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誰かの記憶に残るということ。誰かの人生に触れるということ。

つい数年前まで400人ほどだったFacebookでのつながりが今年1000人を超え、オンラインで繋がっていない人との出会いも含めたら一体今までの人生でどれだけの人と出会ってきたんだろうと思うと、小学校入る時に歌っていた「友達100人できるかな」の言葉に「えー100人も?」と言っていた自分もずいぶん年月を重ねてきたんだなーと思う。

そしてそんな数千人の出会いの中で、あなたはどれだけの人をふと思いだしたりするだろうか、と考えたら、きっとそういう人って片手か、両手くらいのものじゃないだろうか。

そしてもちろん私にも、そんなたくさんの出会いの中で、特別だった出会いはいくつもある。

そして、つい先日、そんな私にとっての特別なその子と約8年ぶりに再会し、そこで伝えられた言葉に、また私はメガネの奥から涙がぽろぽろと溢れてしまったのである。

これは19も年下の女の子から、数年という月日を経て、また前を向いて走り出す勇気をもらったお話しです。



落ちこぼれな私を"センセイ"にしてくれた女の子


その子は私がヒューストンに住んでいた頃に、現地の日本人ママが集まったコミュニティで一番最初に出会ったママさんの娘さんで、当時10歳、そんな彼女の当時の夢は「宇宙飛行士になりたい」ということだった。私が実は大学在学時代に宇宙物理学を学んでいたという話になり、「それだったら娘にいろいろ教えてあげてもらうことはできないかな?」ということで、私はそれはもうぜひ!こんなところで宇宙や科学に興味のある子に出会えるなんて私も嬉しい!と即答で "センセイ" を引き受けた。

嬉しい!という気持ちの反面、正直なところ、"センセイ" を引き受けるのはちょっと不安もあった。なぜなら私はいうても大学では落ちこぼれ。好きで物理の道を選び、念願の宇宙物理学研究室へ進学したものの成績はドベ。毎年進級もあやうく「お前は何しに物理学科きたんだ」と言われるくらい。大学の数学でつまづいてしまった私が、一体何を話せるかしら、と思ったけど、でも、私が物理を好きになった気持ちだけは本物だと思ったから、きっとそれを伝えられたら楽しいかな。それでもいいかな。と言ったら「もちろんだよ!」とそのママさんも言ってくれた。

不安はあったものの、でもアメリカに渡ってからというもの、慣れない暮らしにいっぱいいっぱいで、基本的には家事と育児で暮らしていた毎日の中で、10歳の子に物理や科学のおはなしをするというのは、私にとってすごくワクワクする企画だった。しかも聞けば、ヒューストンの日本語の書籍を集めた図書館で、宇宙関連の本を読破するくらいに関心が高い女の子。ともすると大学で落ちこぼれだった私なんかよりきっと一般知識はあるだろう。普通の授業をしてもきっと面白くない。なにせ私も普通の授業が苦手なタイプなわけだから。

「よし、日常世界のありとあらゆる出来事を、科学の視点で切り取るワークショップをしよう。この世のありとあらゆる学問は、実は繋がっていて、その全てが折り重なって世界っていうのはできてるんだよってことを一緒に感じられたらいいなあ。」

私は尊敬する偉人は?と聞かれたら、当時からレオナルド・ダ・ヴィンチだと答えていて、それはなぜかというと、彼の中にはアートも科学も全て天才的なレベルで同等に存在している、まさに彼という人の中に宇宙そのものがあるような人だったから。日本ではなぜか理系・文系なんていう分け方をして、まるで物理を選んだ人は国語や芸術が苦手で、英語が得意な人は数学が苦手、みたいな構造をしているけれど、そんなの全く関係ない。全ての学問はただ教育体系を整えるために分けられているだけであって、そこに違いがあるとすれば世界のありとあらゆる事象をどう捉えどう表現するかの違いだけで見ているものは同じはずだとずっと信じていた私は、どうにかそういう世界観を一緒に子供達と楽しめはしないだろうか、とここぞとばかりに私の好き勝手にワークショップを考えた。

