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【読書記録 】『世阿弥最後の花』が現代を生きる私たちに教えてくれたこと。

大学の戯曲論という科目の課題レポートを書くにあたり、能について学ぶ機会があった。
それまでは敷居が高いイメージが先行して避けてきた分野だったけれど、文献を読んだり、映像を見ているうちに、能の舞台にある、糸のようにピンと張り詰めた静寂に惹かれるようになった。

そんな時、オードリーの若林さんがラジオで話しているのを聞いて手に取った本が藤沢周さん作の『世阿弥最後の花』。
佐渡に流刑になった世阿弥の晩年を描いた作品である。

72歳で流刑となり全てを失った絶望感、佐渡の土地で出会った人々との交流、あたたかさ。佐渡の四季折々の風景と、世阿弥の全身全霊の舞が文字を通して目の前に浮かび上がる。

何より、どこにいても、どんな境遇であっても、研鑽を積むことが出来る、花を咲かせることが出来る。人との巡り合いが転機をもたらすことがある、と力強く語りかけてくれるようであった。

付け焼き刃の知識なのでズレているかもしれないけれど、能について学んで感じた印象は「呼吸」。己れの内面に向き合う必要があるということ。自らと真摯に向き合い突き詰めた先に、能の至極の舞があるような気がする。そこに必要なのは「静」ではないか。

このめまぐるしい、息が詰まるような世界で最も必要なものでもあると思う。今、わたしたちを取り巻くたくさんのニュースには、混乱してしまうようなものや、見ているだけで胸が締め付けられるような世界の映像などがあふれている。

見るつもりがなくても、SNSを通じて目に飛び込んでくることもある。そして、いつの間にか気持ちが沈んでいたり、どっと疲れを感じてしまうこともある。

そんな時、スマホから目を離して、心を鎮める。静かに呼吸を整える。自らの内面に向き合う時間が必要なのではないだろうか。

そして、どこにいても、どんな境遇にあっても、腐らずに自分を高めるために研鑽を積むこと。

「いつか落ち着いたら」「また今度機会があれば」「もう少し様子を見たら」

そんなふうに自分を押し殺したり、やりたいことを我慢して先延ばしにしたりしないで、今自分に出来ることを精一杯にやりたい。

当たり前のことかもしれないけれど、この本を読んで改めて気づくことが出来た。

この本を読む時間はわたしの心の凪をもたらしてくれる至福の時だった。

能を知らなくても、今この時代だからこそ是非読んでほしい一冊。

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