見出し画像

「走っちゃう発達っ子」の園探し日誌①~保護者と教育者側の間の壁~

「とにかく身体を動かす、それがいい」
そして、話が入る瞬間を見極めている………と、言われた。

つい先日の、2歳9か月児のグループ療育でのことだ。心理士さんからこの言葉をかけられて、私は少々戸惑っている。

我が子に教育を施す時間が100パーセントあるとして、そのうちの80パーセントないしそれ以上を毎日走り回らせるだけにしたらどうなるのであろうか。
療育の時間中は知識ある大人の目もあるのだからそりゃそれでいいかもしれないが、それ以外もそんな状態だったら主に母が寝込む事案になるのだが。

そして懸案の園選びだって、この発言に基づいて背後に児童精神科医付きの、運動カリキュラム中心の体育会系園(カリキュラムが嫌で泣き出す子も居る軍隊園)を勧められてしまって非常に困惑している。

…うちみたいな子の情緒、それで安定するの?
社会に順応する為のルールの理解、ただ運動することで理解出来るものなの?というか息子、意外と手先を使っての作業も好きそうなんだけどそこは特に無視していく方向なの……?


といった具合に。運動して衝動エネルギーを発散させて、それで生じた要求を発語につなげるというのは一理あるかもしれないのだけど、何も最初からわざわざ3年分の時間を運動に全振りすることはないのではないか。そう感じてしまうのだ。

◇◇◇◇◇               

若干息子の状態を説明すると、市の方針もあって診断はとっていないが、遺伝の系統と本人の特性から考えると、恐らく知的を伴わないASDとされる子どもである。そして多動になる時というのは居場所感が無いなどの具体的な理由がある。
グレーゾーン判定である可能性が高い、というのは幼稚園教諭の実母と学童加配経験者の実弟の評である。
そんな彼の実態と課題を踏まえて、今現在家庭では座ること、或いは室内遊びのラインナップを増やして会話に繋げようとしている。
その効果があったからとは断定出来ないが、息子はそれまで走り込むだけだったところから遊びの手数を増やして、集中して遊べるようになってきた。更に語彙も増やせた気がするし、どちらかというと問題は初見の場所などの不慣れな場所での突発的な行動をさけることになってきたようなのだけど。
そして受動型であるが故に、話をしておけばかなりおとなしくステイすることも出来るようになってる。
それなのに運動カリキュラム中心園とは・・・・・

決して運動カリキュラムが悪いわけではない。
むしろお子さんの体力作り・運動能力向上を求めたい親御さんからすれば、きっと理に適ってる。

でも、我が家には…
そういう話である。


指先を使う楽しさだって、情緒を整える音楽や宗教的な教育だって、たとえ全部が彼の身に入らずとも保護者としては施してやりたいというのに。

専門職の方のご意見に素人が反することになってしまうが、わざわざお月謝を支払って迄走らせるのは、息子に今必要な教育のジャンルとして異なるのではとどうしても感じてしまうからだ。

もちろん他所のお子さんに迷惑をかけないようにしないといけないし、先生方にも疎まれない風土の園でないといけない。あとは別にうちだけに限らず、担任のほかにサポート役の先生がいらしたら尚良いのだけど……それは確かであるのだけども……たとえ発達に凸凹があるといえど、教育の内容に希望を出すことは分不相応で贅沢な話なのだろうか。

そしてこれが、福祉職と当事者の見当が異なる、或いは教育の現実と理想の壁という事案なのだろうか。

正直、どうも飲み込めなくて困ったものだ。

◇◇◇◇◇ 

この発言の数週間前に、気になっている幼稚園へ見学に行かせて頂いた。ミッション系で、今時珍しくお勉強系カリキュラムは皆無。ひたすら子どもを遊ばせて、コミュニケーションの中で情操教育を施すと謳う園であった。

我が家の方針として、両親ともにゆるゆる幼児教育しか受けず、しかも特に小学校・中学校受験なんかせずに希望の大学に行けた体験から、そういう特化したカリキュラムを持たない、子どもの求めるままに遊ばせてくれる園を希望している。

ただし勉強や運動なんかのカリキュラムは重視しない分、幼いコミュニケーションをしっかりフォローしてくれる教育は求めたいと考えている。
この気になっている園には加配の子も、いない事はないらしい。出願前にそれってお願い出来るものだろうか……

兎角そういう噂を聞いたため、意気揚々と行ってみたのだ、が……


案の定息子は見慣れぬ園にワクワクしてしまい、集団行動中に脱走してしまったのであった。
先生の一斉指示を一度ちらりと聞いて納得し、しばらく集団行動しておいて……からの、好奇心満々の表情で。
あー、やったか、やはりやってしまったか。
フォローに入るけど、先生の目線はどうだろう…即座に私の脳内の黄色信号が灯った。
ここから、彼の凸凹に対しての受け止め方が分かれてくるからだ。

◇◇◇◇◇ 

結局その後先生のフォローはなく、通常通り我々親のフォローで対処した。それで彼は脱走を止め、集団へと戻っていった。
先生は脱走行為に無反応だったし、これは赤信号に変わるな…そんな気がしたところで、

「お子さんに一番あった園があればいいですね」

という園長先生からのお祈りメールじみた赤信号を頂戴してしまったのだった。
走り回ってしまうタイプの発達っ子に対する幼児教育への困難さ、それから園側の受け入れ可否の都合という、教育側と福祉側の見解が隔たった空間を経て、暗黙の中で一致した瞬間であった。

同時に当事者側が希望した教育の途が閉ざされた初めての瞬間でもあった。

当初想定していたイメージより、かなり色々な評価がなされたことで飲み込みきれないところではあるけれど、恐らくそれぞれの園・そこの社会との壁は近づいてみて、触れてみたときにその実態が分かるのだろう。
それこそ、今回のように。

コロナの折であっても、一応来年の4月から年少保育を考えている立場としては、もうあまり時間が残されていない。だとしてもまだ明確に見つけられていない、理想と現実の間にひっそり有る筈の息子に合った園を探していく他ない。
どうにもこうにも厳しいと感じるけれど、モンスター親に成らずに済むように気をつけながら、めげずに頑張っていくしかないと思うばかりだ。
(でも既に子の特性を認めない困った親認定されてんのかなorz)

もし拙記事がお気に召したようでしたら、サポート賜れますとありがたいです!次の記事の活動費にさせて頂きますm(__)m