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3児の母でもイギリス大学院に留学したいワケ

ニューヨークの田舎で夫の大学院留学に帯同している私。現在イギリス大学院への進学に向けて出願中。
なんで今わざわざ留学したいの?をまとめておく。

出発点:ニューヨーク生活の始まりは専業主婦の始まり

作夏の渡米にあたっては、楽しんでいたNPOを退職し、社会人になって以来12年で初めて、いわゆる「専業主婦」の肩書きを得た。

米国では私は、

  1. F-2ビザ(学生帯同者向け)なので正規の就業はできないし、

  2. 倹約の観点から、子ども達の自宅保育をせざるを得ない(※)。

ゆえに、私にとって専業主婦は、渡米とともに「なるっきゃない!」職業なのであった。

※私費留学の我が家は、目下ほぼ無収入。超高額な学費から生活費まで貯金を切り崩して捻出しているうえ、米国の学童および幼稚園の類は日本の倍以上お金が掛かるので、もし子ども3人を平日に11時間、保育アウトソーシングしようものなら、月50万円は掛かる。

脚注

渡米してからというもの、
子ども達が徐々に、でも凄いスピードで英語を吸収していく様子をツブサに見て、
それぞれが当地の新しい友達や先生と関係性を獲得していく様を応援し、
季節の果物狩りを親も共に楽しみ、広々とした川や雪原で共に遊んだ。

その経験は本当に幸せなものだった。
専業主婦として子どもの近くに居たからこそできた経験だと思う。

しかし渡米後しばらくもすると、むくむくと「私も勉強したい!大学院行きたい!」という思いが湧き上がって来た。

何故か。何故、勉強それも進学なのか。

育児と相性の良い時間の過ごし方:時間的自由度の高い職業としての学生

まず、夫が修士で勉強してみて、学生生活の時間の流れ方が非常に育児と合う、ことに気が付いた。

学生である以上、

  • 学期や休暇は子どもと同時期だし、

  • スケジュールは基本的に自律的なもので、他人に拘束され辛く、

  • 学期末の試験/レポートに向けて日々の努力を積み上げていく

ように時計の針は動く。

大量の課題読書などがあり忙しくない訳ではないし、授業やグループワークの時間は断固として確保しなければいけないが、
それでも例えば大抵のサラリーマンのように平日は8-18:00ずっと仕事に拘束されていることや、
変わりゆく社会のダイナミズムに合わせて、一週間の中でも様々なタスクの締め切りがあったり、突発的な対応も必要であったりする状況と比べると、1日や1週間単位の時間の自由度は大きい。

この時間の自由度こそ、育児にとって必要なものだ。
「親になると時間の約束を守れなくなる」
とも言うが、幼い子どもを中心に暮らすと時間の感覚がアフリカン・タイムくらいルーズなのがちょうど良くなるものだ。

本来的には勉強したいことがあって学生になるのだが、時間の自由度の高い職業として、学生になることのメリットの体感が先にあった。

その上で、もちろん、勉強したいことも、あった。

子を持つ親としての疑問:将来世代の利益を守る政策プロセスがあるべきでは?

2018年から今にいたって3人の子どもを育てる中で、日本社会の現状に対する憤りや懸念はいくつもある。
日本の子育て政策にはガッカリしているし、少子化対策の本気の無さには更にがっかりしている。

今春の子ども家庭庁の発足に、「異次元の少子化対策」の表明に、と日本政府としていよいよ本腰を上げるようなメッセージも出されているけれども、個人的には、期待は低い。
むしろ2025年以降、団塊世代が後期高齢者に突入すれば、再び「老いと終末期」をどうケアするかという問題の方が優先され、更に子どもに纏わる様々な問題が放置されるのではないかと恐れている。

また、子育て政策や子ども支援政策の個々の良し悪しを超えて、政策決定の全体に通底する、何かがおかしい、という違和感にもここ最近は自覚的になっていた。

しばらく時間を掛けて「本当のところ、自分は何を訝しがっているのだろう?」と考えるうちに、私の違和感は
「どうして将来世代の生活に関わる重大なことを、現役世代の意思で政策決定してしまうのか」
という疑問に集約されるように思った。

なぜ、国の借金を将来世代へ先送りし続けて良いのか?
なぜ、現状の気候変動対策への注力やスピード感が許されるのか?
なぜ、有効な漁業の資源管理は実施されないのか?

