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#読書感想文 太田愛(2017)『天上の葦』

太田愛『天上の葦』を読んだ。

太田愛さんは、テレビ朝日で放送されている『相棒』の脚本家で、2022年のお正月スペシャルでも脚本を担当された方である。そのスペシャルの演出やシーンに対して、異議を唱えられたことでも話題になった。その一件で、『天上の葦』という作品のことを思い出し、手に取った。

渋谷のスクランブル交差点で天空を指し、心臓病で亡くなった正光という老人の登場から、物語は始まる。非常に映像的な描写で、連続ドラマにならないものか、と読みながら、何度も思った。民放で無理なら、Netflixあたりでやってくれないだろうか。

見事なページターナー小説で、こういったミステリー小説だと、スティーグ・ラーソンの『ミレニアム』以来の興奮だった。

『天上の葦』では、警察(公安)や報道機関、日本軍が社会制度・体制側として出てくる。興信所で働く主人公の二人は、ある意味、社会の仕組みとは別の動機付けで動くアウトサイダーとして描かれる。

国家による検閲とメディアコントロール、行き過ぎた忖度が、終盤に浮かび上がってくる。忖度であるがゆえ、誰も責任を取らないこともありうる。この小説の恐ろしさは「察する」ことのできる人間が、ぎりぎりのところまでやり、自分の保身を最優先するため、部下を見殺し、当たり前の捨て駒として切る、という容赦のない描写だった。この小説は、勧善懲悪でひとまず終わるが、現実ではどうなるのだろう。

戦後日本の言論の自由とは、儚い夢のようなものだったのかな、とも思ってしまった。

太田愛さんはダ・ヴィンチのインタビューで以下のように答えている。

構想の発端について太田さんはこう語る。
「このところ急に世の中の空気が変わってきましたよね。特にメディアの世界では、政権政党から公平中立報道の要望書が出されたり、選挙前の政党に関する街頭インタビューがなくなったり。総務大臣がテレビ局に対して、電波停止を命じる可能性があると言及したこともありました。こういう状況は戦後ずっとなかったことで、確実に何か異変が起きている。これは今書かないと手遅れになるかもしれないと思いました」

https://ddnavi.com/news/355618/a/

読みながら、主要な登場人物の名前を並べると、ある人の名前が浮かび上がってくることに気が付いた。
光秀雄

読売新聞、日本テレビを作ったCIAの協力者としても有名な正力松太郎である。筆者は、彼のような存在を念頭に置いて、小説を書いたのではないだろうか。もしかしたら、テレビ局で実際に起きたこと、お蔵入りになった番組などからインスピレーションを得ているのかもしれない。正力松太郎といえば、日本のメディアをコントロールし続けた人間でもある。

正力松太郎
読売新聞社の経営者として、同新聞の部数拡大に成功し、「読売中興の祖」として大正力(だいしょうりき)と呼ばれる。日本におけるそれぞれの導入を強力に推進したことで、プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力の父とも呼ばれる。

Wikipediaより

Wikipediaを読めば、現代日本が抱えている問題は、この人に詰まっているのではないかとも思わされる。権力側の人間でい続けるのは、どんな心持ちがするのだろう。

アメリカの映画やノンフィクションの世界では、歴史上の政治家や人物が、批判的に描かれることも少なくない。一方、日本はどうなのだろう。正力松太郎礼賛映画は作れても、批判はできないアンタッチャブルな人物なのではなかろうか。企画書の段階で、いや、もしかしたら、クリエイターの頭に浮かんだ時点で「どうせ無理だ」とあきらめてしまっているのかもしれない。権力側が言論弾圧せずとも、市民側が忖度して自主規制することで、世の中の平和は維持される。しかし、誰かが黙ることを前提とした社会は、本当に平和なのだろうか。

この小説を読み、公安の主要命題が体制維持であることを知った。どんな体制であるかどうかは問題でなく、必ず権力側を守り、維持することが目標なのだ。すさまじい仕事だと思う。

仕事だから仕方がない、と戦時下の暴力を肯定する人も世の中には少なくない。頭を使わずにいるとどうなるのか、もう少し怖がっていたほうがいいと改めて思った。

蛇足だが、この小説に登場する人たちは、追う側も、追われる側も、かなりのワーカホリックである。まともに働いている人は一人も出てこない。めちゃくちゃ働き者ばかりだ。ワークライフバランスを大事にして、個人が個人としてバラバラに生きるほど、権力者にとってはコントロールしやすくなる。自分が大事、生活が大事だと主張する人がいたら、この小説自体も成立しなくなってしまう。

「子どもの批判的思考力を育てなければ」と巷ではよく言われているが、権力者が怖くて何も言えない大人たちがそう主張するのはかなり滑稽ではないか。ただ、もう、わたしも大人側なので、大人を批判していればいいという立場ではない。いかに生きるべきか。筆者の太田愛さんは警察や体制を批判するというリスクを取っている。彼女の勇気と覚悟は、本当にすごいものだと思う。

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