ガセネタとサムズアップ
昨年、私の勤める会社ではチャットアプリを全社的に導入した。
導入当初は戸惑いや反発こそあったものの、数ヶ月経った頃にはほとんどの社員が利用するようになっていた。
営業のハウツーや最新技術動向など、種類を問わず耳寄りの情報を共有するチャンネルは、「学び」があるとして評判だった。
今年の二月頃のことだ。
私は出社してパソコンを起動し、くだんのチャットアプリを開いた。
社内全体向けの情報共有チャンネルに、新着投稿の通知があった。
それはご丁寧にもチャンネル全体にメンションされていて、また投稿には「いいね!」を示すサムズアップがたくさんついていた。
しかもその投稿者は、そのチャンネルに滅多に投稿しない人――チャンネルへの参加人数が増えると、積極的に投稿する人としない人はやはり別れてくる――だったので「いったいなんだろう?」となおのこと興味を惹かれた。
その投稿は、日本国内でも感染が徐々に広がりを見せつつあった新型コロナウイルスに関するものだった。
「知り合いの知り合いにコロナウイルスの研究者がいるのですが」
投稿は、「知り合いの知り合い」という都市伝説や作り話にありがちなフレーズから始まっていた。
「ウイルスは熱に弱く、36℃~37℃で死滅するそうです。なので飲み物をお湯に変えると効果があるようです!」
とんでもないガセネタだった。
それはちょうど全国的にちょうど「バズり」始めていたガセネタだった。
当時は――今も似たようなものだが――未知のウイルスや先行きの見通せないことへの不安からか、様々な嘘の情報が爆発的に拡散されていた。
しかしそれにしても、この話は群を抜いて釣り針が大きかった。
この話が拡散され始めた頃の、「26℃~27℃」に比べればまだ「お湯」らしさは上がっていたが、それでも信じるにはあまりにも無理があった。
「平熱!」
私は、霜降り明星の粗品みたいにツッコミを入れたくてたまらなかった。
しかし、会社のチャットでは、そんなことはできそうになかった。
「すごい!」
「ありがとうございます!」
「助かります!」
投稿のスレッドについていた無数の「いいね!」と数件の好意的なコメントも、私にそれを思いとどまらせた。
もう水を差してはいけない雰囲気だった。
昼休みを挟んで自席に戻ってアプリを見ると、情報共有チャンネルにまた新着投稿の通知が来ていた。
投稿者は、朝に見た例の投稿と同じ人だった。
今度はなんだろう? と思ってそれを見ると、「温かくして免疫力を高めることが一番の予防法です。ONE TEAMでコロナに打ち勝ちましょう!」と書いてあった。
「いい話風にすな」
と、今度は千鳥のノブみたいにツッコミを入れたくてたまらなかった。
しかし、当然それもまた言えるわけがなかった。
むしろ、流行語も押さえてすごく聞こえの良い「いい話風」になってしまった後では、いっそう言える感じではなかった。
少なくとも私の今までの経験に照らし合わせて考えて考える限り、口を挟むと袋叩きに遭うことはもう必至だった。
水を差すことなんてしない。
空気はちゃんと読む。
なんといっても、私は良識を持った「社会人」なのだ。
その日、情報共有チャンネルに投稿されたそれらの投稿には、どちらにも大量の「いいね!」が社内から飛んでいた。
サムズアップのマークの横の数字が増えるのを、私は何も言わずに、ただずっと見ていた。
チェック済み情報まとめ(国内編)| FIJ | ファクトチェック・イニシアティブ
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【今回の一曲】
アルカラ/キャッチーを科学する(2010年)
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