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父の友人と、ミラクルな忘年会

「お父さんって "友達" いるのかな?」

物心ついた時から、疑問に思っていた。

父は根っからの仕事人間で、平日は毎日夜遅くまで働いている。土日でも、難しそうな図面と格闘している様子を、多々目撃してきた。

適切な職業名がわからないのだが、ざっくりいうと土木技術の設計士で、海や川の堤防だったり、橋だったり、港湾にまつわるものを設計している。

それに加えて、論文を書いたり、なんちゃかっていう呪文のような名前の組織で理事を務めたりもしているらしい。現在は、ここ東京から大阪へ単身赴任して、家族を支えてくれている。


父は、自分のことを多くは語らない。

私が聞かせてもらったことといえば、理系の大学院を出ていること、20代の頃シンガポールに赴任し、ユニバーサルスタジオがある島と本島を結ぶ、セントーサ・ゲートウェイという橋の建設に携わっていたことや、私が留学していたスウェーデンとデンマークを結ぶ、エーレスンド橋の建設にもちょっぴり関わっていたということ。

あとは、大学教授だったひいおじいちゃんが厳格な人だったという話ぐらい。

しかもこれらは全て、大人になってから知ったこと。

そんな父は、思えば休みの日はいつも、わたしと妹を遊びに連れて行ってくれていた。

珍しいクロアゲハを捕まえに、虫取り網を持って奔走したり、川でメダカを釣ったり。東野圭吾のドラマや映画が公開された時には、一緒に観ては感想を言い合った。

公園や川に出かけた時。どうしても父は仕事熱心なので、きまって自分の手のひらを使っては、柱を「測量」していた。手のひらを目一杯広げた横幅が、だいたい20数センチらしい。

川沿いを一緒に歩いていたら、橋を目がけて走り出し、もくもくと無言で手のひらを広げて「測量」する光景は、日常茶飯事。ついでに、コンコンっと柱を叩いて、使われている素材を調べている様子も目撃したことがある。

父は、娘の私が言うのもなんだけど、十分すぎるぐらい家族サービスをしてくれた。

でも、だからこそ。
父に友人がいるのかいないのか、幼心に心配していた。

会社の同僚や、仕事の関係者とは仲が良く、結構な頻度で呑んで帰ってくるけれど。休みの日に、遊びに行く、呑みに行く、といった姿を目にしたことがなかったから。

なんとなく、夜に口笛を吹くのと同じぐらい「父に友人がいるかいないか問題に触れることはタブーである」と思い込み、生きてきたのだった。

しかし、年末、軽く忘れかけていた、小さくも大きなこの不安と心配に、転機が訪れた。

とある夜。

夕飯を食べ終えてくつろいでいる時に、いつ父は東京に帰ってくるのか?なんて話をしていたら、母が突然「うーん、忘年会が全て終わったらじゃないかな。会社のもだけど、お父さんは、毎年同じ日に、大学時代のゼミの同級生と忘年会してるから、それ次第だろうね〜」と発した。

ちょっと待ってくれ、最後のフレーズ、聞き捨てならぬ。

父、友達、忘年会???

あたかもわたしが知っているかのように話すが、いや、聞いたことないよ。その話。

もはや、父には “友人“ がいないものだと信じてやまなかった。
だって、平日は仕事しかしていないし、休みの日は必ず家族のために時間を使ってくれていたし。

母に詳しく聞いてみたところ、そんな父が、大学時代から毎年、ゼミで出会った友人と、同じ店、決まった日時に、集まっているというのだ。かれこれ30年ほども。

まさに寝耳に水。驚き桃の木山椒の木だ。

普段ほとんど連絡をとっていないのに、特段約束もせず。
この忘年会で、必ず全員が集まるという、ミラクル極まりない会合。

1年に1度、この時期が近付くと、出欠をとるらしい。
とはいえ、各々その日は必ず予定を空けているので、困ることはないという。

来れるか来れないか、それが分かれば十分。

ただ、そこに、その日に、集まる。

なんて愛おしい関係なんだろう。


父から直接聞いたわけではないけれど。
娘は、心底ホッとしたよ。

お父さんにも大切な “友人” がいたことに。

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