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2乳幼児ワーママ南アに行った【最終回】帰国後と3年後の現地と私

息子のハグの歓迎&娘の変貌

約25時間かけ、成田空港についに帰国。空港まで迎えに来てくれた2歳の息子。
ゲートを出てすぐ抱き上げたら、小さく柔く儚い身体にびっくりしてしまった。

電話越しでお喋りな君は、そうだ、こんなに小さかった!
こんなに小さな体で待っていたんだね、待たせてたね、と思った。
ハグの感覚すら忘れていた。

9ヶ月になったばかりの娘は、会うとニーッコリ。
5週間ぶりのお母さんをちゃんと覚えててくれた。
会いたかった想いを全力で込めてハグ。

しかし!
娘は猛烈なパパっ子に変貌していた…。
お父さんが横に居るならお母さん抱っこに全力で抵抗のうえ、半身を翻してお父さんに乗り移ろうとし、
夜起きてもお父さんを探し、
後追いもお父さん。
お母さん無力。
お母さんも、もう居るんだけどー?
お母さんが、寂しい。。。
お母さん挽回するよぅ🥺

家族内外の助けによる「変わらぬ我が家」

私が不在の間の育児は、保育園および両家の両親に手伝って貰った。
それだけでなく、この機に家事代行や家電も試したり買い、駆使していた夫。
本当に安心して頼ることができた。

息子も娘も「寂しくて泣く」とか、塞ぎ込むとか、どうにも手が付けられなくなってしまうことは無かったらしい。
お陰で夫が大変過ぎて気持ちが挫ける事もなく済んだ。
「楽しかったよ」の一言。

私のプロジェクトでは良いインパクトを出す、すなわち「変える」ことを追求していたけれど、夫の「変わらぬ我が家」がこそプライスレス。
本当にありがとう。

夢から覚め想い抱いて歩き出す

本当にあっという間に母/妻/会社員としての日常に戻ってしまった。
南アに一昨日まで居たのに、あれ?南アなんて行ってたっけ?と思う程、隔世の感がある。
南ア滞在の経験は、元の生活とあまりに連続性が無さ過ぎて、5週間の記憶がまるで夢のように儚く感じる。
特別な時間だった。

でも、教訓や決心まで夢で終わらせてはいけない。
- あの時の強烈な悔しさ
- あの時のショック
- あの時ゲラゲラみんなで笑ったこと
- 英語で議論出来るよう努めること
- 誰の何を問題とするか考えること
- 気が付いた日本人の長所
思い出を心に刻んだまま、東京での新しい日常を歩んでいきたい。
Let’s carry on, carry on. 

終。(2019年7月)


3年後の2023年から見て思うこと

さて最終回。
最早3児の母となった自分から、当時と現地を少し振り返りたい。

コロナ感染症が大打撃となった南ア

今でも「よく南アフリカ行ったな」と思うが、これはコロナ感染症が流行する前の話だ。(私が当時勤めていた会社では、コロナ禍に、この社会貢献プログラムを中止し、海外派遣ではないプログラムにした)

コロナ感染症は南アフリカでも大流行し、失業率は残念ながら2021年に史上最悪となる。
23年時点でも、3年前よりまだ悪く、改善の途上だ。
観光業が一大産業の南アにとってコロナは痛すぎた。

↓こちらの21年の記事では我々の取り組んだ、若者の失業についてレポートされているが、今も厳しい状況であろう事を想像させられる。

希望を強く感じるのは、私達がサポートし、プロジェクトにおけるお客様だったNPOの活躍だ。
若者向けの職能訓練、中でも起業サポートに力を入れていて、規模を大きく拡大している。

日本で普及期にある男性育休

私が南アに飛んだ当時、パパの育休、それも6ヶ月は相当に珍しかった。
しかもパパ育休はママの育休中に同時に取ることも多かった。
つまり、母がフルで外勤する(しかも途上国に行く)ために育休するのは更に珍しかった。

若干のパパ育休の先行者として、夫は取材を受けたり、セミナーで話をするような機会にも恵まれて、この事は我々夫婦にとって非常に興味深い体験になった。

男性育休が法制化されたので、これからはもう私たちの経験は珍しく無くなると期待している。

多くのママ達に面白いことに挑戦して欲しい‼︎

2019年の日経新聞

私の新しい挑戦

3人目の子宝に恵まれた後、私は結局、フローレンスというNPOに転職して「誰の何が問題か」をウンウン考える仕事を得た。

そしてイギリスの大学院に行こうとしている。受験生として英語とまた格闘しているし、合格したら四苦八苦するのであろう。
(夫はアメリカの大学院で今そうなっている)

勉強するテーマは価値観を問う深い議論を要求されるものだ。英語でそれをやらなければいけない。

長い時間を掛けて、東京とアメリカの土地を経て、南アフリカで抱いた決心の延長線上に今立てている、と感じる。

頑張ろう!