親に「死ぬなよ」と言われた話。

年末は実家で過ごした。

2019年は辛い一年だったが、親には休職をしていることは話していない。

心配させるのも嫌だったし、あえて言う必要はないと思った。

年越しに、父親となんだか深い話をした。

人生について、日本について、文化について。働くことについて。
そして、最終的に、全てのことは「自分次第」という話。

別に、犬の話をふったわけでもなかったし、向こうも犬のことを話したわけではなかった。でも、今年は辛い一年だった、と言ったら、死ぬなよ、と言われた。

私は、10年前に離婚した夫が亡くなっている。自殺だった。

その時も、辛かった。
辛い気持ちから抜け出すのに、4〜5年はかかったと思う。でもその時は、会社に行き続けたし、今みたいにふと孤独の中で薄ら寒くなるようなことはなかった。

その時は、犬がいたから。

私が泣いているといつもふざけて遊ぼうと言ってくれた。どんなに体調が悪くても、明るい日の下に連れ出してくれた。いたずらをして、落ち込んでいる暇をなくしてくれた。責任を持たせてくれて、エサ代を稼がないと、と頑張って仕事に行こうと思わせてくれた。犬のためにとにかく頑張ろうと、思えた。家に帰る楽しみを、教えてくれた。私にリーダーとしての行動を、教えてくれた。

私は、運動が好きになったし、歩くのも、外にいくのも好きになった。
犬がいたから、街を歩き、新しい場所を発見して、犬を連れていくのを楽しんだ。

私の心のリハビリの時間でもあった掛け替えのない、8年という歳月。

今、その犬はいない。

犬がいなくなって、私の中の火種は消えてしまった。
犬と一緒に歩いた道を歩くことが、今はまだ辛い。
犬、なんで死んだんだろう、と、何度も考える。
そして、気が狂いそうになり、果てしなく遠いところに、行きたくなる。

私は、死なないから大丈夫、と答えた。
父や母の愛情を知っているから、大丈夫。
がんばれなくなったら帰るから、と言った。

親に、死ぬなよ、なんて、そんなことを言わせてしまうほど、
弱って見えたのかなあ、私。

親に悪いような申し訳ないような気持ちになりながらも、でも
やっぱり見透かされているなとも思った。

今は、やっぱり辛いから。

あけましておめでとう、がどうしても書けなくて
友人からの年賀状に返信するために用意した葉書は
そっとそのままにして
どこに手をかけて体勢を立て直せば良いのかを考えている。

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