年収をバカにされている。父に
既述のとおり、私は無職である。
だから、再就職活動をせねばならなかった。
タイトルでは分かりやすいように「転職」と書いているが、その幕開けの様はここに書いた。
そして活動の成果もあり、私は職にありつけることとなった。
4月から、私はまた労働に勤しむ。
労働が好きなわけではない。
しかし、私は生活のために労働をしなければならない。
かくして私は、一般的「社会人」の「生活」の環へと回帰する。
まあそのあたりの、私が通っていたリワークプログラムとデイケアの類似の話みたいなのは、別の機会に書くかもしれないし、書かないかもしれない。
どうせ『「居る」のはつらいよ』の受け売りみたいなところがあるし。
まあ、そんな話はどうでもいい。
内定をもらったとき、私は天にも昇るような気持ちだった。
私の再就職活動は難航し、55社ぐらい連続で「お見送り」だったからだ。
ようやくもらえた内定、ようやく得た「働く環境」!
しかし、労働条件を告げられる「オファー面談」のあと、私はひどく鬱屈した気持ちになっていた。
労働が現実味を帯びてきたから、ではない。
年収が低かったからである。
私は、自分の金への執着や関心が、人のそれより薄いと思っている。
年収はあまり気にしないし、資産を増やそうと躍起にもなれない。
今の生活レベルを維持できる金が手に入るならば、それで良い。
それこそが「ある程度の賃金」を得ている、「特権的立場」であるという批判があるだろうことは予期している。
しかし、私の「賃金観」みたいなのは、そんなものなのだ。
だから、たとえば就職四季報で平均年収を見て、「いやあ、XX万円は欲しいなあ」とか言っている人のことが分からなかった。
(一方で私は「倍率」ばかり気にして、いかに倍率が低くて、3年後定着率が良いところに就職できるかばかり気にしていた)
(※私の調べによると、専門商社や、重電・プラント業界が、倍率が低めで平均年収が高いので、狙い目である)
また、私は今回の再就職で、年収が上がる期待を持っていなかった。
なにしろ「再就職」である。
給与が決まるにはさまざまな要素があるが、獲得したい人材に対して、支払う給与が上がるのは当然の理であることは想像が容易い。
ミクロ経済学の初歩で習う、需給のバランスのグラフを見ればいい。
みなが欲しいと思う人材は、それだけ価格の高い財となる。
一方、「再就職」の人材には、一般的な「転職」にないリスクがある。
ちゃんと働けるのかということが「心身」「スキル」の両面から問われる。
再就職=就労していない期間が発生していることの理由にもよるが、それだけのギャップ期間があり、再度労働にフィットできるのか。また、それだけの期間がありつつ、スキルは「即戦力」に足るものなのか。
(キャリア採用の場合、ほとんどは即戦力を求めての採用となる)
その点を加味すれば、私は「キズモノ」の商品だった。
だから、魅力的な財として、高い年収で購買されるとも思っていなかった。
これは、転職エージェント️️にも言われていた。
今回の転職で、年収は下がってしまうだろうと思います、と。
まあ、それは致し方ないな、と思っていた。
なお、今回の再就職活動において転職エージェントを使ったことは大いな過ちであり、かつそれは転職エージェントのビジネスの特性上仕方ないことだったのだが、それについては付記に止める。
(ざっくり言えば、彼らは転職エージェントであり、再就職エージェントではないということを私は忘れていた、ということになる)
長々と書いてきたが、要するに、私は年収にひどくこだわるタイプではないし、年収が低いことも「織り込み済み」だったということだ。
ではなぜ、「年収が低かった」ことで憂鬱になってしまったのか。
これは正月に交わされた父との会話が関係している。
年末年始に、私は帰省をした。
しかし、私は両親と、特に父と、胸襟を開いて話せる仲にない。
父は仲の良い親子でありたいようだが、私の「苦手」と同様に、それらはすれ違った片思いである。悲しいことだ。
私の父は心配性である。
だから、息子である私の将来について、あれこれ心配をしている。
痩せないとまずいのではないか。ジムには通うだろうか。
彼女はできないのだろうか。もしかして同性愛者なのだろうか。
仕事はうまくいっているだろうか。上司に媚びは売れているだろうか。
そんな、「知らんわ」とか「だとしてなんの問題があるんだ」というようなことを、いちいち気にしている。
そして父は、私の年収も気にしている。
それをなんのために気にしているのか、私には正直まったく理解できない。
だが、兎にも角にも、父はそれを気にしている。
だからしばしば「年収は? 今いくらなんだ?」と訊ねてくる。
それは、新卒で入社しても、転職してもそうだった。
そして、同様の質問がこのたびの帰省でも発された。
帰省の時点で、私は無職だった。
しかし、休職したことから、離職したことまで、私は両親に隠していた。
私の休職は「適応障害」が原因だった。
要するに「気分障害」であり、精神障害のひとつである。
しかし、上に貼った記事にもあるように、田舎で育ち、田舎に暮らしている両親は、精神障害への偏見がきつい。
私が大学四年生の時分には、電話口で母親から「精神病なんかになったら許さないからね!」と言われていた。
なりたくてなるものじゃないだろ、と思ったが、反論すると面倒くさいな、と思って「うん」とだけ答えた覚えがある。
とにかく、この両親に、休職のことを言っても仕方ない、と思った。
話すことで好転することがあるとは思えなかった。
そういうわけで、父は、私がまだ前職で働いていると思っていた。
まさか目の前の息子の年収がゼロであるとは思いもよらない。
そんなピュアなハートから出る「年収いくら?」だった。
私は、仕方なく、前職のオファー時の年収を言った。
「うーん、YY万」ぐらいのテンションで。
すると父は一言、「低いな」と言った。
私には、このときのことがずっと頭にあった。
だから、あーあ、また正直に言ったら「低い」って言われる額だよ、という気持ちが真っ先に浮かんできたのだ。
確かに、私の年収は高い方ではない。
たとえば総合商社に入った人とか、インフラ大手に入った人などに比べると低いだろう。
しかし、「低いな」と一刀両断される筋合いはない。
それは、額がどうこうというより、コミュニケーションの問題だと思う。
だが、そんなことが通じるともやはり思えないので、私は反論をするでもなく、だから私の頭にはあのときの「低いな」がこだまし続けている。
再就職することは父にメールで告げた。
当然それは「転職」として。
すると返信のなかで父は真っ先に「年収は?」と訊ねてきた。
私はその質問に回答しないでいる。
他の、返せそうな質問を見つけ、それに返信している。
そうすることで、意図的に年収への質問の回答を回避している。
しかし、最近はメールが来る頻度が上がっている。
そのたびに「収入はどんなくらいになりますか」という質問がある。
その度に、私は「低いな」と言われているような気になる。
私は、年収をバカにされている。
誰に? 父に。
こんなバカな話があってたまるか、と思う。
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