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カロリーメイトとポカリスエットで人間は生きていけるのか?

食べるものに困った時、支援団体や行政から食品を配布されることがある。
そういう食品のうち多いのがこういった類のもの↓

・賞味期限ギリギリ(だったり時には過ぎてたり)で店頭には置けないパンやお菓子
・保存がきくレトルトや缶詰やフリーズドライの加工食品
・栄養補助食品

食品廃棄物をなくそうという善意と、人を生き延びさせようという善意を感じる。

このご時世、コロナに罹って行政から食品が届いた人も実感したかもしれない。

コロナに罹った時届いた食品たち

これが届いた頃、ちょうど鬱がひどくて買い物する気力も料理する気力も食べる気力もなく、1ヶ月ほどこの段ボールの中身を少しずつ消費して過ごしていた。
基本寝ていて、目が覚めて何か摂取しなければと思うとカロリーメイトをポカリスエットで流し込む。

これを続けていると、自分がただのマシンのように思えてくる。
口から燃料を入れて動くマシン。
息をするために、口から燃料を入れる。

カロリーメイトというくらいだからカロリーは補充されているだろうし、ポカリスエットで電解質もバッチリなんだろう。
これさえあれば人間を生き延びさせることが可能なのかもしれない。

しかし、毎日この生活をしていると、自分がマシン化して、人間の抜け殻のようになってくる。
生き延びるために食品を食べる。
それは、鳥がミミズを食べるのと同等である。 

本来、人間にとっての食というのは、他の生物にとっての食と一線を画すものである。
映えるし美味しい食事を食べている友人達の様子をインスタで見ると、一人カロリーメイトをポカリスエットで流し込んでいる私の貧相さに身を隠したくなる。
ある種の貧しさは、食によく表れる。

こころを病んでいると、多くの人は「味わう」ことができなくなる。
繊細な風味や、うまみを感じ取れなくなる。
強い塩味や甘味や辛味だったら感じ取れるから、そういう刺激的な味のする不健康な食べ物を食べてやっと食べている気になったりする。

お金がなくても、「味わう」ことができなくなる。
上記の支援の品のような食材を食べている限り、カロリーは摂取できても、栄養バランスを取ることはできない。
貧困層で太っている人は、カロリーしかないような安い食材で生きている証なのである。(『太っているくせに貧困な訳ないだろ』というのは完全な誤りである。)

ヘルシーな野菜を食べて美味しいと言えるのは、健康とお金という二重の財産を持っている人たちである。
その二重の財産を持ってしてさらにヘルシーになっていくという好循環と、
二重の財産がないためにさらにアンヘルシーになっていくという悪循環が、
この世では交わることなく回っている。

カロリーメイトとポカリスエット。
これらの食品たちからは、人を生き延びさせようという善の匂いがする。
しかし、私のようにこれを毎日喉につかえさせながら飲み込んでいるようでは、「味わう」ことから程遠い。
善の面をした、貧しい食事なのである。

こころ病める者は、まず味わうことから始めなければいけないのかもしれない。
カロリーメイトとポカリスエットでもいい。
カロリーメイトのフルーツ味とチョコレート味の味が違うことに気づく。
ポカリスエットの塩味の裏に隠された柑橘系の香りに気づく。
そうして、一つの貧しさを脱却していけるのかもしれない。

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