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群衆哀歌 10

Before…

【十八】

「遅ぇよ馬鹿。今日は金銀モードか。」
 哀勝は、挑発に乗って来た。酒と煙草とマスターのお陰で、今なら冷静に話せる気がする。
「馬鹿はそっちでしょ、何よ金銀モードって。あと何で店貸切ってんのよ。早めに来たのに。ややこしいでしょ。」
 言葉とは裏腹に、哀勝の表情は穏やかである。何故か、表情筋が緩んでいくのが自分でもよく分かった。緩んだ表情のまま、言葉を続ける。
「てめぇが余計な事してくれたせいで今日は散々だよ。どーでもいい奴にキレるし。」
「その子達なら今日四限目一緒だったから説教しといたよ。アンタが悪い、ってね。マスター、ラムベースでおすすめあります?」
 哀勝はマイペースに酒を注文しようとする。
「余計な事しなくていいわ。俺が十分言ってやったってのに。ラムコーク、おすすめだぞ。」
「じゃあそれで。あと、これお詫び。」
 そう言って、鞄から煙草を一箱取り出した。二人が共に吸う、王冠のロゴが入った煙草。
「んじゃ、これ二人で吸うべ。」
「まぁ喜一君がそれでいいなら、そうしよっか。」

 不思議な女だ。いつぞやの霧雨の夜に見せたアレは何だったんだ。漠然とした記憶を手繰りながら、追加でラムコークをもう一杯注文した。
 二杯のラムコークが差し出された時、昼とは真逆の感情で、身体と口が勝手に動いた。
「乾杯。」
 哀勝は無邪気そうな笑顔で、「乾杯」と言ってグラスを掲げた。ガラス同士がぶつかる、軽快で心地良い音。この音は、生き様を変えてから中々聞かなくなったが、正直好きな音だ。
「ここ美味しいね。たまにだけど通おうかな。」
「俺の巣にまた入ってくるつもりかよ。別に構わねぇけど。」
「巣って何よ、喜一君は鳥か何かなのかい?」
「誰が鳥頭だよ。」
「そこまで言ってないよ。」

 あれ程渦巻いていた憎悪は、いざ本人を目の前にすると何故か消え失せ、よく分からない心地良さに溺れる自分がいた。それは間違いなく酒で酔っ払っているからではない。哀勝が纏うこの雰囲気だ。男共が群がるのも何となく分かる。
「そのオーラで男達誑かしてんの?」
「違う、って言っても説得力無いだろうね。遠慮しないで答えて欲しいんだけど、私の事どんくらい知ってるの?」
 ありのまま、言葉を紡ぎ出す。
「何ヶ月か前にウチの学校編入してきて、いっつも男といる。女共からは色々言われてるらしいじゃん、酷ぇ事。あと時々死にたがる。俺と似てる。」
 最後の一言は、不思議と唇から零れ落ちた。
「大体正解。私が知ってる喜一君の事も、話してあげよっか?」
「大体想像つくけど。」

 しかし、哀勝の口から出てきた言葉は、全て予想を裏切った。
「わざと誰も寄せ付けないようにしてるよね、自分から。あと礼儀正しい。律儀、って言うのかな。実は友達思いで、あと私とよーく似てる。昔何かあったでしょ?」

 哀勝から放たれた言葉ひとつひとつが衝撃だったが、最後の一言が最も動揺させた。平静を装ったが、一度発生した動揺は隠し切れなかった。指で煙草を挟んだつもりが上手く挟めず、火種を人差し指と中指で触ってしまい、「熱っちぃ!」と叫んでしまった。
「初めて話した時も似たような事してなかった?」
「うるせぇよ、何でそこまで分かった?」
「カウンターに置かれた一万円、きっと喜一君出したんでしょ、先払いで。あと山本君から話は少し聞いたよ。話少ししただけで珈琲御馳走してあげたとか。入学当初はこんなんじゃなかったって言ってた。あとこないだ送ってもらった時の夜の会話から、何かあったんだなってのは察せるよ。」
「山本…。」
 山本には怒りなのか感謝なのかよく分からない感情が芽生えたが、それよりもたった数回のやり取りで昔の事まで見抜いた奴は初めてだ。そもそも身形変えてから数回もやり取りする奴なんていなかったのだが。

