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Love is dead. 愛はもうそこにない

愛とはなんて非力なのであろうか。誰もが本当は、本質的には、心の深淵で他者とわかり合いたいことを欲しているのに、つまりは愛を欲しているのに、誰も愛を最重要なものとは見なさない。愛よりも、俗物的な金や、消費することの方が切実で優先されるべきことと考えている。というのが、エーリッヒ・フロムの教えだった。

むしろ愛などについて、口にでも出そうものなら、宗教的な何かを連想されたり、気持ち悪がられたりするものだ。私は愛を何かの道具として、それを用いて、何かを伝えようとしているのではない。愛がそこに「ある」ことについて、あまりに見過ごされている、この悲壮感について、言及せざるを得ないと考えている。

人間が自然との共生の中で営みを続けて欲しいという前提に立った上で、それでもなお人間が世界を「動かしている」と言うしかない状況において、では人間を「動かしている」ものは、一体何なのであろうか?

人間には、考える力がある。感情を表現する力がある。つまり、世界を巨視的に見ると、社会や経済や政治を動かすのは結果的に、微視的に見た人ひとりひとりの考えであり、感情である。
つまり、人間なくして、世界はここまで複雑に動くことができない。物をひとつ買うときだって、「これが必要だ」「これが欲しい」という思考があるから、消費するのである。思考の上に消費が成り立ち、その上に経済が成り立つと考える。また、仕事のときだって、誰に仕事を任せるか?頼むか?そこに全く感情が入らないことは無理だ。感情が入らずとも、考えなければ意思決定はできない。言葉からしてすでに「意思」という文字が入ってしまっているからね。人間は機械ではない。計算とあらかじめ予測されたプログラムだけで動くことは到底無理だ。

今日はどうであろうか?大局を判断する人、方針を決める人、戦略を考える人、予算を立てる人、それに基づく具体的な仕事を考える人、人に動いてもらうための枠組みを考える人、あるいは、機械を動かすプログラムを考える人、機械を売る文句を考える人、までは膨大な知識に裏付けられる思考力や判断力、経験など人間特有の力が必要である。
しかしその末端は?言われたことをあとはこなすだけになっているではないか。思考を必要とせず、決められた枠組みの中で仕事をする人は一体どれくらいの数にのぼるのであろうか?

考えずとも仕事をできる人にとって、愛は必要なのだろうか?家の往復、決められた業務時間、決められたルール、決められた生活態度、決められた人生のロールモデル。それに従って生きることさえできれば、同じく決められた範囲の中で生活している者と寄り添って生きることができるではないか?
そこに思考は要らないし、愛も要らない。愛とは、決められていないことであり、忍耐であり、責任であり、勇気のある行動である。半径100m以内の人だけを愛することは愛ではない。

では、半径100mを超えて「愛する」とは一体どういうことなのであろうか?私は、偉大な古典を残した者の名を挙げたい。たとえば、ゲーテ。100年先、200年先の者に愛を「与える」ことができたからこそ、今日にも作品は輝きを失わず、多くの人に多大な影響を与え、その思想の継承者をも、生み出しているのである。

愛は本質的に、多くの人に体験されていない。もはやホコリをかぶって埋もれている。愛は、思考を必要としなくなった者にとっては、遠い世界の出来事であり、たとえ自分の目の前に向かい合う者が、愛を与えることのできる者であっても、それに気づかない。愛を見落としている。愛を実感することができていない。

しかし、仕事上、社会の仕組み上、思考を必要としなくなった者でさえ、人間として、愛を渇望しないわけがない。それを意識しているか意識していないか、向き合っているか向き合っていないかの違いだけである。

愛と真剣に向き合う者に対して、多くの人はこう考える。「あつくるしい」「重い」「忙しいのにそこまで考えられない」「変に正義に訴えている」しまいには「意識高い」などと。

多くの人は愛と向き合うことを拒絶しながらも、やはり愛を必要としている点で、矛盾を抱えている。愛とは希有な現象になってしまったということが、すでに50年以上前から憂慮されている。

愛よりも実利だ、と思いがちになるが、愛と実利は実は切り離すことができない。比較の対象でもない。前述のように、愛は人を動かす大元のエネルギーだからである。人を動かすことができなければ、利益も生まれない。

私が願うことはひとつだけだ。愛と真剣に向き合う者がひとりでも増えるということだ。ひとりでも増えれば、(いやらしい言い方をすると)経済的に豊かになり、繁栄し、その結果再び、社会が育ちうるからだ。勿論、物事はそこまで単純ではない。
しかし、ここ30年の日本史を振り返る際、愛の欠如こそが、社会の後退と産業の停滞を招き、さらなる飛躍と繁栄を妨げているように見える。これは遠い遠い話であるかのように感じられるが、身近に起こっている話だ。

愛がないのは、悲しい。私はひとりでもいいから、ひとりでも理解して、向き合ってくれれば、嬉しいと思う。

Never escape from love.

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