第八話:妹

 内裏の上空。弘徽殿こきでん承香殿しょうきょうでんといった、皇帝の妃たちが住む社殿を大々的に工事しているのが見えた。
 内裏とは完全に切り離し、その奥に豪奢な後宮を造るのだという。
 皇后をぬしとした、ひとつの政治的な決定権を持つ組織として確立するためらしい。
 女性の地位向上と社会進出というのが、皇帝が掲げている政策の一つにある。
(いた。主上おかみ、忙しそうだな……)
 工事現場の中心で、設計図や完成予想図を見ながら大工たちと真剣に話し合いをしている皇帝を見つけた。
 わたしは降下しながら皇帝に声をかけた。
「陛下! 緊急事態です! お話ししなければならないことがあります!」
「ん? 翼禮よくれいか! 妹に、日奈子になにかあったのか⁉」
 皇帝は持っていた鉛筆を地面に落とし、目を見開いて叫んだ。
「ここでは……」
「清涼殿へ! そこで話そう!」
「かしこまりました!」
 皇帝は近習たちに素早く指示を出し、一人で清涼殿へと向かった。
 人払いをしてくれたらしい。わたしが降り立った時にも、そこには皇帝しかいなかった。
「さぁ、話してくれ。日奈子は無事なのか?」
「ええ、無事です」
 主上おかみが用意してくれていた円座わろうだに座り、しっかりと顔を見て頷いた。
「よかった……。それでは、何があったんだ? 凶鬼きょうきたちが攻め込んできたとか、それとも、私を殺そうとする勢力の奴らが……」
「どれも違います。が、緊急で御考え直し頂かなくてはなりません」
「考え直す……? 一体、何を……」
 けげんな表情を浮かべる主上おかみに、わたしは真顔で言った。
「日奈子長公主は斎宮いつきのみやにはなれません」
 途端に、主上おかみの顔が驚きの表情へと変化していった。
「な、なぜ⁉」
「祈祷の力が足りないのです」
「そんなことはない! 特級陰陽術師三人のお墨付きだぞ⁉」
「あれらは人間です。人間の中では十分なのでしょうが、主上おかみの治世はご自身でよくご存知の通り、波乱に満ちております。混乱と暴力から始まったあなたの御代を治めるのに、日奈子様のお力では足りぬのです」
「そ、そんな……」
 脱力する主上おかみをよそに、わたしはなるべく淡々と話を進めた。
「そこで、一時的な提案ではありますが、代理の巫女をたてるのはどうでしょう。玖藻神社には厳しい修業を乗り越えた優秀な巫女がおります。陛下や美綾子みあやこ長公主、そして日奈子長公主のお三方のお世継ぎの中に、もしかしたらとても強い力を持った御子が生まれてくるやもしれません。焦らず、それまでは斎宮いつきのみやをおくことを待つべきです」
 少し卑怯かもしれないとは思ったが、日奈子長公主に幸せになってもらうためには、大きな嘘をつくしかなかった。
 日奈子長公主の祈祷の力は十分すぎるほど強い。斎宮になれば、三代先の御代まで安泰させることが出来るだろう。
 でも、人生を棒に振ることになる。すでに子供と夫がいるのに、それだけはさせられない。
 だから、〈仙子せんし族〉の〈仙術師〉という、人間には理解できないほどの力を持った存在という自分の身分を利用して、嘘を作り上げた。
 長公主は斎宮にあたいしない、と。
 幸い、玖藻神社に日奈子長公主と同じくらい祈祷の力が強い巫女がいる。魔女族と人間の間に生まれた女性で、家柄も申し分ない。
「本当に……、本当に日奈子ではだめなのか?」
「はい。足りません」
「そうか……。まぁ、これも神から与えられた試練なのかもしれないな。いいだろう。代理の巫女をたてるとしよう。日奈子には不名誉な噂が流布してしまうな」
「大丈夫です。噂が盛んな間、日奈子さまにはわたしの知り合いが護衛に付き、別の場所で静養していただこうと思っておりますので」
「別の場所……?」
「この時代においていまだ清浄さを保っている山です」
「そんな場所があるのか」
 主上おかみの顔に安堵の表情が浮かぶ。妹である日奈子長公主のことを心から大切に思っているのだろう。
「はい。烏天狗たちが住まう山です」
「なるほど……。彼らはたしか太陽神の使いと呼ばれている種族だよな?」
「その通りです。そこならば、日奈子様も充分な休養をとれましょう」
「うむ……。あいつのことだ。帰りたくないとか言ってそのまま住んでしまいかねないが」
「まぁ、それも選択の一つではありますね」
「むむむ……。まぁ、いい。君に任せる。日奈子を無事に烏天狗たちの山へと連れて行ってくれ。なるべく、他の者に見られないようにな」
「はい。おおせの通りに」
 わたしが頭を下げ、再び姿勢を直したとき、ちょうど主上おかみが溜息をついた。
 その表情には先ほどまでの動揺はなく、どこか光を放っているような、そんな美しさがあった。
「はぁ……。前途多難だが、それを攻略していくのがなんとも楽しいではないか。我が治世は栄えるぞ! 今までよりもずっとな」
「ええ。そう信じております」
「世辞はいらん。そのうち、本当に信じてくれればいい。今は私のことを疑い、怪しみ、十分な叱咤激励をくれ。おべっかは役人たちで腹いっぱいだ」
 半分くらいは本心のつもりだったが、主上おかみは中途半端は嫌いなようだ。
「わかりました。では、さっそくですが、後宮を御造りになるのなら、そこに住む予定の皇后陛下や、他の御妃おきさきの皆様の意見を取り入るべきでは? 現場に男性しかいないのには違和感があります。もしや、女性を閉じ込める牢獄を御造りになられているわけではありますまい」
「な! そ、そうだな……。私もまだまだ未熟だ。ありがとう。さっそく明日から妻たちに参加してもらうとするよ。今日は健康診断に行っているからな」
「期待しております。では、わたしは日奈子様の旅支度などがありますので、これで失礼いたします。政治的なことはお任せしますね」
「おう。日奈子によろしくな。愛していると伝えてくれ」
「……十分に伝わっていると思いますよ。では」
 わたしは再び深く頭を下げ、清涼殿の簀子縁から空へと飛び立った。
 吉報を伝えに行く道中というのは、なんとも心が弾むものだ。
 わたしにしては頑張ったと思う。
 久しぶりに、自分をほめてあげたくなった。

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