見出し画像

なぜ悪口は我慢している方が得なのか?

「協調する必要なんてない!」とか思ってるから、僕は反感を買いやすい。気づいたら敵対しているし、うらで罵詈雑言を吐かれていることも少なくない。むかしはそれに一々反応し、直接言い返したり、またうらで文句を返したりしていた。

しかしあるとき気づいたのだが、バカの言うことに反応するのはムダでしかない。悪口を言うことそのものが愚の骨頂である。前までの僕もバカであった。ではなぜムダなのだろうか。それには3つの理由がある。

悪口を気にする3つの功罪

(1)疲れるから
他人の粗を探したり、他人の言葉に反応するのは非常に体力がいる。悪口を言ったあとは大業を成し遂げたようにドット疲れる。その実、何も生んでいないのだからタチが悪い。

(2)時間がもったいない
悪口にいい効果があるとすれば共通の人間を罵っているとき、仲間内で親密度が上がるくらいだ。それにしたって一方的に悪口を言ってるだけでは意味はない。僕の人生にも、あなたの人生にも悪口を言うような相手に構っている時間はないのだ。

(3)自発的特徴変換
これは心理学の用語だが、ざっくり言うと「その場にいない者の悪口を行った場合、その言葉の印象が言った本人に重ねられる」ということである。AがBに対し「Cは口が臭い」と言うと、Bの頭には「Aの口が臭い」という印象が加わるということだ。

面白いのが、ここで言うCにはその印象が加わらないということ。言う方にデメリットはあれど、言われるほうにデメリットはないのだ。つまり、誰も得しない。

だから賢明な人は自発的特徴変換を使って、その場にいない人を褒めるのだ。するとその印象は自分の元に返ってくる。

まあ理屈っぽく説明してみたが、誰だった心根の部分では気づいているだろう。どうせ誰も、言う人も言われる人も、はたまた聞く人も嬉しくないんだ。むしろ損でしかない。

だから僕たちは、たとえ悪口を言われようと「愚か者め。自発的特徴変換で言う方が印象悪いんだぜ!」と心の中で笑いながら、無視して自分のことに専念しておこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?