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【日記】生きる気力と食べたい気持ち。

先日、父方の祖母(83)が緊急入院をした。

胆石による激しい腹痛に襲われ、体調回復と検査入院のため、そのまま入院をすることになった。


祖母はこれまでも何度か胆石を繰り返してきたのだが、今回は場所が深く、常時飲んでいる薬の影響もあり、すぐに手術をすることができなかった。体がそもそも手術に耐えられるかも関わってくるため、まずは検査をして、結果をみて、これからの治療法を決めていくになった。

父によると、祖母は手術をする場合、薬を1ヶ月ほど止める必要があるため、早くて8月になるのではないかということだ。今年の8月は、祖母の夫である祖父がなくなって3回忌になる。

今週末、ちょうど実家に帰る都合があり、私は正月以来、半年ぶりに祖母に会った。祖母は一回り小さくなっていた。
「食べられなくてねぇ。7kgも落ちちゃったよ。」
私と父がお肉屋さんで買ってきたカツとメンチにかぶりついているのを横目に、祖母は何も口にすることなく、そう言った。
「お腹痛くて食べることができない感じなの?それとも、食べたくない?」と私が聞くと
「何も食べたいって思わないんだよ」
という。そして、「そろそろ(寿命)なのかなぁ」と冗談ながら言った。

2年前に祖父が亡くなってから、祖母はいっきに歳をとったように感じる。祖父は、お調子者特有の明るく気前の良い話しやすい人である反面、後先と周りのことを考えない人でもあった。特にお金にダラシがなく、父も祖母もかなり振り回され、苦労をしてきた。そんな祖父が亡くなった時、父と祖母は、ある種、何かに解放されたようであった。しかし、やはり夫婦とはそんな単純な関係ではないのだろう。田舎に一人で過ごすことになった祖母は、みるみる弱っていった。

胆石は消えるものではないため、治療ができるまで祖母はひたすらに痛みに耐えなければない。
「昨日、夜お腹が痛くて、救急車呼ぶか迷っちゃったよ」と、サラッと言い出す祖母に、私は食い気味に
「そんな時は迷わず救急車を呼んで!!」
と言った。
「迷惑とか思わなくていいから、次何かあったときはすぐに救急車呼んでいいからね。あとあとひどくなって動けないほうが、もっともっと大変なんだよ。」
と何度も念を押したが、「うん」というものの、そこに力はなく、「まるで、時を待ってるようではないか。」そんなことを思ってしまう自分がいる。今の祖母は確実に生きる気力を失いつつある。

母方の祖父は、今年90になった。
祖父は15年ほど前、難病を患ったにも関わらず、大手術の末完治させた。昨年には脳梗塞にかかり、救急車で運ばれ緊急手術となった。周りは覚悟をしたが、祖父は後遺症も無く回復した。「100歳まで生きてやる」と生命力溢れた人で、健康意識も高い。量は少ないものの3食ちゃんと食べ、調子の良い日は一緒に過ごしている祖母とワインも飲む。

先日、退職後も再雇用で勤めているおじさんから、とあるご近所のおばあちゃまの話を聞いた。
「年金生活だからね、贅沢はできないわ。でも、週に1回鰻を食べに行くのよ!そのために、毎日質素に過ごしているわ(笑)」
おばあちゃま、鰻重1人前、ぺろっと食べてしまうそう。そういえば、上述した祖父と暮らす母方の祖母も、一緒に鰻屋さんに行ったとき、「そんなに食べられない」と言いながら、うな丼をぺろっと平らげた。この祖母も80歳を超えているが、今まで大きな病気にかかったことがない。

父方の祖母も、もともと歳のわりにしっかり食べる人だった。お客さんがくるとお皿いっぱいに料理を何品もつくって出すような、田舎のおばあちゃんそのものであった。だからこそ、「食べられない」よりも「食べたくない」はやっぱり何倍も危険な予感がする。

父が祖母の家の畑を耕している間、祖母と何の変哲もない世間話をしながら、ゴロゴロと過ごした。こんな何気ない時間を今送れたことは奇跡だと思うと同時に、これが最後にならないでほしいと強く思ってしまう。

「おばあちゃん、とにかく生きる気力を失ったらだめだからね!!」

帰る前にそう言う私を見て、はいはいと微笑む祖母。もう一度、明るい祖母とご飯が食べたい。




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