見出し画像

人が消えていく

毎日、見かけていた人がいなくなってしまう。

通勤や通学である程度、同じリズムで暮らしていると、そういう人の一人や二人は誰しもいるのではないだろうか。

うちの近所には、ホームレスのおじさんがいた。年はわからないが、70歳前後といったところだろうか。

常に荷物はきれいに整えられ、布団をきちんと畳み、服装もポロシャツにチノパンといった感じで、清潔感のある人だった。ガスコンロで調理しているようで、段ボールの一角には鍋とコンロがセットで置かれていた。わたしはその人の横を自転車で通り過ぎ、通勤をしていた。

ある日、その人の荷物一式が片付けられ、お花やお菓子、ジュースが置かれていた。そうなってはじめて、わたしは彼が亡くなったことに気がついた。もしかしたら、もっと前に、彼は病院に入院したりして、いなくなっていたのかもしれないが、献花を目にするまで、まったく気がつかなかった。29歳の真冬で、ちょうど仕事を辞めた頃の出来事で、ときおり思い出す。

わたしは日々に忙殺され、鈍感になり、何も観察できていない自分に愕然とした。わたしが何かをできるわけではなかった。他人の存在にすら無関心で、しかも無自覚なのだ。当時も過労死ラインで薄給で働いていた。余裕のない自分の人生がさらに嫌になったことを覚えている。そして、日常は突然失われるのだということがよくわかった。そろそろ、30歳になるけれど、やっぱり何もできない人間だなあ、と泣いた。

ここ最近は、電車通勤で見かけていた人が何人もいなくなった。パンデミックでリモートワークになったのかもしれないし、業績不振で転職、危ないから田舎に帰った、などさまざまな可能性が考えられる。

眼鏡をかけた冴えない感じの星野源似のお兄さん。一時期、松葉杖をついていたが無事に完治したのだろうか。

ホームでスポーツ新聞を読みながら待つ、だるまに似たおじさん。

女性をなめまわすように見てくる気持ちの悪い白髪のおじさん。

インスタグラムやfacebookでマッチョな男たちにひたすら「いいね!」をつけまくる(おそらく)ゲイのお兄さん。

北方謙三の『三国志』の文庫本を読む中学生男子。

赤シートを片手に、英単語の暗記に余念がない女子高校生。

ここ数年、あるときは一緒に電車に乗り、あるときから、いなくなってしまった人たちだ。

記憶の中の風景に残っている人たちを懐かしく思う。

そういえば、行きつけの美容院の沖縄出身の愛想のいい美容師さんも、いつのまにかいなくなっていた。なんだか、さびしい。夏頃までは、普通に髪を切ってもらっていたというのに。

そして、退職をして、通勤をしなくなったわたしも、消えた人間の一人になった。

永遠に続く「日常」がないことは、ありがたいことでもある。鎖を断ち切ることも、ときには必要だ。

それぞれの変化の先に、幸せが待っていることを願っている。

(もちろん、わたしを含め 笑)


チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!