「あぁ、認めるよ。自分で言うのも恥ずかしいけど、概ね合ってる。筋通したい人間だし、それと周りと関わりたくねぇ。昔何かあったのも事実だ。こないだの話覚えてたのか。俺と似てるって事は、おめぇも昔何かあったんか?」
「その馬鹿とかおめぇとか止めて、気分悪い。哀勝、でいいよ。」
「んじゃ改めて聞くけど、哀勝、昔すんげぇ嫌なことあったろ?」
 哀勝の顔には、既に笑みは無かった。俺もきっとそうなんだろう。あの晩と同じ顔。
「あったよ、言いたくないから詳しい事は言わないし聞かないけど。お酒も、煙草も、周りでちやほやしてくれる男達も、何に頼っても楽になれない。本当、どうすりゃいいんだろうね、喜一君。」
 哀勝の嘆きを聞き、頭を使う前に言葉がもう唇から滑り出し始めた。今日は脳味噌が仕事しない日だな。思考がそのまま口に出る。
「俺は独りでいる事にした。誰も寄せ付けなきゃ、余計な考えは浮かばないから。親元離れて、友達切って、バイト先でも最低限しか人間関係無いから疲れない。ただ、やっぱトラウマってのかな、時々突然思い出して気分悪くなるよ。どうすりゃいいかなんて知らねぇよ。哀勝は歳俺よか一個上だろ、可愛い後輩に愚痴ってどうすんだよ。」
「そうだよねぇ、私一応先輩なんだよね、人生的には。可愛い後輩が困ってるのに、自分の事ばっかり。本当嫌。自分が嫌い。」
「そう言うなよ。俺にちょっかい出したって事は何とかして欲しかったんだろ、いつだかの夜みてぇに。俺は奇人極めてるから自分の事好きだぞ。」
「そっか、喜一君強いんだね。羨ましい。」
「俺からすりゃぁ哀勝の方が羨ましいわ。あんだけ顔広く出来るし、人付き合い上手いし。あと意外と馬鹿だし。」
「馬鹿はそっちでしょ。昔から子どもが言うじゃん、馬鹿っていう方が馬鹿だって。」
「んじゃお互い様だな。マスター、バタースコッチ二つ。」

 最後の酒は、一杯目と同じ甘ったるい酒。俺がここに来る理由。ここに来る為に、生きる理由。この馬鹿女にも甘ったるさに心を溺れさせ、少しでも楽にさせたくなったような気がしたんだ。
「うわ、甘っ。美味しいけど、似合わな。」
「うるせぇ、趣味だ。」
「見た目だけだとウィスキー・ロックで、みたいな感じなのに。」
「それはマスターだ。」
 相変わらず微笑むマスター。哀勝が持ってきた煙草は、最後に二人で一本ずつ吸って空になった。

「はい、飲み代。ここは先輩風吹かせるからね。貰わないなんて許さぬ。」
 そう言って一万円札を押し付け、背中越しに手を振りながら哀勝は帰っていった。家に入り、歯を磨き、布団に潜る。
 意識が夢へと旅立つ準備を始めた時、朧げな指でメッセージアプリを開いた。ID検索で「Sad_Winner」と入力すると、彼岸花のアイコンに「AiKa」という名前のアカウントが表示された。
 登録し、ありがとう、と一言送った。自分から登録したの、このスマホにしてから初めてかもな。すぐに「どういたしまして、またね。」と返信が来た。そして旅立ちの準備を終えた脳は、そのまま深い闇へと意識を連れて行った。

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