非効率な夜の散歩をやめるには
夜、イヤフォンをつけて音楽とかラジオを聴きながら歩く。
以前はこれを、自己紹介にて「趣味」だと嘯いていた。
しかし実際には「趣味」と呼べるほど「明るい」ものではない。
というのも、それをするときは、嫌なことがあったり、嫌な気分になった日に、それを忘れたいがためにしていることがほとんどだからだ。
だからそれはむしろ、ストレス解消とか発散と呼ぶべきものなのだろう。
もちろん「ストレス解消法は、趣味の〇〇をすることです」という発話は十二分にありえるだろう。
しかしそれでも、その趣味はストレス解消以外のシーンでも行われることが想定されているはずである。
たとえば趣味がゲームの人がいるとする。
その人は、ストレス解消のために、仕事で嫌なことがあった日は、FPSでNPCをキルしまくったり、RPGでレベル上げに没頭したり、もっと単純に、ゲームを純粋に楽しむのかもしれない。
しかしその人がゲームをプレイするのは、「仕事で嫌なことがあった日」に限らないはずである。その人はきっと、日課みたいに、日常的にゲームを楽しんでいることが容易に想像できる。
私は、そのようなものをこそ「趣味」と呼ぶべきだと思うのだ。
この基準に照らし合わせると、私がしばしば行う、夜中に街を歩くことは「趣味」たり得ない。夜中である以上、周囲も暗いから、「この街にこんな場所が!」とか「こんな素敵な店が!」みたいな発見もあり得ない。
だから、せいぜい「ストレス解消」なのだ。
加えてたちが悪いことに、私は何時間も無為に歩くことが度々がある。
たとえば先月のある日は、23時頃に家を出て3駅先までの6kmほどを1時間半ほどかけて歩き、そのままどこかに寄るでもなく終電に乗って帰った。
またつい数日前は、23時頃に家を出て、26時(翌日2時)過ぎまでおおよそ8km超を歩いていた。挙げ句、帰り方がわからなくなり、Googleマップを頼りに近くの駅まで行き、そこからタクシーで帰った。
時間・金銭双方のコストの観点から見て、極めて非効率的である。
非効率性を自覚しているなら、それをやめれば良いというのが一般的な意見であろう。そのためには次の二点が障壁たりうる。
一つは、べつにこれといった趣味がないことだ。
無論、こうして文章をしたためることや読書などは趣味の一つだ。しかし、どう控えめに見てもむしゃくしゃしたタイミングとは相性が良くない。
まあ、これは適当に、何かを実際に始めればなんとかなる話だ。
ゲームを買ってみてもいい。体力づくりのために、もっと効率的であろう他のエクササイズを始めてみてもいい。
問題はもう一つの障壁である、そもそも歩き始めてしまう、「嫌なことがあったり、嫌な気分にな」る日に法則性がないことだ。
それらは不意に訪れ、そして私は衝動的に、夜中、延々と、ときに知らない道を、地図も見ずに歩き続けることになる――。
あの世界的な流行病がまだ世に見つかっていなかった頃の話だ。
ある日残業でオフィスに残っていると、別の部署の先輩に「今日さ、君の同期と飲みに行こうって話してるんだけど、来る?」と訊かれた。
誘っているメンバーが同期だからこそ私にも声がけされたのであって、これを断ると角が立ちそうかな、と思い、私は出席を承諾した。結局、その飲み会は、その先輩と、私と、私の同期二人の計四人で行われることになった。
飲みながら、どういう理由だったかは失念したが、その場に居ない同期の女性社員が話題に上がった。
彼女の仕事の「適当ぶり」が、そこでは謗られていた。
曰く、資料が上がってくるのが遅いとかどうとか。
そしてそれについて、同期の一人は「まあ、甘やかされたんだろうな」とコメントした。会社で、あるいは家庭で――。
私は、その女性社員が会社でどう扱われているのかを詳しく知らなかった。
「おじさんキラーだなあ」なんて言われている場面こそたびたび見ていたが、資料のレビューだとか営業の定例会議での様子は見たことがなかった。
ましてや彼女の家庭状況などほとんど何も知らなかった。犬を買っているとは聞いたことがあるが、その犬種も性別も名前も知らなかった。
先述の同期の、彼女に関する知識がどれほどだったのかも私は知らない。
もしかしたら私と同程度だったかもしれないし、あるいは私よりも彼女とは懇意で、もっといろいろなことを知っていたかもしれない。
しかしそれでも、彼女が「甘やかされた」ことが彼女の仕事ぶりにどれほど関係しているかは不明確なはずだし、本当に「甘やかされ」ていた保証だってそもそもどこにもないはずだ。
何より、彼女が本当に「甘やかされ」ていたとして、それがなんだというのだろう? そんなものは、その同期にとって特に関係ないはずなのに。
「まあ、甘やかされたんだろうな」
同期の一人のこの発言と、もう一人の同期が笑いながらそれに対し「それ!」と言ったのを見ながら、私は無性に腹を立てていた。
その日、家に帰ってからもなんだかイライラした気持ちが収まらず、私は隣の駅まで延々と歩いた。
歩いている途中で川を見つけ、思わず履いている靴を脱いで、川に投げ捨ててやろうかと思うぐらい――結局、実行には移さなかったが――むしゃくしゃしていた。
しかしよくよく考えれば、私が腹を立て、ストレス解消と称して夜中歩いているのもおかしな話なのだった。
私には、彼女に関するその発言に腹を立てる義理などなかった。だからそれをその場で言うのは難しかったかもしれないが、それでも腹を立てたなら、私はその場で「それはおかしい」と抗議すべきだったのだ。
だが、私はそれをしなかった。
腹を立てながら、何も言わず、ただ枝豆を食べ、ビールを飲むばかりだった。
これは極めて情けない話だ。
情けなさの慰めのために、非効率な夜の散歩を繰り返している、二重の情けない話だ。
この「趣味」とも呼べない散歩を、そろそろやめたいと思っている。
しかし、「嫌なことがあったり、嫌な気分にな」る日は、上述の飲み会みたいに、突発的に訪る。
他のストレス解消法を身につけていないから、そのたびにこの「非効率な夜の散歩」を繰り返してしまう。
つい数日前、五人でWeb会議をしている最中に、とある一人を除いた四人のチャットが作られて、そこで「あのアイデアはダメ」なんて話が始まったのがたまらなく悲しくなって、その夜8km以上歩いてしまったみたいに。
いったいこれはどうすればいいのか。
結句、「趣味を見つけなさい」という、かつて医師から言われ、そして記事にもした内容に戻ってくるような話もするけれど、近頃の大きな悩み――精神の不調だとか色々ある中――の一つは、それなのである。
やっぱり始めるしかないのだろうか。Fall Guys。
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