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ミスド記念日

ミスドが食べたい。ミスドが食べたい。ミスドが食べたい。
数日前のとある夜、この8文字の欲望で頭が埋め尽くされる事象が発生した。

そうか私は甘いものが食べたいのかな?と思い、セブンへ向かう。
セブンに入りわき目もふらずに甘いものを探していると、4個入りのドーナッツが目に入る。
しかも、ポンデリングのような形をしたものやオールドファッションのような形をしたものなどが入っていて、見た目は完全にミスドそのものだ。
これ!!!と一瞬でレジに向かいそうになる自分を、持ち前の冷静さで一旦落ち着かせる。
そしてドーナッツをじっと見つめ、問う。
私が欲しかったものは、このドーナッツなのか?と。
答えは、否だった。瞬間的な衝動で忘れそうになった初心を取り戻す。
私は、「ドーナッツ」が食べたかったのではない。
「ミスド」が食べたかったのだ。

翌日、往復で1時間ほどかけて歩きミスドを買いに行った。
とんでもなく出不精な私を1時間の散歩へと連れ出したミスドの力はすごい。
その日は土曜日で、ミスドには小さい子どもを連れた家族や学生の女の子2人組などが楽しそうに列を作っていた。
28歳すっぴんの女(私)は一瞬その眩しさにひるみそうになったが、昨夜からの「ミスドが食べたい」欲が私を奮い立たせる。
「私は昨日の夜からミスドが食べたかったんだ!セブンのドーナッツだって買わなかったんだぞ!」と心の中でまわりに威嚇しながら、ウキウキ気分で列に並ぶ。
昨晩Youtubeを開き羨望のまなざしを向けていた色とりどりのドーナツが、実際に目の前に広がっている。なんという高揚感だろう。

好きなドーナツを我慢しないでぜんぶ買う!と決め、レーンが終わる頃には4つのドーナツがトレーに載っていた。
ポンデリング、ハニーチュロス、ゴールデンチョコレート、エンゼルクリーム。
4つなんて慎ましいと思う反面、自分のためだけにミスドで4つドーナツを買うのは人生で初めての贅沢だった。
口角の上がった顔をマスクで隠しながらレジに向かう。
会計は確か500円くらいだったと思う。500円でこんな幸せが買えるのか、とうっすら感動すら覚えてしまった。
右手に重さを感じながら軽い足取りで家に帰る。
いま私の右手にぶらさがる袋の中にはミスドがあるんだぞ、と思うだけでマリオのスターを手に入れたような気持ちになった。

今日は食べたいドーナツぜんぶ食べる!と決めていたので、一気に3つのドーナツをほおばる。
1日に3つもドーナツを食べるなんて、これまた人生で初めての経験だった。
食べている間は、飽きることなくおいし~~~☆が続いた。
一気にぜんぶ食べてもよかったのだけど、ハニーチュロスは明日分の幸せとして取っておくことにした。
セブンのドーナツを買うのを踏みとどまり、Youtubeでミスドを食べる動画を見あさり、翌日に1時間かけてミスドを買いに行き、一気に3つのドーナツをたいらげ、これにて私の「ミスドが食べたい」欲は無事に成仏した。
昨日セブンでドーナツ買わなくて本当に良かった、と思った。

「ミスドが食べたい」欲は、きっとセブンのドーナツでも、表参道らへんのおしゃれなドーナツでも、きっと満たされることはなかっただろう。
セブンのドーナッツを買って食べるのでは、イベントにならない。
でもおしゃれなドーナッツを買って食べるのだと、日常にならない。
変わり映えのない日常の延長線上で、私は「ミスドのドーナツを食べる」というイベントを楽しみたかったのだ。

「ミスドが食べたい」という欲が解消した今、私には新たな欲が湧き出ているのを感じている。
それは「サイゼが食べたい」である。
コンビニのミラノ風ドリアっぽいドリアではなく、サイゼのミラノ風ドリアが食べたいのだ。

ミスドとかサイゼとか、少し前の私ならあまり魅力を感じなかったはずだ。
ミスドとかサイゼに行くなら、表参道でパンケーキが食べたかったし、気になる人とイタリアンに行きたかった。
表参道にふらっと行くことも、気になる人とふらっと会うこともできなくなった今、日常に溶け込みすぎて埋もれていたミスドだとかサイゼだとかの些細すぎる幸せを、私はいま改めて、一人こっそり楽しんでいる。




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