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一通のメッセージで思い出した、自分の自己肯定感を取り戻した日のこと

先日、友人からFacebookのメッセンジャーに突然こんなメッセージが届きました。

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今週の蟹座のしいたけ占いのスクリーンショットに、

「めいちゃんは偉いぞ!」

こう一言だけ、添えてあった。よくよく読んでみると、しいたけ占いにはこんなことが書いてあった。



真面目な話もしておくと、2020年が結構な後半戦になってきて、今週あたりで蟹座は「色々なことを忘れる時間」も持ちたいです。ちゃんとここまで、あなたは頑張ってきたから。今、英気を養うことも大事なのです。普段自分が見ているものと違う風景を見たり、風に吹かれたり、「私なりに頑張ってきたよな」と自己満足に浸ったり、そういう時間が必要なのです。蟹座は、自分に対してどちらかというと厳しい人です。「まだまだ気は抜けない」と、自分で自分を認めることがなかなか難しかったりします。今はもう、自分のことを誇ってもよい時期であったりします。あなたがいなければ回らなかった場面もあったはずだし、自分で自覚している以上に、あなたは周りを助けてきました。だから、本当にあなたは偉いです。お疲れさまでした。恋愛面でも何も喋らなくていいので、気が合う人とただぼーっと風景を見る時間など持っていきたいです。

ーしいたけ占い 11月9日(月)~11月15日(日)の運勢(蟹座)、今週どう乗り切る?の項目

このメッセージをくれた彼女は、お仕事を通じて出会って一瞬で仲良くなり、お互い仕事をしながら子育てをするママとしても、企画やアイディアや想いを言葉に落とし込んでいく生業としても、またそれ以外にも共通項の多い同じ蟹座の友人。

いつも相手を思いやって声がけをしてくれている彼女のことだから、きっとこのメッセージを読んで、

「同じ蟹座のめいちゃんにも伝えてあげなくちゃ!」

って思ってくれたんだと思う。その包み込むような愛情を一瞬で感じて、もうすぐに泣きそうになった。だって、実はしいたけが見抜いている通り、私は自分で自分を認めることがなかなか難しい人間だったから。まさにこの占いは私へのメッセージだったし、だから彼女からの一言は私の心の奥のやらかいところに一直線に届いたんです。



自己肯定感、めっちゃ高い人だと思ってた!


普段えらそうに(?!)話しているせいか私は神経が図太く見えるらしく(今は否定はしませんが)、

「めいむさん、落ち込むことないでしょ。」
「めいちゃんは自己肯定感めっちゃ高いと思ってた!」

とよく言われるし、まさに今日も言われてきたところ。でもなかなか信じてはもらえませんが、私は元来自己肯定感はオブラートのごとくぺらっぺらに薄いあるいは溶けて無くなっていた人間でした。

今思えば愛情の裏返しなのかもしれないとは思いますが、私の母は事あるごとにより優秀な存在と私を比べる人でした。「あなたは小さい頃は本当に天才的だったのに今はもう凡人ね」「お隣の●●ちゃんはもっと上手よ、この間表彰されたんですって」「音楽をやっていくなら小学校の頃にコンクールで賞をとるくらいじゃないと」「本当に才能がある子は小さい頃から芽が出るのよねぇ」どんなにテストで100点をとっても、いろんなことにチャレンジしても、結局自分自身をそのままに評価してもらえることはなく、より上、より上との比較を必ずされてしまう。今思えば娘に期待するあまりのこと。母なりに私を思ってのことではありましたが、幼い私が自信を失いかけてしまう威力はありました。

そして小さい頃、私には「親友」と呼べるような唯一無二の存在がずっといなかった原体験も私を苦しめました。周りをみるとみんな誰か"一番仲のいい子"がいるのに、私はずっとあぶれ者。所謂 "女子の3人組" 構造の中で、おまけ扱いあるいは、残り二人の絆を深めるあるいはそう見せつけるために除け者扱いを受けたりハブられたり。じゃあ4人組に上手く入れたところで2+2になるかといったらなぜか3+1になり、自分だけ常にどこか浮いており溶け込めない。クラスのボス的な女の子に目をつけられて、ちょっとしたいじめの標的になったこともありました。

大人になって思い起こせば、こういうことはどうしても起こってしまうもの。誰かが悪いわけじゃなくて、子供に逃げ場がないことや、誰か一人でも偶然味方になってくれる人がいれば救われたりするところ、私には残念ながら当時絶対の味方はいなかったっていう本当に運や巡り合わせが悪かっただけだと今なら思える。でも子供時分にはなかなか理解することは難しかったんです。

そうなってくると私の頭の中に「私はありのままでは誰からも愛されることはない」という言葉が根をどんどん伸ばしていきます。そんな中学校という閉鎖社会で子供が生き抜くには、必死に自分を殺し、相手の趣味や会話に合わせる術を必死で学ぶしかありませんでした

