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川上弘美(2006)『ざらざら』の読書感想文

川上弘美の『ざらざら』を新潮文庫で読んだ。2006年にマガジンハウスから出版され、2011年に文庫化されている。もとは、「Ku:nel(クウネル)」で連載されていた短編集だという。解説は吉本由美である。

川上弘美の文体はなめらかである。決してその巧みさを強調したりはしない。描かれる世界も特別ではないように思わせるが、特別な世界を描いている。

この『ざらざら』の登場人物たちは、当たり前のように恋を、恋愛をしている。うらやましい限りである。そして、愛される自分と愛する自分を疑ったりはしない。それも妬ましいぐらいの無邪気さである。

川上弘美の小説を読んでいると、私の恋愛「イチゼロ理論」は正しいと思えてくる。私の恋愛理論は誰にも披露したことがないので、説明しよう(笑)

世の中には毎日恋愛をして百の恋をしている人、百の恋ができる人がいる。その一方、恋愛には無縁無風のゼロ世界で生きている人々がいる。あらあら不思議、100の人と0の人で、平均数値を出せば、なんと50になってしまう。

ゆえに、世の中には恋愛があふれているように見えるが、している人としていない人で、真っ二つにわかれている。1%の人口が富を得ているように、恋愛も同じなのである。だから、おそらく所得も恋愛も平均値には意味がない。ちなみに私は、残念ながら、後者である。

ただ、無縁無風も悪くない。結構、健康的だし、イライラしないし、嫉妬に苦しむことも、相手をコントロールしようと暴力的になったりもしない。男女に限らず、対の関係、カップルは、パワーの衝突も多い。そこに無縁でいると、仕事や読書が捗る。私は仕事も男も裏切ることを知っているが、仕事は8割方裏切らない。やはり、仕事を頑張ったほうが、リターンが大きいかなと思ってしまう。その損得勘定のケチ臭ささが恋愛を遠ざけている。

そのうえ、恋愛は実らないうえに、しくじるとダメージも大きい。毎日、ジェットコースターは乗ってはいられない。ときどき、都合のよいときに、恋愛できるほど、器用ではないので、しばらく無縁無風が続くだろう。そのことに焦ってもしかたがない。しかし、幸か不幸か乱気流に巻き込まれることは、ときどきあるので、それまで自分を放置しておくつもりである。

ただ、川上弘美の小説を読んでいると、まるで自分が恋愛巧者であるかのように錯覚させられる。錯覚したい人は、ぜひ読んでいただきたい。

この短編集の中では、兄と妹の関係性を描いた『椰子の実』が一番のおすすめである。

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