明るくて暗い“敗戦国”の夏
夏が私のいちばん好きな季節だ。小学生時代、徳島の海の近くの祖母の家で毎年過ごした楽しい思い出が多いからだと思う。夏の楽しい思い出にひもづいた黄色く明るい太陽の光と、その光を浴びて生命力を感じさせる深い緑色の植物、空の青と白い入道雲などの鮮やかな色のコントラストの生き生きとしたイメージが、エネルギーを活性化してくれる気がする。
8月に入ると、まだ昼間の太陽の光はギラギラと強いのに、少しずつ空が高くなり、日の暮れる時間が早くなるのを感じて、「夏が行っちゃう」と切なくなる。
そこにセットになっているのが、ほの暗いテレビ画面の記憶。この時期になるとテレビで放送される戦争をテーマにした番組は夏の浮かれた心を少し冷まして、大人が選んだちょっと怖いような番組でも、文句を言わずに見るべきなのだと子ども心に厳粛な気持ちで受け止めていた。
夕方の傾いた太陽のオレンジ色とテレビのセピア色の戦時中の色彩が、それも明るさとのコントラストとして心象風景に刻み込まれている。
一昨年のちょうど今ごろの昼間、戦争をテーマにした番組を何気なくつけたままにして、たぶんお昼を食べていた時だったと思う。突然、気がついた。
あれ…もしかして、8月に戦争についてよく知ろうという機運が高まって、平和についてみんなが考えるのって、日本だけ…?
「楽しいけど、ちょっと悲しい季節」という当たり前の自分の感覚が、当たり前ではないことをはっきりと認識して驚いた。
テーブルの向かいの席で一緒にごはんを食べていたウェールズ人の夫にとって、この時期は戦争を反省する季節じゃないのか…と思った瞬間、すごく遠くでまったくピントが合っていなかったものが急激にフォーカスされ、目の前にばん!と大写しになった。その感覚に圧倒されながら言った。
「日本では、8月15日が終戦記念日だから、この時期にはこうやって戦争の番組がテレビでたくさん放送されるんだよ。でも、英国では、8月は終戦の季節じゃないってことだよね!? …終戦記念日っていつ?」
「そうだね。この時期には、日本では戦争の番組がすごく多いなと思ってた」。
夫は日本のテレビをあまり好まない。日本語がそこまでよくわからないから、バラエティ番組は特に、人が怒鳴っているところに笑い声を強調して足したノイズの塊と感じられて不快なようだ。耐えられなくなると「ごめん、消してもいい?」と言う。
その彼が、別の意味で決して愉快とは言えない、暗い戦争の番組については何も言わず、日本人に対して尊重しなければならない大切なこととして粛々と受け止めていてくれたのだった。
英国における8月15日は「VJ Day」。Victory over Japan Day(ビクトリーオーバージャンデー、訳せば『対日戦勝記念日』)と言われる日なのだという。「敗戦の日」の日本の正反対の、「日本に勝った日」。ものごとに反対側の視点があることは知っていても、現実味のあるものとして突きつけられるといつも純粋にびっくりして、自分の脚元を確かめたくなるような心もとなさを味わう。どこに立って何を見て何を考えるかによって、当たり前は当たり前ではなくなる。
そして、第一次世界大戦が終わった11月11日が「Remembrance Day」と呼ばれ、第二次世界大戦を含めた戦没者追悼記念日になっている。それが日本にとっての終戦記念日的な日だそうだ。
*
改めて最近この話をしていたら、「VJ Dayなんて言ってるけど、日本が敗戦を認めただけで、英国が勝ったわけじゃないのにね」と夫が言った。彼が「自分の国が勝った。日本は負けた」と言う人だったら一緒にいられなかったと思う。
“戦勝国”の人の中にも戦争を肯定しない人もいるのだろうけれど、彼がとりわけ第二次世界大戦に対して客観的で、はっきり戦争を否定する立場をとるのは、彼のルーツがドイツにあることが大きな理由のひとつだ。
