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鼻のない自画像

 私は昔から絵を描くことのすきな子どもだった。いや、好きだったわけではないかもしれないが、少なくとも外に出るよりはマシだと思っていた。
 幼稚園の遊具で遊ぶ級友を尻目に、スケッチブックに8色程度の原色しかないマーカーを走らせていた。ジャングルジムに登って降りれなくなったり、眼前に虫を突き出されたり、幼少期の私にとって外とは危険そのものだった。室内にも危険がないわけではないが、それでも基本的には想定できる事象以外は起こらなかった。決まりきった物語をなぞることを良しとしていた。

 私の描くイラストはいつも決まって、スカートかワンピースを着た女の子だった。かわいいを詰め込んだ姿を好み、その女の子には鼻がなかった。縦に並べられた豆のような形をした大きな目に簡略化された睫毛が二本。口はいつも赤のペンで、きゅっと口角を結んで描かれた。前髪と垂れた横髪(触角と呼ばれるもの)とウェーブのかかった長い髪。色は黒のときもあれば、茶のときも、金髪のときもあったけれど、大体がこのヘアスタイルだった。私の美の形は既にこのときに形成されていた。
 私のいた幼稚園は園児の自主性を重んじる園風(そんな言葉はあるのだろうか?)だったおかげで、園の先生は「みんなとお外行かなくていいの?」と一度尋ねたあとは、「うゐちゃん、絵が上手だねえ」と言ってくれた。

 そんなやさしかった園の先生のおかげもあってか、小学生になっても絵を描くことに精を出していた。
 その頃私は貼り絵にハマっていた。身内の誰かがやっていたわけではないが、父が大量の折り紙を買ってきて、それを貼り合わせていく作業に私は没頭した。何よりも色数の少なかったマーカーや、混ぜれば何にでもなってしまう絵具より、当時の私にとって手頃な色数だったのだ。重ねれば修復が利く、という点も思い切った色遣いへの抵抗を減らした。低学年の絵画コンクールなんて高が知れているが、それでも日に日に増えていく賞状は私の価値を高め、心を満たしていった。

 小学二年の担任はおばちゃん先生。面倒ごとがあるとすぐに顔を顰める、保護者会の感じもあまりよくない教員だった。
 この教員は言った。「なんで蓼原さんの描く絵には鼻がないの」と。眉間に皺を寄せて、私を軽蔑するようなひどい顔をしていた。このときまで私は鼻がないことの何が悪いのかわかっていなかった。鼻がない方がキュートだと信じて疑わなかったからだ。しかし、図画工作の授業の狙いとしては、対象物を見つめ、写実的に描くことだったのだろう。教員は私の絵にケチをつけた。また別のときには「蓼原さんはまた貼り絵ですか」と母と居るタイミングで嫌味を言った。私は成人した今となっても、この教員のしたかったことがわからない。

 鼻。何故私が鼻を描いていなかったか。それは自らに化粧を施し、写真を頻繁に撮るようになったここ数年でやっと腑に落ちた。
 私は自分の鼻の形が好きでなかったのだ。外国人のように高くない、小鼻が小鼻と呼べるほど小さくない、顔の陰影がない、鼻と口の距離が近くない。私の思い描く美は、ある程度定形が決まっており、それにそぐわないものは排斥していた、ということだった。私は幼稚園生ながら、デフォルメするということを心得ていたのだと気がついた。

 私は現在、ことばを連ねる傍ら、似顔絵を描いている。写真では切り取れない、私から見たその人の姿を映し出すのに似顔絵が最適だと感じたからだ。そこには、立派な鼻がある。多少現実とは異なるにしろ、鼻の穴も、小鼻の影も描く。私は鼻の呪いから解かれたのだろうか——。

 今日も鏡に向かって化粧を施す。平坦な私の顔に存在しない凹凸を描いて、ハイライトを塗るとトリックアートは嬉々として踊り出す。
 蓋をする、透明なプラスチックの窓から、ノウズシャドウのブラウンは、底が銀色が透けていた。

(2021年3月執筆、2023年11月加筆)

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