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チェーホフ『かもめ』の読書感想文

集英社文庫の沼野充義さんの翻訳のチェーホフの『かもめ』を読んだ。沼野さんはロシア文学の翻訳者として、東大の先生としても著名な方である。この文庫は2012年に出版されたものである。

かもめ (チェーホフ)
『かもめ』(ロシア語: «Чайка» チャイカ)は、ロシアの作家アントン・チェーホフの戯曲である。初演は1896年。チェーホフの劇作家としての名声を揺るぎないものにした代表作であり、ロシア演劇・世界の演劇史の画期をなす記念碑的な作品である。後の『ワーニャ伯父さん』、『三人姉妹』、『桜の園』とともにチェーホフの四大戯曲と呼ばれる。 その重々しい動きの少なさから、「5プードの恋」とチェーホフは述べた。

Wikipediaより引用

『かもめ』を手に取ったのは、映画『ドライブ・マイ・カー』の中で上演されていた舞台である『ワーニャ伯父さん』のことが気になっていたからである。

ただ、『かもめ』は戯曲である。わたしは、戯曲を読むのが、とても苦手だ。10代の頃から、小田島雄志が翻訳したシェイクスピアを何度も読もうと試みたのだが、何が何だかわからず、何度も挫折している。

今回『かもめ』を読み通したのだが、ちゃんとは読めていない。小説のように、場面をあまり想像できなかったし、人間関係の把握もざっくりしている。

しかし、沼野訳の『かもめ』は読んでいて、とても心地がいい。詩のように、断片的な語りとして、楽しむことができる。

登場人物には作家が二人もいるので、台詞の中にたくさんの作品や作家の名前が出てくる。ヴェルディのオペラ『椿姫』、シェイクスピアの『ハムレット』、トルストイ、ツルゲーネフ、モーパッサン、ゴーゴリなどである。

わたしは、小説家のトリゴーリンが自分の仕事を延々と終わらない自転車操業のようなものだと述べ、「書かなきゃ」といった思いに頭を占領されてしまうと告白しているところ(p.69-75)が印象的だった。

最近、何かを気がかりに思うこと、ずっとそのことばかり考えてしまうのは、仕事や職業が何であるかは関係がないと思い始めた。思考パターンなのだ。そのときどきでフォーカスされるものは違ってくるが、同じことをぐるぐる考えてしまうのは、わたしの場合、幼少期から変化していない。解決策は、「こだわらないこと」と、自分を見つめることは必要なのだが、自家中毒に陥らない、といったことであると思う。そして、人生においては、きちんと「終わる」ことのほうが少ない。

もう一人の作家であるトレープレフ(コースチャ)は有名女優であるアルカジーナの息子であり、ニーナに恋をして、トリゴーリンに嫉妬をしている。そして、彼は最後に銃による自死を選んでしまうのだが、あまりにあっけない。ただ、彼の苦悩はわからなくもない。若くて、将来に可能性があったとしても、身動きがとれない、という感覚に陥ることはいくらでもある。自由でいるためには、自由を実感するには、自由を自分のものだと感じるには、トレーニングが必要なのだと思う。閉じ込められてしまっている、という感覚はひどく息苦しい。そこから解放してくれるはずのニーナは「あなたもわたしも人生の渦に巻き込まれた(p.144)」と言い、彼のもとを去る。人生の渦に巻き込まれているが、同じ渦ではなく、それぞれ別々の渦の中に彼らはいる。その宣告を受けるのは、つらいことだ。

月並みな言い方にはなるが、自分の人生の責任を取れるのは自分だけなのだ。誰かに託してはいけないし、救いを求めてもいけない。もちろん、幸福そうなカップルや家族を目の当たりにして焦燥を覚えることもあるだろう。でも、一人で生きられる強靭さも人間にはある。

この本を読んで、毛嫌いせずに、戯曲を読んでいこうと思えた。ストーリーや展開ではなく、テクストと向き合えばよいのだ。楽しい時間を過ごすことができた。

(ちなみに青空文庫では神西清訳の『かもめ』を読むことができる。)

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