彼の父方の祖父は1933年6月にベルリン(ドイツ)からオックスフォード(イングランド)に移住した【逃れた】。義祖父自身はユダヤ教徒ではなかったけれど、その頃のナチスは2世代上までさかのぼって“ユダヤ人”認定をしていて、そこに該当していたという。大きな業績を残した物理学者だった義祖父は、以前から誘われていたオックスフォード大学のオファーを受ける形で移り住んだと聞いていた。
昨年、2人でベルリンを訪れてナチスやホロコースト関連の博物館などの施設を一通り見学し、ずっしりと重たい荷物を預かったような、大きな責任を任されたような気分になった。ぼんやり考え続けていて、頭に浮かんだことをそのまま口に出した。
「やっぱり知性って大切だね。おじいちゃんは知性があったから、生き延びたんだね」。
私には逃げてすぐ受け入れてもらえるほど人から必要とされる知的な才能はないし、「今、逃げなければならない」と判断できるほど知性的な自信もない。同じような状況になったらきっと生き残れないな、と。
すると、「知性じゃなくて運だと思う」と、思いがけない角度からの答えが返ってきた。
「駅を歩いていたら走ってきた人に突き飛ばされて、その後ろからナチスの警察がおじいちゃんを追い抜いてその人を捕まえて、連れていったんだって。たまたま自分は“ユダヤ人”だと見つからなかったけど、すぐそこまでナチスが迫っていると悟って、おばあちゃんに『今すぐ荷物をまとめて駅に来い』って電話して、そのまま電車に乗ってオックスフォードに向かったって聞いた」。
映画のワンシーンのようなエピソードが語られて、後ろ暗いような悲しさの重りがもう一つ増えた。ドラマチックな話として消費するのは簡単だけど、これは物語ではなく現実の出来事。そんなことがあちこちで実際に起こっていたのだ。
この義祖父の「一刻も早く逃げなくては」という焦燥は、“ユダヤ人”という理由だけではなかったそうだ。
ナチス党が台頭し、共産主義や社会主義政党が多かった当時のドイツで、義祖父は中立する立場の民主的な政党の党員で、ナチスが気に入らない党の迫害を始めるのは時間の問題だった。そしてもうひとつ。科学者としてナチスに研究をコントロールされるのは嫌だった。知恵や知識が戦争に利用される恐れもある。だから、ドイツから離れなければならなかった。
聞いていて、小学校2年生の担任の先生が教室に置いたまんが「はだしのゲン」で知った「非国民」という言葉が浮かんだ。
ああ、そうだったのか。明るいけど暗い私の中の夏の印象は、「はだしのゲン」からもきていたのだと思い至る。
*
一昨年、終戦記念日について話していたとき、VJ DayやRemembrance Dayを教えてくれた後で、言いづらそうにしながら夫が口を開いた。
「日本人は原爆を経験したから『被害者』ってふるまうけど、第二次世界大戦で日本はアジアの国にかなりひどいことをしたよね?」
夫は以前、日本の新聞社で働いていた。日本のニュースソースを英語版にする制作スタッフで、下訳されたものをネイティブにとって自然な英語に編集する仕事だった。
その新聞の記事には、他国に対して敵意ととれるニュアンスが出ていることが往々にしてあったそうだ。新聞メディアは中立であるべきだと考える彼が、感情的な部分を削除し事実に徹する内容に編集したら、元のままに戻されたとよく苛立ち、失望していた。
その会社には端的に言うと右傾思想をもった人が多く、日本人に「戦時中、自国のしたことを棚に上げて被害者ぶる」傾向があるととらえていたのだと思う。
心外だった。
「私は、日本人が戦争の被害者だと一面的に主張していると思ったことはないんだけど…。学校の教科書にも、日本が仕掛けた戦争とか東南アジアの占領とかが載っているし、隠してはいなくて、日本がほかの国にひどいことをしたのは知ってるよ。そして原爆が落とされてたくさんの命が失われた、その悲惨さを伝えようとしている。アジアでしたことも含めて、この歴史から得た『あの戦争は間違いだった』という教訓を通して、日本の歴史教育は戦争そのものが良くないということをテーマとして教えている…私はそう教えられたと感じてきたよ」。
