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いとうせいこう+星野概念『ラブという薬』の読書感想文

いとうせいこうさんと星野概念さんの対談本『ラブという薬』を読んだ。2018年にリトルモアから出版された本だ。

主治医の星野概念さんと患者のいとうせいこうさんが、日々気になっていることを自由に語り合っていく。星野さんは精神科医でバンドマンでもある。星野さんがいとうさんのバンドのサポートメンバーであったという縁から、カウンセリングを頼んだのだという。

なぜ、日本人は精神科や心療内科に行きたがらないのか。承認欲求やフロイトの精神分析、傾聴の重要性などの話も出てくる。

そして、びっくりしたのは、星野概念さんが津久井やまゆり園の事件が起こる直前まで、嘱託医として週1ペースで10年勤務していたことだ。そういったつながりあったことから、行き場のなくなった人々の受け入れに尽力されたのだそうだ。社会というのは、どこかで誰かと誰かがつながっているのだなと改めて実感した。

映画や小説が本当に必要なのかということについても語られる。いとうさんの親友であるみうらじゅんさんが『ローマの休日』を見るときのエピソードが面白くもあり、興味深くもあった。なんと、みうらさんはオードリー・ヘップバーンの視点から見ており「この卑しいものともう二度と会えないのだと思ったら、涙が出る!」と観るたびに思うらしい。それに対して、いとうさんは、自分はグレゴリー・ペックの側からしか観られないと言っている(p.193)。そのことにも驚いた。わたしは、映画の構成や脚本に注目しているので、それほど登場人物に感情移入して観ていなかった。作品は一つしかなくても、多種多様な解釈があり、自分以外の誰かになれること、それこそがフィクションの効用ではないか、といとうさんは言っているのだが、その通りだと思う。

建前が蔑ろにされ、ヘイトスピーチが垂れ流される現実に対するいとうさんの嘆きもよくわかる。わたしは、すぐにこの世が嫌になってしまう。

この本を読んでいると、星野さんは鷹揚な感じがして、安心もできる。

ぎすぎすせずに生きるには、無条件の生の肯定が必要なのだと思う。それは自分に対しても、他者に対してもだ。競争に勝てとか自己責任とか、おまえの代わりはいくらでもいる、とかそんな話ばかり聞き続け、誰もが疲弊している。

なぜ、わたしたちは条件付きでしか自分と他人を許容できないのだろう。生きること自体を寿ぐことができたら、もう少しマシな人生を送れそうな気がする。

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