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だって、みんな、「ひと」なだけ

こんにちは!

今日は、とあるnoteの記事を読んでいて浮かんだわたしの想いや最近の体験を、リスペクトを込めて書いてみようと思います。


1.十人十色の世界を知った。

わたしは子供の頃から、「個性」に魅力を感じる性格でした。

それ故に、何かその「個性」を傷つけるようなシーンに遭遇すると、反発したくなるような節がありました。

例えば、性別。

「女らしくしなさい」と言われるほど、髪を短くして男の子のような格好をしてみたり。「女だから」と気を遣われるほど、重たいものを率先して運んだり。

例えば、年齢。

「もう30歳なんだから」と言われるほど、結婚と距離を置いたり。「若いから…」と言われるほど、誰よりも勉強して仕事に向き合ったり。

反発を続けていくうちに、いつしか自分の個性だけではなく、人の個性も大切にしたいと思うようになりました。

わたしの周りには、LGBTQを公表している人もいますし、不妊治療を頑張っている人もいます。知的障がいやうつ病を抱えた人と働いた経験もありますし、近所には小学生の頃から車椅子で生活している後輩がいます。テレビでは世界中で大震災や争いで心身に傷を負った人がいるというニュースも多く目にしたこともあります。

それでも、それはわたしが知っている世界のほんの一部で、十人十色の「個性」は無限にあり、誰にでもあり、誰もが心の中に静かに抱えているものだと思うのです。

持っている「個性」の形や、色や、大きさや、感触。

きっとそれはみんな違うけれど。

共通しているのは、ただみんな「ひと」なだけ。

2.イメージはいらない。

「○○っていう会社に勤めて、××エリアのマネージャーを勤めるりなさん。」

会社員だった頃、わたしにはいつもこんな肩書きがついて回りました。

初対面の人からはこんな言葉をかけられることが多かったです。

「もっと厳しい人かと思いました。」「女性なのにマネージャーってすごいですね。」「結婚とか興味なさそう。」「子供とか産むタイミング難しくないですか?」「若いのにすごいですね。」

わたしはいつも、その肩書きからくるイメージ1つ1つに傷ついていました。

わたしだって、ただ、「ひと」なだけ。

言葉は時に人を勇気づけるけれど、言葉は時にナイフにもなる。

一番厄介なのは、「そんなつもりはない」言葉がナイフに変わった時。

あなただって、ただ、「ひと」なだけなのは、分かっているはずなのに。

3.知らない世界はすぐそこに。

先日、わたしが所属しているヨーガの団体から「ボランティアに行きませんか?」とお誘いのメールをいただきました。

普段なら学校があるのでお断りしていたと思うのですが、ちょうど夏休みだったので、参加してみることにしました。

わたしがボランティアに行ったのは「ダルク」と呼ばれる施設です。

ダルクとは、覚醒剤、有機溶剤(シンナー等)、市販薬、その他の薬物などの薬物依存症や、アルコールやギャンブルなどの各種依存症から解放されるためのプログラムを持つ民間のリハビリ施設です。

わたしはここへ足を運ぶ時、なんのためらいも、違和感もありませんでした。

それ故に、前日の夜、「明日、ヨーガのボランティアに行ってくるよー」と家族に話した時の家族の反応にとても驚きました。

「そんな怖いところ、行って大丈夫なの?」

わたしはなんだか少しだけ、悲しくなりました。ですが、家族の気持ちもわからなくはありません。それでも、わたしの意思は揺らぎません。

当日、同僚と一緒に向かう車の中で、同僚も「どんなところか、少し緊張している。」と胸の内を明かしてくれました。

きっと大丈夫。だって、みんな「ひと」だから。

4.「ひと」でいいやんか。

先輩に案内された部屋に入り、準備をしていると合計15名ほどの年齢も性別もバラバラな人たちが「こんにちは!よろしくお願いします!」と明るい声で入室してきました。

ヨガマットを床に敷き、ストレッチをしたり、寝転んだりと。思い思いに準備を始めます。時々、先輩たちと雑談をしている時には笑顔も多くみられました。

先輩の先生が前にたち、みんなでヨーガを始めます。

「今、ここ」に集中していく簡単な体操(ポーズ)と、呼吸法、そして瞑想を行いました。

瞑想のテーマも、とっても簡単。

「これまでの人生で、長く続けてこれたこと。」

瞑想が終わると、それぞれに自分の思いを言語化し、ご自身の過去と向き合っておられました。

きっと、とてもたくさんの辛いことを乗り越えてこられたのかもしれません。たくさん、我慢をして自分を律してこられたのかもしれません。不安や、恐怖や、怒り、悲しみ。色々な感情を乗り越えて、ここに来られたのかもしれません。

抱えてきた「個性」の形や、色や、大きさや、感触は、みんな同じものではないけれど、今を一生懸命に生きている。

みんな、「ひと」でいいやんか。

5.最後に。

自分自身にしかわからない悩みや、苦悩や、コンプレックス、トラウマ。

そんなものは、誰にでもあり、それこそが自分自身にしか守ることのできない「個性」なのかもしれません。

わたしにはわたしの「個性」があるし、わたしを傷つけた言葉のナイフを投げたあの人にもあの人の「個性」がある。ボランティアで出会ったみなさんにもそれぞれの「個性」があるし、この記事を読んでくださったあなたにだって「個性」がある。

みんな違うんです。

比べられないのは当たり前だし、分かり合えないのも当たり前なのかもしれません。

だから、わたしたちは誰かに分かってもらおうと努力して傷つくのではなく、自分自身を受け入れて、自分を守ってあげる。

本当はただそれだけで、いいのかもしれません。

そうすれば、わたし自身も「そんなつもりはない」言葉のナイフを誰かに向けてしまう機会が減っていくかもしれません。

ヨーガでは、「良い」も「悪い」もない。

ヨーガでは、「あなたはあなた」「わたしはわたし」ただそれだけを受け入れる。

こんな考え方を知ることができて、わたしはとても楽になりました。

今後もヨーガのボランティアには、可能な限り参加していきたいなと思っています。

わたしなんかで、お役に立てることなどないかもしれないけれど。

わたしが学んできたヨーガの教えを全力でお伝えし、そのお返しにたくさんのことを、学ばせていただきたいなと思っています。

こんな、絞り出すような想いを言語化させてくれた、これでも母さんに感謝を込めて。

最後まで読んでくださって有り難うございました!

それではまた、次回◎

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