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本当に愛される女性の輝き。

初めて、友だちから「結婚報告」なるものを受けた。

「直接会ってから報告したかったから、伝えるの遅くなっちゃってごめんね!!」と幸せいっぱいに言う彼女の輝きに思わず、おめでとう!!という前に、息を飲んでしまった。

私は恋愛運がないうえに、かなりの恋愛下手でもあり、かといって割り切った結婚を受け入れられるほど大人な心を持ち合わせておらず、おそらく結婚はできないと思っている。最初は言い聞かせて自分を励ましていたが、なんだかんだあり、このところ、かなり覚悟が決まってきたのだが、それについてはまたいつか。(笑)

話を戻そう。
ここ最近、先輩の結婚報告のSNSを見たり、友達から結婚式に行った話を聞くようになったりし、じわじわと「結婚」が身近になりつつあった。そのため、友達から結婚報告を受けた時、「ついに来たか!!」と心の中の私が叫んだ。不思議なことに、私の周りの友たちには、いつでも結婚できるような長く付き合っている相手がおり、安定した生活をしている人が多い。

その日、私と報告してくれた友達を含め4人と飲んでいた。もちろん、私以外、皆、そういう彼氏がいる。中学からの仲でバカ話もできる大事な人たちだ。いつもは地元で男女交えた大人数で飲んでるため、4人だけの女子会は珍しかった。彼女たちからは、みなぎる生きる強さ、自分への確固たる信頼感があった。私は、彼女たちの”強さ”が「”愛されている”という自負からくる自分への”自信”」だという当たり前のことに、初めて気がづいた。

私は持ち前の無駄な責任感と心配性な性分により、ことを重大に、慎重に考えてしまう。さらに、1人であること、選ばれる側でないことへの自覚が拍車をかけ、「自分ですべてをやっていかなければ」という自負が強い。さらに、基本的に自分自身への評価も、未来への期待もあまりない。この傾向は、社会人としての日々が過ぎるごとに、強くなっている。
しかし、彼女たちは違う。
わがままを言っても受け入れてくれる。弱ったら支えてくれる。損得なく自分を信じ、信じられる人がいる。
社会人となり、時を重ね、その人とともに日々を乗り越えていくごと、「生きていける」という自信がついていったようにみえた。

「ひとりじゃない」ことは、やはり”強い”のだ。
「赤信号、みんなで渡れば、怖くない。」という標語がある。
人は誰か同志がいるだけで、恐怖と闘うことができる。

「恋愛と結婚は別」という言葉はずっと物理的な話だと思っていた。
「お金が無ければ生活もできない。子供が欲しければなおさら。結婚となると家族同士の長い付き合いともなる。だから、淡い相手への恋心だけでは成り立たない。」
そういうことだと思っていた。
だが、この言葉は、物理的なだけではない。むしろ精神的な意味が強いのではないか。
いうなれば、恋愛相手はライバル、結婚相手は同志。
相手がライバルから同志になった時、きっと皆、婚姻届けに判を押す。

文章にしてみると、至って普通のことを書いてしまい、ちょっと残念であるが、これが真実だと、念押しされているようだ。


この飲み会の時、私は、大切な友達の惚気話を「いいな~!」「うらやましい~!」と少女漫画を読む時の女の子のような前のめり姿勢で聞けず、どこか、一歩離れて客観視し、分析をし始めてしまう自分にはなはだがっかりしてしまった。そもそも私は、恋バナ好きなそこらへんの女であったし、良し悪しはとにかく、それなりに常に好きな人がいるタイプの人間ではあった。それが、今の私は、ついに恋愛を自分から切り離した世界だと自覚している。

結婚などと贅沢なことも、付き合いたいなんてハイレベルなことも望まない。まずは純粋に「恋」を求める心を、いつか、私もまた持てる日が来たら良いな、なんて思いながら。




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