「そうなのか…だとしたら、『戦争が間違っていた』って教えてるのって、ドイツと日本だけだと思うよ。すごい」。
夫は驚きと感心が混ざったような、さっきの言いづらそうな緊張がほどけた顔になった。日本人への不信が少し解けたようでほっとした。
けれど、同時にちょっと不安になった。
私が歴史の授業を「戦争そのものが良くない」と解釈して信じてきただけで、同じ授業を受けていても『日本は、原爆=戦争の“被害者”なんだ!』と受け取って、そう信じ続けている人もいるのだろうか? いるのだろう。私のほうが少数派ということもありえる。
ものごとにはいろんな見方があって、いろんな感じ方、考え方をする人がいる。同じ日本人であっても。そのことにももう一度気づかされた。
英国の授業では第二次世界大戦のことを「Just War(正義の戦争)」と教えるそうだ。「たくさんの兵士が犠牲になったのは残酷でいたましいこと。でも、英国の自由のために(「For our Freedom」)、あの戦争をしたことは正しい」と。
これを聞いたとき、この時代にも依然として戦争を是と教える価値観が存在することに、私もショックを受けた。
*
ナショナリズムを政治に利用する意図もあいまって「戦勝国の栄光」を強調する英国の論調に、夫はうんざりしている。(イングランド人ではなくウェールズ人であることも無関係ではないと思う)
義父が子どもたちを集めて自分の父親がベルリンから逃れた話を繰り返し聞かせたとか、そういう家庭内の教育があったのかと思ったら、ほとんどなかったらしい。“戦勝国”生まれの夫が“敗戦国”生まれの私と共通して「戦争そのものが良くない」と考えるようになったのは、「世界の縮図」の環境育ちである影響もかなり大きいというのが、本人の自認。
義父が世界から生徒が集まるインターナショナルスクールの教師で、夫の家族はその敷地にある社宅のような住宅で育った。子ども時代からずっとその学校の生徒たちが身近にいて、戦争や内戦で傷ついた国の人たちを見ていた。戦いの悲惨さや負の影響の大きさを強く感じ、彼にとってのその「事実」が、考え方の基礎になった。
自分が“戦勝国”に生まれていたらと想像してみる。「戦勝国の栄光」を繰り返されたら、視野の狭い私のことだから、“敗戦国”のことには思いも及ばず「愚かにも負けた敗戦国、称賛されるべき勝った我々」という価値観を信じ込んで、傲慢な態度になっていたのではないかと思う。
もしそうだったら、夏はただひたすらに明るくて、楽しいこと以外考えない季節だったんだろう。
だけど、幸か不幸か、私は戦後の日本の第二次ベビーブームの時代に生まれ、日本で育った。
2017年に平壌を訪れたとき、ふとした風景に「はだしのゲン」の爆撃前の日常生活のシーンを連想した。向こうで生活する人たちの姿を見て、戦時中の日本の人たちもきっとこんなふうだったんじゃないかと思えたのだ。
私たちの違いは、いつ、どこに生まれたか、ただそれだけ。
日本に生まれた私も、もしそれが戦時中だったら、限られた情報の中でプロパガンダを信じて「鬼畜米英」と“敵国”を憎み、“神様”のために万歳を叫んで、人生を捧げていたかもしれない。
基本的に人間はみんな変わらないと思う。いつどこに生まれるか、今どきっぽく言えばその“ガチャ”で、ものごとの見え方や信条、大切なことなどが変わり、事実も真実も違うものになる。
そのことをみんなが真剣に考えたら、それが“平和”につながるカギになりそうな、そんな気がする。
台風が続々と日本に近づいてきて、今年もそろそろ夏の終わりにさしかかった。思い出して、大人がもう1度読むための日本史の教科書を確認してみたら、日本軍の東南アジア占領戦略のことも載っていた。
8月15日。世界のいろんな国の人たちに想いを馳せ合う日にできたらと思う。
デザインとメッセージが気に入って昔買った、「War is…」のTシャツを引っ張り出してきた。
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