見出し画像

本の貸し借りが、歴史を変えるかもしれない

Uさんとはじめて話したのは、職場の歓迎会だった。

「え、あの本屋の?!」

思わず声をあげた。

私は特養で働いていた。Uさんは職場の後輩である。2019年4月に新卒で入職した、とてもフレッシュさん。大学で介護の勉強をしていたわけではないが、介護職として入職してきた。

偶然にも地元が同じで、私は勝手に親近感を抱いた。しかも、ただ単に地元が同じというだけではなかった。彼の実家は本屋さんで、私は小中高と、もれなくその本屋に教科書を買いに行っていたのである。

そんな偶然あるのかと、今でもその驚きは覚えていて、それはつまりなぜ介護職に?という思いからくるものなのだったが、そのときはなぜだか聞けなかった。

休憩時間にたまたま休憩室で会うと、他愛もない話をした。力の抜け加減がちょうどよくて好きだった。彼はいろいろな経験をしていて、1人でキャンプに行ったけど、大雨で外に出られなかったとか、ちょっと天然なところも相まって度々笑わせられた。

あるとき、私はそのとき読んでいた本がとても面白くて、誰かに話したくてたまらなかった。ちょうど休憩室に彼がいて、本の話をしたら興味を持ってくれて、その本を貸すことになった。私はおせっかいながら人に本を貸すことが好きで、同じくらい本を借りるのも好きだ。その人がおもしろいと感じた本を読むと、その人の思考の一部に触れられた気がしてうれしい。逆もまたしかりで、自分の思考に触れてほしいという承認欲求が本を貸したい欲なのかもしれない。

そんな訳で本を貸して、数日後。
本が返ってきた。
メッセージとお菓子を添えて。
(このお菓子が私のツボに刺さりまくっている逸品なのだが、話すと長くなるのでまたの機会にする)

それをきっかけとして、彼の読んだ本を貸してもらうことになった。その読んだ本とは、「入居者さんの仕草や言葉から連想したテーマ」で選ばれた本だった。

たとえば、よく笑っている人。


たとえば、よく「あの世」の話をする人。


自分で選ばない本というのは、教えてもらわなければ一生読まなかったかもしれない、という一期一会が体感できてなおのことわくわくする。

なにより、彼が入居者さん一人ひとりの発言に注意深く耳を傾け、何気ない一言や、口癖、表情や仕草から思考を巡らせる姿勢を心底尊敬した。

印象的だったのは、「何にもなかった」時代の話をする人から連想した本。

文字通り、「なんにもなかった」というタイトルである。

この本は、戦争を体験した人々が自分の言葉を綴った、手記、聞き書きを集めた本である。

戦後、食料や物資がなかった頃の、人々の生き様が書かれている。

語り口は人それぞれであり、情景が思い浮かび、リアルそのものだった。

歴史に残す、というのはこういうことなのかと思った。すなわち、この語りを記すことがなければ、あったはずの歴史がなかったことになってしまう。

ふと、気になって歴史という言葉を調べてみた。

広辞苑によると、

歴史
①人類社会の過去における変遷・興亡のありさま。また、その記録。「―に名を残す」「―上の人物」
②物事の現在に至る来歴。「―と伝統を誇る」

と、書いてある。

その後ネットをつらつら見ていたら、E・H・カーというイギリスの歴史家の言葉が目に入った。

「歴史は現在と過去の対話である」
「過去を主体的にとらえることなしに未来への展望をたてることはできない」

おぉ、これってケアの世界にも通じる、と思った。

話は少し逸れるが、私は学生時代、日本史や世界史の言葉が呪文にしか聞こえず、単なる暗記マシンと化していた。時代の流れなど理解しようとせず、覚えやすい語呂合わせを考えるのに力を注いでいた。(そして悲しいかな今はさっぱり覚えていない)それがなぜだったか今考えると、過去に起きた出来事と「現在」のつながりが見えていなかったからではないか、と思う。

近頃になってようやく、歴史を学ぶ必要性に気づいた。

過去との対話、という言葉がすんなりと腑に落ちたのは、過去から一方的に得るだけではない、現在と過去を相互に捉えることが、歴史を学ぶ意味なのだと理解したからだと思う。

ケアの場面もそうだ。
今のその人の状態は、環境や生活歴が相互に関わりあっている。私たちは生活歴を聞き取るが、その昔の生活や習慣を現在本人が望んでいるかどうかは分からない。あくまでも、今そのとき、本人が望んでいる生活を「考える」ために生活歴を知る。

E・H・カーによると、歴史書には、それを叙述した人の主観が必ず入るらしい。私は「なんにもなかった」を読んで、生き抜くことで必死な状況下での人間の強さやユーモア、時に善悪の判断の難しさを感じた。きっと同じ本から、他のことを読み取り考える人もいる。歴史の教科書であってもそうだ。そして、その違いにも学びがある。

同様にケアの場面においても、現状を知り、生活歴を聞き取った上であっても、ケアプランの目標というのは立てる人によって様々である。それがケアの面白さであり、難しさでもある。

Uさんから貸してもらった本や、そのとき聞いた入居者の方々の言葉、仕草で、考えた。

歴史とは、日々の営みの積み重ねを記すことで残る。その、人の日々の営みに密接する仕事が、介護だ。その営みとは、今現在のもののみならず、過去のものも含まれている。

となると、私たちにはそれを記す役割もあるのではなかろうか。それが後世へのヒントになることが、あるかもしれない。

間違いなく、今この瞬間も、歴史を刻んでいる。私たちが経験している今この瞬間も、振り返れば歴史の一部になる。

ただ、言葉にして記すというのはとてもエネルギーが必要だ。自分の頭で考えていることを、なるべく齟齬がないように、知っている単語を一生懸命探し出して組み合わせる。私はいつも同じ言い回しを使いたくなるたび、語彙のなさに凹む。

Uさんは、言葉を選ぶのがとても上手な人だった。それは彼がこれまでの人生で本をたくさん読んで、先人と対話してきたからではないかと思っている。それが、きっとケアにもあらわれているのだろう。


自戒を込めて言う。

先人と、対話しよう。
日頃接している人や、私たちの営みを言葉にしよう。

歴史は、言葉で記さなければ、残らないから。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?