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【入浴日記】夢

今朝の目覚めは最悪だった。
母と喧嘩する夢を見た。
職業柄か、学校の屋上で体育祭の練習をしていた時に口論を引っ張った母親が怒鳴り込んできて、教え子の前で大喧嘩をした。
喧嘩の内容は、病気の事。

「気の持ちようでしょ!さっさと治しなさいよ!」
-これは命に関わる病気なんだよ!こっからいつ飛び降りてもおかしくねぇんだぞ!

そう言って、飛び降りかけたところで目が覚めた。
朋輩にメッセージを送ってみた。彼はまだ起きていて、電話に出て話を聞いてくれた。

たかが、夢。されど、夢。

精神病持ちには寝覚めの悪い夢如きでも振り回されるものである。包丁に手を伸ばしかけて止められたのは、間違いなく成長だろう。素直にメーデーを出せたのだから。
それにしても、早朝まで起きてくれてて本当に感謝しかない。あの状態だと時限爆弾のようなものだった。腕の傷を増やさずに済んだ。近々礼に行こう。

夢と言えば、齢27と半分にして初めて明確に「将来の夢」というものを掲げて生きている。

中坊の頃は、馬鹿やってスリル味わって何に対しても反抗して、進路なんて全く考えていなかった。偏差値50後半の高校に受かったのは奇跡としか言えない。滑り込みだったらしいが。

高校の頃は、部活に全身全霊を注ぐより他無かった。朝練で疲れて授業は爆睡、いつの間にか1年でスタメン入りしていたり、スタメン外れたり、最上級生になった時は大将を担っていた。鬼軍曹が如き恩師の元、同級生と下級生を引っ張るのに必死だった。引退してからは、燃え尽きた様にふらりぶらりしていた。

大学を選んだのは、「教師をやりたい」からではなく「家を出たい」からだった。全寮制の大学に入れば否が応でも家を出る。俺にとってそれは人生を大きく転換する一択だった。親元を離れて4年間過ごし、自由を得た。恋人も出来た。恐らく病気だったであろう暗黒の1年半も過ごした。体重が半分になったり倍になったりした。

この仕事を選んだのは、元々「一応」公務員として稼げるのと、子どもが好きだからだった。学童保育で小学生と戯れながら集団生活を教え、講師に転職して1年半中学生と笑いあって時には戦った。たまたま受けた採用試験に受かった。講師から教諭にランクアップした。これが夢だと思っていた。

夢は覚める。必ず。
夢が現実になった時、夢見た幻想的な部分と同時に、夢では見られなかった現実的な部分とも向き合うしか無かった。向き合い、誠実に、全てを完璧にしようと奮闘した結果、虚しく適応障害及び鬱病の診断を受けた。

noteという場所を教えてくれたのは、中学・高校・大学それぞれ1人ずついる朋輩達の中で、高校時代の朋輩だった。私の感情が遥か彼方まで沈んだ時に、叩きつけるように感情を残しながら発散させられる場所に思えた。

此処で様々な人の投稿を見て、いつしかこれで勝負したいと思うようになってきた。

俺が綴る言の葉が、世界に届く。これが将来の夢。

険しい壁になるだろう。周りの優しい人々は「文才がある」と褒めてくれる。素直に嬉しい。だが、本屋に並ぶ小説達とどれくらい勝負出来るのかは分からない。大学の理事長先生を頼った。何時か面会の時が来る。その時に、優しく手厳しい直球のお言葉を頂きたい。

夢を持たせる職業に就きながら、己自身が夢を持っていなかった。夢が叶ったと勝手に思っていた。教師を志したのは14年前。そこから何をしたいかなんてすぐに変わる。何なら遠い未来よりも目先の事で精一杯だった。

現在、感情と思考の整理の為にひと月近くの療養休暇を頂いている。これは去年担任した教え子達の卒業式に万全を期して参加出来るように、そして来年度を乗り越えられるように。

来年度が終わったら、その先は分からない。相変わらず目先の出来事とドンパチするので精一杯である。しかし1度夢見てしまっては、其処を目指して進まずして何の為に呼吸をする?過去を遡る悪夢では無く、未来に向けて羽ばたく為の夢に向かわずして、何故鼓動を続ける?

暗中模索の試行錯誤を続けている最中である。薬で感情の乱高下は抑えられている。試すなら、このひと月。そして、実行に移すのは来年度。教師という素晴らしき楔を打つ職業に未練が残るならば、続けるも良し。楔を引き抜いて安定と引き換えに大空へ羽ばたくも良し。羽ばたいた大空が晴天だろうが荒天だろうが、舞いたい場所で踊るのみ。

今回の1曲はムック「志恩」。志を与えてくれる人々へ感謝を。恩は何倍にも大きくして返すべし。己に課す意地である。維持出来なくては、命を留める理由は無し。

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