生きるという不純なまでの美しさ。

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生まれてこの方、気を遣わずに居たことなんてなかった気がする。
どこかで僕だけが悪者になってはいけない、という考え方で生きてきた。

些細なことで、もう何も気を遣えなくなって。
そう、例えば布団におでんをこぼしてしまったりとか…

そんなどうでも良いこと一つが引き金になるくらい
毎日、他人に気を遣って生きているんだと、つい5分前に感じた次第。

こういうところが子供だから、賢く振る舞わなきゃいけないな…

「ほら、また気遣いだ」

「お前はそうやってワガママを通さないようにして、傷付かないフリをしたがる」

僕にどうしろっていうんだ。
独り言ばかりが増えていく。

世の中にはアダルトチルドレンなんて都合の良い名前の環境依存に対するカテゴリーがある、というじゃないか。

スケープゴートにカウンセラー
僕はそのあたりなんだろう。

そこまでして僕は。

2つも3つも名前を持ってまで。

生きたいのだろうか。
血の繋がった何かが為に、名前を持って、辛い思いや時間を過ごして
誰かが辛いときに軽んじられることで、誰かの生命を尊重する。

そんな存在になりたいなんて、一度も、今に至るまで一度も望んだわけではなかったのに。

「生きる」という不純なまでの美しさが為に
僕は「生きている」ということに不快さを覚えるばかりだ。

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