・多面体とプラトンの立体と自然界の4元素のはなし
・慣性力と宇宙船と遊園地のはなし
・位取り記数法と古代文明のはなし
・ごはんとお味噌汁の科学のはなし
・じゃがいも電池と工作のはなしも
・情報社会のしくみとインターネットのはなし
・遠近法とトリックアートと絵画のはなし
・測定と自然科学と有効数字に見るせかいのはなし
・五芒星と黄金比と美しさのはなし

「本当の学びは、机と椅子で学ぶものじゃないから、みんな、自由に一番集中できる体勢で聞いてて全然いいからね。それに思いついたことや機になることはなんでも聞いてね。どんな気づきもかならず科学につながってるし、自分で気づけることには何より価値がある。」

彼女と、そして彼女のまわりにいた同じように科学ひかれて集まってくれた子たちはみんな、わたしがどんな話題を持っていっても、

「めいむさん!今日はなんのおはなしですか?!」

といつも前のめりになって話を聞いてくれたし、私が何を質問しても一生懸命考えて答えてくれた。

気がつけばひとり、またひとりと増え、最終的には男女10人を超える子たちと一緒に科学をテーマに遊んだ。

学校では聞けないはなしを、時に寝転がって、時に車に一緒に乗って、時にカメラを持って家を飛び出して、そして時に漫画の話でもりあがったりしながら、みんなリラックスしてお友達との学びの時間を楽しんでくれていたのはわたしにも伝わってきた。

一緒に学ぶと言う、やったことのなかったチャレンジにうまくいかないこともあったけど、でも本当にそれぞれみんながそれぞれみんならしく一緒に過ごしてくれたのは本当に嬉しい時間だった。

大体、メンバー内の誰かのおうちでやらせていただいていたんだけど、基本的にはお母さんは立ち入り禁止!笑 そうすると、お母さんたちはドアの外から様子をうかがっていて、「えーきょうはなんの話を聞いてきたの?!お母さんも聞きたかったのにー!」と、ワークショップのあとは夕食をごちそうになりながら話をしたりした。

一度、論理パズルの授業をしたときには、みんなで実際にコマをつくってあるひつじと狼の川渡しパズルの問題を解いた。この時、それぞれの子の親御さんもいらしていたのでお父さんにもやってみてもらうと、

「ん?どうやればいいんだ?あれ?やばい、わからないぞ」

お父さんやお母さんが、同じレベルで悩み、なんなら解けないその姿に、その子もお友達もみんな得意げに「こうやるんだよー!!」なんて話して、えーあなたたちこんな頭柔らかいの!と親子でニコニコしている姿はなんだか感無量だった。

思いかえすと、あんなに豊かな時間は本当になかなかなかったなあと思うし、自分が教育に関心を持ち始めたのは、あの時この子が私を "センセイ" にしてくれるきっかけをくれたからだというのは間違いない。



お別れと数年ぶりのメッセージ

約1年ちょっとのあいだ続いたサイエンスワークショップは、わたしたち家族のデンマークへの引っ越しを機に最後となった。引っ越しの直前にやった私たちの結婚式では、お祝いに、とその子をはじめみんながコリン・ファレルの「Happy」を踊ったビデオを作ってくれたり、引っ越し前のお別れのときには一緒にワークショップに参加してくれていた女の子達が、「メイムレラ」というシンデレラのパロディ劇で映像作品を作ってサプライズで私に見せてくれた。

