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「欲しいものが欲しい」なんて状態になるなんて、大人になるまで分からなかった


物欲ってずっとあると思っていた

「ほしいものが、ほしいわ。」という有名なキャッチがある。

糸井重里さんが1988年の西武百貨店のポスターのために生み出したコピーだ。

私が生まれる前、いわゆるバブル景気の真っ最中に考えられたであろうこのコピーは、高度経済成長期からの「どんどん豊かになるぞ!」「どんどん便利になるぞ!」という空気を通り越して物にあふれる状態、「買いたいものは全て買ってしまった、買いたいものはもうないくらい」という当時の心情をうまく表しているのだと思う。

このコピーに出会ったときは衝撃であったが、知ったのは大学生時代。物欲に溢れていた。

常にマルイを徘徊し、新しい服を探す。
スタバやマックであたらしいフラペチーノやシェイクが発売されると飛びついて飲みあさる。
狭いワンルームを少しでもオシャレにするために雑貨屋を巡る。

とにかくいつも何かが欲しくて、満たされないことを感じていた私。
最近の自分の変化に非常に戸惑っている。


欲しいものがない

最近買い物に行っても、欲しい服がない。
オシャレをすることに今までよりも価値を感じなくなってしまったのだろうか。

飲食店で季節ごとに発売される新商品は、「どうにかして購買意欲を刺激しよう」という下心を感じてしまって購入まで至らない。

旦那と暮らす部屋をお洒落にしようとか、食器にこだわろうという気持ちも浮かばない。すでに大量にある食器はそのまま使わないともったいないと感じるし、今のままの空間が心地よいとも感じる。

この変化、なんなんだろう…

物欲の根源は?

今まで「欲しい」と購入してきたものは、なぜ「欲しい」と感じていたのか。

その根源は、自分を取り巻く「世間」だったのかもしれない。

服は、友人や彼氏に「お洒落だね」って褒められたら嬉しいから。

トレンドの飲み物は、周りの会話についていくため。

部屋の装飾は、遊びに来てくれた人が「センスいいね」って思ってくれたら嬉しいから。

…めちゃくちゃ他人本位だったのかもしれない。

コロナ渦で、図らずして他人との接触が減った今、

他人本位で生きてきた私は、欲しいものが無くなってしまったのだ。


自分の感受性を取り戻す

こんな状況になるなんて想像もしていなかったし、今の今までこの事実に気付かなかったということも正直悲しい。私は人より感情表現が豊かだという自負があるので、今までの購買意欲が他人のそれそのままだったという事実に少し落ち込んでいる。

私は、世間体をとにかく気にして生きてきた。
そのツケが回ってきたのかもしれない。

でも、今ここで気づけたのなら、少し時間を取って自分の感受性を取り戻したい。自分の人生を見つめなおして、ちゃんと、自分のために生きたい。

「ほしいもの」は、「ほしい」と欲しがるものじゃない。
自分で見つけるものなのだ。



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