いなよ。さっきからこの女、結婚の話ばかりして。ていうか、先に結婚して1人で幸せになろうとして。むかつく、置いていくなって怒りなよ。」
「そんな悲しそうな顔で、無理して笑わないでよ。」

「うん、ごめん。」
彼女の言うことが図星だった私は、
それ以上言葉が出てきませんでした。
そんなことを言わせてしまった彼女に、
申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

なんでも言い合えるはずの親友に、
なぜ本音が言えなかったのか。
私は彼女に自分の寂しい気持ちを、
察して欲しかったんだ。
何も言わないで分かってもらおうなんて、
「図々しい話」だった。

私は、相手に自分の感情をさらけ出すことが苦手です。
相手に対して不快に思うことや、嫌だったことは、自分が我慢して相手に伝えなければいい。
相手が自分にとって大切な人であれば、尚更です。
それは、相手を思いやっての行動ではありません。
ただ、自分が傷つきたくないだけです。
であるがゆえに、自分自身も相手の表情や行動で相手の気持ちを判断してしまいがちです。

彼女に全て話しました。
結婚に対して本当に嬉しく思ったこと。
寂しくなったこと。羨ましかったこと。
もう、会うこともなくなっていくと思っていたこと。

「友達にランクなんかつけたくないんだけどさ、だけど、あんたが一番の親友だと思ってる。妬み嫉みも寂しさも全部吐き出しなよ。そんなので、嫌いなるわけないじゃん。本当の親友って、友達ってそんなもんでしょ。」
あんたの考えることなんてお見通しだよと、
彼女は言いました。

「結婚式の友人代表スピーチをしてね。命令。」
彼女はそう言い、だからダイエットしてるのと
笑っていました。
「仕方ないなぁ。スピーチ代高いからね。」
と私も笑って、返事を返しました。

心で感じる。


サン=テグジュペリ作、『星の王子さま』。
私の大好きな言葉があります。

本当に大切なことは目にはみえない。
心でみるんだよ。

サン=テグジュペリ作『星の王子さま』より引用

一見すると、日本人っぽい言葉だと思いました。
たとえば、家族や友達、恋人など、その人たちを大切にする想いや愛情は、目には見えないですよね。
けれどもそこには確かに「絆」や「愛」、そして「一緒に過ごしてきた時間」がある。
表面的な言葉や行動だけで判断しないということ。
とても大切だと思っています。

彼女は決して、「言わなければ分からない人」ではありません。結果として、私が寂しい思いをしていたことを察してくれました。
私が「察してほしい人」という面倒臭い人間だと分かっていて、そう言ってくれたのだと思います。

言葉にすることが、簡単な人もいるかもしれません。
では、本当のことを言葉にできず、苦しい人にとっては?
彼女が察してくれた優しさが、私のことを心から大切に思ってくれている、目には見えない「愛情」なのだと思います。
現状ばかりに囚われて、彼女からの「愛」を信用していなかったのは、心でみていなかったのは、私なのだと気が付きました。

たまには恥ずかしさを捨てて、
本音を言葉にしてみたいと思います。
私の大切な人はきっと受け入れてくれる、
そう思います。
「親友」に「親友」だと言える日は、
そう遠くないのかもしれません。

最後に。

お読みいただき、
ありがとうございました。🥰

大切な親友の話なので、
暖かい気持ちで読んでいただけたら幸いです。

明日からもまた、生きていきましょうね。

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