そのくせ社会に出てからも、母の思想につられてなのか、とても理想が高かったという部分もあります。その理想に対して自分が矮小に見え、事あるごとに全て自分の実力不足あるいは自分の性格や気質が悪いから、自分が必要とされる人間ではない、自分は"あちら側"の人間にはなれない、どうせ切り捨てられる、私にはきっとできない、ああきっと心では私のことを悪く言ってるんだろうな、そうやって全て悪い方に悪い方に考える癖がありましたし、どんなに褒めていただいたその言葉も、上っ面のお世辞や社交的な挨拶程度にしか受け取れない時期がずっと続いていました。



自分を全肯定してくれる存在に出逢えたこと


「じゃあどうやって自己肯定感高くなっていったの?」

多分、私にとってその一番最初のきっかけは、私の夫との出逢いから始まります。今結婚した夫は、高校の同級生。自己肯定感ぺらっぺらの底辺からやっと少しずつ自分の力で這い上がろうとしていたくらいの頃。だいぶ仮面をかぶるのも上手くなりつつあり、少しでも"普通"になろうともがいていた頃です。

そんな中、同級生の夫に出会って、他の人が持っていない何かにどうしても惹かれ、玉砕覚悟で私から告白。記念受験に近いもので、とりあえず気持ちだけ伝えようと思ったら、まさかのOKをもらい、初めての"彼氏"ができた。別に当時両思いだったわけではなく、まず付き合ってみてもいいかなっていう程度だったそうですが、そんなのは全然よくて、私にとっては青天の霹靂の出来事だったんです。

つまりこれが、私にとって初めての唯一無二の存在ができた瞬間。誰かのおまけではなく、私を一番だと言ってくれる存在がこの時人生で初めてできたんです。例えるなら、水の中でごぼごぼ不器用に泳ぎ続けてきた自分が、はじめて水面に浮かび上がって息をすることができたというくらい、私の人生にとってめちゃくちゃ大きな出来事でした。

そして、夫の存在と同じくらい大切な出逢いが、私がヒューストンに滞在中に二つも同時にありました。

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ハコミセラピストの Hiromi Willingham さんと、ドゥーラの 木村章鼓さん。ヒューストンに引っ越してから、ご縁で出会ったこのお二人。共通するのは 地球まるごと包み込むようなとてつもない慈愛と人類愛に満ちた人たち だということ。Hiromiさんはセラピストとして、章鼓さんはドゥーラ(出産に寄り添うサポートを行う職業)として関わる方々に惜しみない愛情を注いてくださっています。

正直なところ、当時非常にひねくれていた私は、こういったセラピストや人に寄り添う職業の人に対しても、どうせ最後は自分の手に余るようになったらこの人たちも私を見捨てることがあるだろう くらいに思っていたことを正直に言います。そして、それは全面的に私が間違っていたということも、ここに全力で伝えなければいけません。

彼女たちのメッセージは常にこうでした。

【あなたはありのままで、ただそれだけで美しい】


彼女たちは、本当に私たちが、生まれながらにそれぞれが女神のような存在であると信じていました。能力がすぐれているとか、見た目が美しいとかではなく、魂から美しく、誰しも女神のような存在なんだと本当に心から思っている。弱いときも、うまくいかないときも、止まってしまうときも、あるがまま自分を見つめてあげてと。人は誰しも成長の種を持っていて、ちゃんと心と体が発するメッセージを正しく見つめてあげれば、自然と花開いていくものだから、ありのままが一番美しい姿なんだよ。だからあなたは本当に美しいんだよって。

言葉だけ見れば、正直そういうメッセージは世の中にもありふれている気はするんですが、言葉って、良くも悪くも相手を説得しよう(相手の考えを変えよう)という意思が垣間見えたり、自分をよく見せようとしていることがあったりで、私にとってはそれを聞くのは苦痛でした。

でも彼女たちはなんていうか、説得しようとしてるんじゃなくて、ただ自分が心から信じてることをただ伝えているだけ。その言葉は純度100%本心からきているということが、彼女たちの振る舞い全てから読み取れました。彼女たちは、自分の信念と行動が100%一致している人たちだったんです

そしてそういう、【自分の損得ではなく、自分の信念をもって人に接することができる人がこの世に存在する】ということを知ることができたことが私にとってかけがえのない経験で、そんな人が自分をいつもいつも会うたびに自分を全肯定し、抱きしめてくれた。その経験が、自分を否定し続けたからっからのひび割れた砂漠に少しずつ水を蓄え、オアシスの種をくれました



受け止めきれない言葉や想いを、ひとくちサイズで


セラピストのHiromiさんとは、ママさん向けのセラピーワークショップなども一緒に開催していたのですが、その中で自分の自己肯定感のなさを癒すポイントとして私がすごく印象的だった言葉が、

"まずひとくちサイズで試してみましょう"