もうね、サプライズとかね、そういうのは、泣けます。
結婚式でも、お別れ会でも、私はそれはもうボロ泣きでした。

そうやって離れていった後も、この子をはじめ何人かのお母さんとはちょこちょこLINEなどで最近どうしてる?などと話をして、その度に、「娘がめいちゃんに会いたがってるよ。本当に素晴らしい学びの時間をありがとう。また会えたらいいな」などと言ってくれていた。そんなふうに言ってもらえるのは純粋にとても嬉しかったし、私もまた大きくなったみんなに会いたいなあ、とずっと思っていた。

ただやはり海を超えて住む場所が違うとなかなか会うこともできず、途中一度会うことはできていたものの、特に文通やメールをするでもなく7-8年という月日が経ち私もデンマークからさらに熊本、名古屋と移動してきてやっと慣れてきたかなと思っていたとある日、また彼女のお母さんからメッセージが届いた。

「娘が今日本にいて、今度、インターン先の研究室で参加する学会で名古屋に行くみたいで、めいちゃんに会いたがっているんだけど、会えたりするかな?」

ええええ!なんですって!!!

あれ?まだ確か18歳くらいだよな。インターン?研究室?日本にいる?

いくつか状況は飲み込めないものの、いやもうもちろん会えるなら会いたい。当時から聡明だったあの子はいったいどんな素敵な女性に成長しているんだろう。しかも名古屋で再会できるなんて!私は本当にワクワクしながらその日を待った。



約8年ぶりの再会と名刺とコインと。


待ち合わせは彼女と、同じ研究室にいるロシアからの留学生の先輩とが滞在するホテルのロビー。ちょっと緊張しながらスタンドテーブルでスマホをいじりながら待っていると、向こうから私を呼ぶ声が聞こえた。

「めいむさん!?」

そこにはめちゃくちゃ成長した面影ある女の子が立っていて、私は正直それだけでもちょっと泣きそうだったんだけど、隣にいるロシアからの留学生と私とを繋ぎ今の彼女の暮らしや、研究内容の話まで、流暢な英語でその場を盛り上げてくれる彼女に本当に本当にこんなに立派になって、、、ともう親戚のおばちゃんみたいな目線でうるうる話を聞いていた。

いろいろと話をしっかり聞いてみると、彼女はアメリカで高校を卒業し、もうすでにシカゴの大学への入学も決まっているが、進路として今自分が選択しようとしている道が自分にあっているのかどうかを確かめるため、1年間ギャップイヤーと呼ばれるお休みを取り、日本へ帰国。彼女のおじいちゃんおばあちゃんのお家から地元の大学の興味のある研究室へ、インターンとして通って実際に研究をしているとのことだった。日本で、高校を卒業したばかりの子が、大学へ入る前に研究室にインターンで入学するとは、おそらくほぼ前例がないんじゃないだろうか。(少なくとも彼女の行っている大学や、地元の国立では前例がなかったそうだ)それでも、自分の未来のためにと日本で親元を離れてチャレンジをする彼女は、本当に素晴らしすぎて、拙い英語で爆褒めした。(ロシアから来た先輩も、彼女の方がもしかしたら研究内容に詳しいかもしれない、ととても嬉しそうに話していた)

そんな彼女が、おりおりに先輩に
「She is my best mentor. She is genius.」
とかえらいベタ褒めしてくれるので、「いやいやいやいや。ぜんぜんそんなんじゃないよ。でもいつも本当にそうやって言ってくれてありがとう。」と謙遜しながら聞いていたんだけど、

「いや、本当なんですよ。だって、私ずっとこれ持ち歩いてて。いろいろ落ち込んだり迷ったりした時に、めいむさんのこと思いだしてたんです。」

と、ふと財布からあるものを取り出して見せてくれた。

それは、なんと、数年前に会えた時に私が渡したらしい、私の名刺だったのだ。

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"Live Your Bright Dreams!"

