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11. 希言は自然なり(きげんはしぜんなり)

しゃべりすぎは不自然な行為です


老子は、聞き取れない無音の「不言」こそが自然であると語り、それを気候になぞらえています。

暴風雨などは長く続かない。それと同じように、人間が大声を張り上げてべちゃくちゃと話すという不自然な行為は続かないからやめた方が良いと言っています。

元々コミュニケーションが苦手な私にとって、人と躊躇なく話ができる人は憧れでもありました。内向的なため、ずっと自分を理解してもらえないジレンマを抱え、孤独を感じていました。

そんな中で、後付けなんですが、どうやったら人と話すことができるようになるかと言うと、「ただひたすら沢山の人と沢山話す」ということだけでした。それはスポーツの練習などと同じ原理なのです。いくらノウハウを積んだとしても、やはり実践しない事には上達しないんですね。

私の場合は人と直接話す仕事でしたので、そうせざるを得なかったのが今となっては幸運でした。

でも初めのうちは失敗だらけでした。空気を読めない発言をしてしまったり、途中で話を聞き漏らして上の空になってしまったり…。恥ずかしい思いばかりしていました。

また、おしゃべりな人の話のペースに巻き込まれ、かわすことも遮ることもできない私は、聴きたくない人の悪口なども延々と聴かされてしまい、気づくと1時間2時間と時間が経ち、切り上げるタイミングを失い、仕事が終わらなく会社に怒られることも何度もありました。 

しかし、失敗しても失敗しても仕事だから逃げることはできませんでした。

そして50年近く生きてきて、ようやく少しづつ話せるようになってきたように思います。不器用な自分にとってはとてつもなく長かった半世紀でした。

そうやって生きてきたタイミングで出会った老子の「希言は自然なり」は、「今まで頑張ったね。だからもう沢山話そうなんて思わなくて良いよ」と老子が言ってくれている気がしてホッとしてしまいました。

何かに憧れて走った若い時。あんなふうになりたい、あの人みたいになりたい。そう思って走ったけれど、それは自分以外の人間になろうとするという、無理な行為だったんですね。

そしてそんな過程を経て、セカンドライフは不自然な何かを求めるんじゃなく、「世界でたった一人の自分を大事にし、自分を愛し、自然体を楽しんで生きて良いんだよ」と言う老子からのメッセージなんだと受け止めました。

セカンドライフを充実させるのに「老子」はおすすめの一冊です。ぜひ皆さんも読んでみてください。



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