っていうものでした。

それは、例えば私の場合、人からの感謝の言葉をそのまま素直に受け取ることができないという問題がありました。自分の評価が低いため、相手の感謝の気持ちが信用できないんです。なので私の場合、人から認められたくて人のためになにか色々動いたりするのに、いざその人から感謝されてもそれを受け取れず、逆に不安になりもっと動き、疲れて疲弊してしまうというおかしな循環が生まれていました。

そういう時、まずは受け取った言葉をそのままつっかえして否定してしまうのではなくて、1秒だけ、あるいはその言葉の一部分だけなど、ひとくちサイズで受け取る練習をしてみましょう、ということ。

一度、友人がくれたおっきな感謝の気持ちを、1秒だけ抱きしめてみたら、もうそれはそれは涙が止まらなくて、自分がずっと渇望していた「誰かから必要だと言ってもらいたい」「友達が欲しい」っていう願いは、もうとっくのとうに叶っていたんだっていうことにただその時に気づきました

そして、長く自己肯定感不足を補うために必死でやってきたことそのものも、全て今の自分を支えてくれている宝物になっているということにも気づくことができた。誰かのために頑張ることは、無理をしている部分もあったかもしれないけど、でもそれ自体が自分らしい行動の一つだったこと。どうして?どうしたら?と考え続けたことが、今の自分の思考力や言語化力に繋がっていること。自分が思い悩んだ分、誰かの悩みにもたくさん伝えてあげられることがあること。答えのない問いに対して、とにかくできることを挑戦し続けた経験があるということ。

そして改めて、過去を含め自分自身を取り巻く環境全てに、関わってくださった人たち全てに感謝の気持ちが溢れてきて、その感謝の気持ちをひとくち分だけ、自分にも向けることができた

多分、そこからやっと少しずつ、安心して自分らしさのパーツを増やして、自分らしい生き方ができるようになり、それに伴って少しずつなんだかふてぶてしくなってきた気がします(笑) 

だって自分は自分だし、自分として生きてきたことに誇りを持っているし、それは肩書きや経歴とかに置き換えられるものではないから。そして同じように、相手も一人の尊敬できる人として見ているので、相手が社会的に何者であろうときっと私の態度は変わらないんです。

ちなみに、自分の中で少しずつできあがっていった私の【自分らしく生きていくための自分ルール】がこちら。

・誰かからの評価のためではなく、自分が心地よく頑張れる環境で頑張る
・頑張った結果、褒めてもらったり感謝してもらったときは、その時にだけありがたく全力で受け止める
・そしてその後は手放して、自分を過大評価も過小評価もしない
・理想を高く持ってもいいが、自分を他人と比較しない
・大好きな人に囲まれて暮らす
・今の自分が過去最高の自分、明日の自分は、きっと今日よりちょっとだけ素敵な自分

でもこれも、きっとひとりひとり違うし、違って良いし、むしろ違うべきなんじゃないかとすら思う。でも大体こういう自分ルールというか、自分の取扱説明書をしっかり理解している人とは、たとえ信じるものが違っても、それぞれを尊重しあいながらちゃんと話ができる印象があったりもします。人って本当にひとりひとり違う。自分を深く知ることで、相手や違いにも寛容になっていけるのも素敵なことですよね。



人はひとりでは生きていけない、
でも誰かと一緒になら何倍も何十倍も美しい世界を生きていけると思ってる


自分を認める自己肯定感を育てる装置がもし故障していたり止まってしまっていたなら、たったひとりでそれを直すのってやっぱり難しいことなんだと思います。その種はきっと誰しも持っているんだけど、そこに水や太陽の光が届かなければ芽吹かないのと同じ。他者からの愛情を持って人は人として成長していくことができるんだと、実感しました。

だから、もし自己肯定感を持つことができない昔の私のような人がいたとしたら、ぜひ他の人からあなたを認める言葉をもらった時に、ひとくちサイズで受け取る練習をしてみて欲しい。もしその時受け取れなかったら、宝箱みたいなものにしまっておくといい。ほんのひとカケラでいい。きっと必要な時に自分を助けてくれるから。

そして、自分に心の余裕が出てきたら、自分が受け取った気持ちを、大切な誰かに向けてあげられたらいいよね。冒頭受け取った一通のメッセージで、そういう大切なことに再度気がつきました。いつもいつも、私を突き動かしてくれるのは、こういう誰かのあったかい気持ちや思いやり。ああもう一つ。その人のまっすぐな信念もある。

だからこれを読んでくださった方みなさんに私から。

“今はもう、自分のことを誇ってもよい時期であったりします。あなたがいなければ回らなかった場面もあったはずだし、自分で自覚している以上に、あなたは周りを助けてきました。だから、本当にあなたは偉いです。”

本当にいつも頑張っている。
そんなあなたは、ありのままで美しい。
頑張りすぎて疲れてしまう前に、
ちょっときれいなものでも眺めて、一休みしたくなったら、
ぜひ、声かけてくださいね。
一緒にのんびり、その時間を愛でましょう!

今日もみなさんの1日が素敵な1日になりますように🙌



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