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実家で感じた「選択肢がある」というストレス

今日のnoteは、お母ちゃんには大変申し訳ないけれど「あっ!これ新種のストレス!!」と実感したことについて書きたい。

それはタイトルの通りで「選択肢がある」ってことにも、人間はめっちゃストレスを感じるんだな??という気づきについて。

実家には選択肢がありすぎる。
いや、単にうちの母親のクセなのかもしれない。
とにかく、なんでもかんでも聞いてくるのだ。

たとえば、私は母が作った牛丼が好物なんだけれど

「お皿はどんぶりにする?平べったいのにする?」
「お箸?スプーン?」
「卵おとす?おとさない?」
「ネギは上から散らす?一緒に煮込む?」

いざ食卓に並ぶというタイミングでこの質問攻めにあう。

はたから見ると「いい母親じゃん!」で終わる会話だと思うが、これが1日何度も続くと「もう、ど〜〜〜〜でもいいな……??出来上がった状態を完成形として文句言わず食べるが???」と小爆発を起こしそうになる。


それは父と母との会話を聞いていても、よく発生し

父「軽くご飯食べようかな。昨日の牛丼余っとるか」
母「あるよ。お魚の缶詰も開けようか?一昨日のコロッケも冷凍にあるよ?」
父「あ〜〜もうよかけん、牛丼ば温めてくれぃ!」
母「おかずが1種類じゃ何か文句言うかなと思って聞いたったい!」

これ、母がそもそも2手目でいらない選択肢を広げなければ発生しないプチ口喧嘩イベだったのでは……と、私は犬を撫でながら無言で両親のやりとりを眺める。


なぜか食事の例が重なったが、
とにかくうちの母は、こちらがそもそも想定してなかった選択肢(カスタム要素)を次々ヒアリングしてくることが多いな〜と今回の帰省でしみじみ感じた。そしてそれに疲れてしまっている自分にも気づく。

というかそもそも、優柔不断同士が会話していると「無限に選択肢増やしてくる母」VS「マジでどっちでも・どうでもいいからそっちで勝手に決めてくれていいですよ、な私」の構図で、最終的にお互いイライラゲージが溜まるという悪循環……ッ!

母の"御用聞き体質"を抜きにしても、一人暮らし歴が長い&快適すぎるがゆえに、私自身も生活における「好きにさせてくれ」「好きにしてくれ」がずいぶん大きくなってしまったようだと感じる。

母はもう少しラクに自分の意志でものごとを進めていいかもしれないし、私は私で、もう少し自分(たち)の生活に関心をもって「あれが好き、これが好き」を主張してもいいのかもしれないね、と感じた帰省5日目の午後。

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