これは私の座右の銘からとった、私なりの名刺に込めたメッセージ。

Don't Dream Your Life, Live Your 'Bright' Dreams!
人生を夢見るな、'明るい' 夢に生きろ。

名前が明夢(めいむ)だけにね。
名刺にはこのメッセージを込めてるんですが、まさかこれをずっと持っていてくれたなんて思いもよらなかった。

「めいむさんのこのメッセージを見て、いろいろアメリカで日本人として生きている中でアイデンティティに迷ったりした時とかに勇気もらったりしてたんです」

もう。なんていうか。信じられますか。

私は、自分が "誰かの記憶に残れる人" であることができていたなんて、この時まで本当に微塵も想像もしてなかったし、彼女がくれていた言葉も、全部を信じて受け取れてなかったんだということに恥ずかしながらこの時初めて気づいたんです。

あの時、ただただ楽しく過ごしていたあの時間が、10歳の女の子の人生に、こんな形でずっと残り続けることができていたなんて、本当に衝撃で、本当に嬉しくて、思わずハンバーグを食べながらぽろぽろ涙がこぼれ落ちてきそうだった。

さらに彼女は、大切そうにしまっていたこれまた私が渡した、「世界一幸せな国のハートのコイン」、デンマークの1クローネ硬貨にリボンをつけたものも大切に持っていてくれて、それも見せてくれた。

もう、、、なんていうか、、、

泣からいでか、、、、、



誰かの人生に"関わる"ということ


彼女が私に教えてくれたこと。
それは、

「人と人との関わりほど素晴らしい宝物はない」

ってことです。もっと言えば、

「誰かの人生に関われるということほど、素晴らしいことはない」

っていうことです。

私は彼女をはじめあの時一緒に過ごしたみんなに何か教えたつもりは特にありません。"センセイ" 的な役回りではあったけれど、一緒に感じたいものはあったけど、それは別に教えたかったわけではなくて、なんというか一緒に自由に遊びたかった。なんなら自分が子供の頃、こんな話を聞きたかったーと思うことをただ自分なりにまとめておしゃべり“させてもらっていた”ようなもの。だって聞いてくれる人がいなくちゃしゃべれないからね。

だから、感謝されていたことが嬉しかった、ではなくて、なんというか、

彼女の人生という物語の中に、何度も何度も私を登場させてくれていたことが嬉しかった。

彼女のたったひとつの大切な物語の登場人物として扱ってもらえたことが本当に本当に嬉しくて、

そうか、これが誰かの人生に"関わる"ということか、と思った。


彼女たちと別れてからの電車の中でも、表現しきれぬ感動につつまれて、私はうっかり目の奥をうるうるさせながら帰路についた。そして、彼女やあの頃一緒に過ごしたみんなの人生を想っては、なんとなく背筋が伸びる思いだった。

こうやって、ちょっとした時間がある人の人生を動かすことがある。

そしてそれは、きっと逆もありえるのだ、ということも頭によぎったからだ。

きっとこれからもたくさんの人と出会うだろうと思う。
そしてまた、いつか別れの時が来るかもしれない。

それでも誰かの記憶に幸せな形で残っていられたら、そんなに嬉しいことはないし、

また、私もたくさんの人との想い出があればあるほど、きっと私の人生は豊かだと思う。

とにかく一瞬一瞬を大切に。

ひとりひとりとの出会いをひとつひとつ大切に。

改めてくんっと前を向く、そんな時間をくれた彼女との再会には、本当に感謝しかない。そんな彼女の未来へ自分ができることは惜しみなくめいっぱいしよう、と心に誓いつつ、また肩を並べておしゃべりできる日を今から心待ちにしている。

また今日も、明日も。
みなさんにも素敵な出会いが訪れますように。

そしてその人と過ごす時間が、これから何度も想い出す、素敵な物語となりますように。

あー。今日も本当にいい日だった。



P.S. ちなみに、こちら、その子の作ったHigh School Video Contestにて受賞された動画作品です。日本人としてアメリカで育った彼女が伝えたいこと。私も受け取りつつ、これからも考えていきたいと思います。


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