これは、特にシルバー民主主義とも言われる日本の、生まれくる将来世代より、むしろ去りゆく先達世代の民意が圧倒的に反映されやすい政治環境を私が念頭に置くからこそ、生まれてきた疑問なのだと思う。

  • 日本の15歳以下の子どもの総人口に占める割合は、既に世界最少で(約12%、OECD平均は17%。ニッポンドットコム

  • 日本の女性の生涯無子率は、27%と先進国で最も高く、今後も上昇する見込みだ。(日本経済新聞

  • 2050年には、有権者の半分以上が60歳以上の高齢世代になると予測されている。(平成29年度版高齢社会白書

これは、日本では将来を担う世代も、彼らに関心がある世代も、いずれもどんどん減っている、という厳然たる事実だ。

このまま日本では将来世代が益々政治的マイノリティーになり、政治環境として将来世代の便益を守るモチベーションは減るばかりだ。

そうであるならば、個々人の有権者や政治家などに「将来世代のことをもっと考慮して!」と呼びかけることも重要だが、
将来世代の生活に関わる重大な政策決定には、将来世代の便益が積極的に確保される政策プロセスが「仕組みとして」必要なのではないか?
と考えるに至った。

欧州の将来世代を考慮する制度的試みから学びたいのでイギリスへ

そんな中で、欧州で先行する様々な制度に興味を惹かれた。

例えばドイツやハンガリーで真剣に議論された、デメーニ投票
(子どもにも全員投票権を与え、それを子の親に信託する。親が2人分の投票権を持つことになる。c.f『世代間における一票の格差』)
あるいはイギリスのウェールズやフィンランドに設置されている、将来世代のための諮問委員会
(将来世代の厚生を守る観点で政策をレビューし、必要な政策変更の助言や更なる考慮を促す専門機関。以下のnoteに概説されている。)

こんな制度が日本でも導入できないだろうか?
少子化を最先端で進む国ならば、こういうドラスティックな制度こそ、日本が採用しても良いのではないだろうか?
欧州で議論された中には、もっと色々な制度もあるはずだ(例えばオンブスマン制度など)。議論では何を重視し、何に妥協したのかも興味深い。

趣味として情報収集するのではなく、日本への応用可能性を真面目に検討するべく、研究対象として考察したい。

そのためには、できるだけ現地に近い場所で勉強したい!ということで、イギリスの大学院で勉強することを目標にした。
イギリスの中でもどの大学、という観点ではまた複数の候補から選ぶ過程があったのですが、ここでは一旦割愛。

ちなみに、日本でもフューチャー・デザインというゲーム理論を応用した手法を使って、将来世代の便益を考慮した制度設計の研究がフューチャー・デザイン研究所によってされているので、私も注目している。

最後に:人生100年時代、あと30年働くことを思って今キャリアチェンジを

かつてリンダ・グラットンが提唱したように、今を現役世代で生きる私たちは複数のキャリア・ステージを持つようになる。

20代から60代という時期を、仕事一辺倒、キャリアアップ一筋で過ごさない。(略)仕事・学び・遊びのバランスをとりつつ、柔軟に人生を組み立てていく。(略)会社も政府の年金もあてにならないいま、65歳までの働きでその後の長い人生を賄うほど貯蓄をするのも難しいでしょう。となれば、できるかぎり健康に過ごし、より長く働くことが求められます。

そうした生き方を可能にする新しいモデルがマルチステージの人生です。

上記「ライフシフトについて」Webサイトより

私は現在30代。
私のこれまでのIT企業勤務が第一ステージ、NPOでの勤務が第二ステージであるとすれば、第三ステージ以降でも、まだ30年は働くのだ。

もう一回今まで生きてきた分の人生をやり直すくらいの時間、社会人として働く。

もし、大学院での勉強を終えて、将来世代の利益を守るような政策決定プロセスの日本への導入を提案することを本業にするとしたら、シンクタンクの政策リサーチャーや、政策起業家となるのだと思う。

全然違うノウハウを物凄い量で身につけないといけない。
一応、学士は政策科学だけどキャリアは全然関係ない。
今からの私で間に合うのか?という不安はある。正直とてもある。自分の能力の限界もよくわかっているつもりだ。
キャリアチェンジの定石は「ピボット」だとしたら、このチェンジは大き過ぎてそうとは言えないようにも思う。

でも、きっと何か良い形で、できることが見つけられるはずだ。

将来世代の利益を守る政策決定プロセスがあるべきではないか、という問い自体への確信ーーー自分がこれを追究したいという強い確信と、日本でもきっとこのような議論がいずれ起きるだろうという期待の混じったものーーーは揺らがない。
だから、本当の職業名が何になるかは今はわからないけれど、
きっと・きっと、勉強したものと情熱を持って帰ってきた時に、日本社会の中にフィットするポジションを見つけられると思う。

Life is short, but yet more 30 years!!