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Steve Jobs for me

最近、一人でしたことはなんですか。誰かと過ごす時間と同じように、誰とも一緒にいない時間を過ごすことは、ときとして特別な時間になることがあります。一人で焼肉、一人でカラオケ、または、一人旅でしょうか。どれも素敵な時間として過ごせたでしょうか?

僕は、アメリカを一人旅しました。

そして、それは素敵な旅ではあったかも知れませんが、想像や期待通りの何かは、ただの一つもありませんでした。

スティーブ・ジョブズはスタンフォード大学の卒業式で行なったスピーチの中で「Keep looking. Don’t settle」と言っています。僕は高校生のときに彼の伝記と出会い、スピーチの動画に辿り着き、一時期は通学中に毎朝見るほどのめり込んでいました。彼の言葉を引用する人たちは数多くいますが、僕ほど素性を詳しく分析した人は多くないと自負しています。

僕は彼に憧れていました。彼のようにならなければならないとすら思っているときもありました。短い生涯の中で、一体、彼はどうしてあんなにも大きな野望を抱いたのか、それでいて芸術や異端を愛し続けられたのか、気になって仕方がありませんでした。僕はスティーブ・ジョブズの言葉を信じ、どうにかしてアメリカへ、彼が生まれ育った場所に行こうと考えました。大学を休学して、彼が最初にコンピュータを製造したガレージや、Appleの本社であるApple Parkがどんなところにあるのかを感じる旅に出ることを決めました。

お金は最低限しかありませんでした。現地に詳しい知識を持つ友人や、土地勘のある知人すらいないまま、それでも僕は決断をしました。お金を得る算段が付いた瞬間にチケットを取り、持っていくものや服を選び、どんどん自分を追い込んで逃げ場を減らして行きました。

計画のはじめ、僕は3ヶ月間現地に滞在するつもりでしたが、そこまでの気力がないことに気が付き、結果として、人生で最も長い13日間を過ごすことになりました。

ホテルに泊まってしまうとサービスを受ける側になってしまうので、できるだけ対等な立場でいられる民泊を使うことにしました。ローカルの文化に触れる目的もありました。日本でも使われているAirBnBを使って、移動しながらゲストハウスに泊まることにします。最初の宿は出発前に予約しました。

不安と緊張の合間には期待が挟まっていました。シリコンバレーはどんな場所なのだろう、大企業の集積地だけあって、住んでいる人たちのテクノロジーへの関心は高いのだろうか、日本とどう違うのだろうか。ゴールデンゲートブリッジにも行ってみたい、時間は惜しまずじっくりアメリカを感じてみたい。出発前はぐるぐる考えが巡り、やがて出発の時間がやってきました。

サンフランシスコ空港に着いたとき、僕は乗り継ぎで既に疲れていて、ゲストハウスに到着すると、夕飯も食べずに寝腐っていました。そうしなくては、話さなくてはならない英語の情報量に、自分が飲み込まれそうだと思ったからです。スティーブ・ジョブズが言ったように、"やらないことを決めた"のでした。周りに日本人は一人もいません。自分の口から出る英語が通じなければ、ボディランゲージに頼るしかありませんでした。

幸い、ゲストハウスのマネージャーはアジア人(もちろん英語ネイティヴ)で、現地で職業訓練をしているアメリカ人(同じゲストハウスに宿泊していた人)を紹介してくれました。中学まで(実際には中学校にはほとんど行っていないので、小学生と高校生)のときに習った英語がこれほど役に立ったときはありませんでした。よく寝た翌日は祝日で、僕は紹介してもらった人にゴールデンゲートブリッジを見に行ってみたいと言うと、車で連れて行ってくれることになりました。

数日泊まった最初のゲストハウスを出て、Uber(日本にあるUberEatsの最初のサービス、タクシーのようなもの)で駅へ向かい、サンフランシスコを南下するために鉄道に乗りました。40分ほどするとパロアルトに到着します。

パロアルトはスティーブ・ジョブズが最初にコンピュータを製造し、Appleを創業した場所です。彼が育った場所でもあり、ベイエリアと呼ばれるシリコンバレー周辺の地域でもありました。二つ目のゲストハウスで出会った中国人が「エンジニアをしている」と言うので、すかさず、テクノロジー関係? と聞きましたが、首を横に振られました。僕の頭からアンテナは伸びているはずでしたが、電波がどこに向かって飛んでいるのかなど、検討が付きませんでした。

パロアルトは郊外でしかなく、ゆったりとした空気が流れるのどかな場所でした。気性が激しく人に好かれなかった、スティーブ・ジョブズの性格を作ったとはとても思えない、静かな場所でした。

ゲストハウスから次の地点へ向かう途中、GoogleMapを見ていると「Steve Jobs Garage」と書かれた場所がありました。僕は考える間もなくすぐに「ジョブズの旧自宅だ」と思い当たりました。道すがらそこへ向かいます。

僕は少し落胆をして、簡単に写真を撮りました。記念の場所へ来たことより、バックパックの重さの方が気になるようになりました。当たり前の話ですが、そこには隣と何も変わらない家があるだけでした。ジョブズが育った場所だと思いを馳せることはできても、それ以上のことをする場所ではないと感じました。

しかし、まだこれで終わりではありません。バーベキューコンロが用意してある公園にバックパックを下ろし、休憩を挟みながら、Apple Parkとその周辺へと足を向けます。


3つ目のゲストハウスには、漢字の本が置いてありました。オーナーはインド人で、日本語は話せるの? と聞くと"少しだけ"と言いました。母国語であるはずの日本語を外国語のように感じ、不思議な心地がしました。ゲストハウスはサンノゼの端、クパチーノの片隅にあり、目的地のすぐ近くでした。

大都市サンノゼは高級な店や観光地が並ぶ、日本で例えると銀座や六本木のような場所でした。アジア人も多く、チャイニーズレストランや日本発の牛角もありました。
ここには、彼が亡くなる前に設計したスペースシップと呼ばれているApple Parkがあります。僕は施設の一角にあるVisitor Centerを訪ねました。


百聞は一見にしかずと言いますが、僕はこの時ほどこの言葉を真実だと思ったことはありません。
期待していたものは、何もありませんでした。
運命的な出会いや、心踊るに足る刺激的な体験は、何一つありませんでした。

少しは外観を見られると思ったAppleParkは、実際には木で囲われ、厳重な警備でとても入れるような場所ではありませんでした。入り口は地下駐車場へと繋がるトンネルのような場所だけ。しかもそこは車でしか通ることができないようになっていて、忍び込もうと思えるほど僕は命知らずではありませんでした。空撮されている、Webで見られる画像のほうが全体像がよく分かります。

僕より頭のいい人たちは、「たった13日間で、知り合いもなしに行けばそうなるに決まってる」と言うかも知れません。

では、この旅を通して何も得られなかったのかと言うと、そうではありませんでした。僕は"期待しているほど表立ってテクノロジーが跋扈している場所ではない"という体験が得られました。現地のUberのドライバーに「Apple Space Ship」と言われて、普段WIREDやギズモードで見ているミームがそのまま通じるんだと感じられたことも大きな経験でした。長い期間でなくても、たとえツテが一切なくても、行きたい場所へいき、五感を、あるいは第六感さえをも総動員して行くことには、大きな意味があると感じた旅でした。

インターネットの情報をきっかけにして、インターネットで眺めているだけでは得られない唯一の体験を、僕は得ることができました。


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