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今更ですが『進撃の巨人』のすごいところ

佐藤芽衣

諫山創さんの『進撃の巨人』が2021年4月に完結した。

『進撃の巨人』の作品としての卓越性や完成度に関しては、よくわからない。それは何故かというと、こちらが複雑な設定を覚えきれないからだ。ウォール・マリア、シガンシナクってどこだっけ? ということがよく起こる。架空の世界の地理と歴史が覚えられない。現実の地理や歴史だって、ぼんやりしているので、言わずもがなである。

細かいところは、ファンブックなり、批評家の方が分析をすればよいと思う。(エルディア人とマーレ人ですら、ときどき混乱する)

この作品には「大人」がいた。それが最大の美点である。

『進撃の巨人』における「大人」とは、メインキャラクターのエルヴィン、ハンジ、リヴァイ、サブキャラクターだとピクシス指令あたりまでを含む。

エルヴィン、ハンジ、リヴァイは、ワーカホリックで、責任感があり、道徳的であり、倫理観があり、自分と他者の弱さも受容しており、犠牲を強いていることにも自覚的である。すんごいブラック企業にいる優秀な部長、課長といったところだろうか。この漫画のテーマの主軸には、仕事と組織がある。彼らは自分たちがわかっていないこと、未熟であること、命の責任まで取れないことを素直に認め、部下に選択の自由を与えたうえで、自分で考えろ、と突き放す。

翻って、現実の上司たちはどうだろう。仕事に興味があるふりだけがうまくて、自分の家族、生活のことしか考えていないくせに、些末なことに大騒ぎして、突然被害者ぶったりする。中小企業だと、気分次第で、人をクビにしたり、降格人事を人質に傍若無人なふるまいをしたり、平時なのにやりたい放題。自己保身がうまく、部下にプレッシャーをかけるだけで、全部、部下の責任として、事態を処理したりする。調査兵団の仕事は過酷だけれど、現実の上司たちのふるまいに比べると、まぶしいぐらいに真っ当なのだ。

エレン、ミカサ、アルミンは、正直、ずっと信用ならない主人公でもあった。その対比として、エルヴィン、ハンジ、リヴァイが配置されているのだと思いながら読んでいた。

『新世紀エヴァンゲリオン』との決定的な違いはそこにある。エヴァには子どもしか出てこない。年を取っていても、中年でも、子どものようにふるまい、子どものような性的衝動を抱えており、なんというか、まったく信用ができない。でも、こちらに妙なリアリティを感じてしまう。

ねえ、いつ成熟するの? いつ大人になるの?

マッカーサーに「日本人は12歳」と言われてから、何も変化していないのかもしれない。ただし、マッカーサーの「12歳」には、もちろん、日本人は子どものようなもので、そこには無垢さがあった、と言いたかったという説もある。ドイツ人との比較であり、宗主国的な視点でマッカーサーが話しているのは間違いない。そして、この成功体験が、今日のアメリカの迷走を招いていると考えると興味深い。(12歳と言われた当時の日本人は、マッカーサー熱が醒めてしまったと言われている)

『進撃の巨人』には「大人」がいて、役割と責任に対して自覚的だった。終盤は、「大人」が戦線を離脱し、若者たちが最前線に立つ。モデルケースとなる大人がいて、子どもだったはずの主人公たちもそれを受け容れ、大人になり、責任を果たそうとする。苦渋の選択であることは望ましくないのだが、極限状態でも、子どものままでいるよりは、よほどいい。

食わず嫌いせずに読んでよかったと思わせてくれる作品でもあるし、連載長編作品で追いかけながら読むのは、この作品が最後なのだとも思う。

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