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キャッチボールをしてみたい
人と接するとき、どこかでいつも予防線を張っている。嫌われても傷つかないように。
こんな風に思っていたのはいつからなのか、もう思い出せない。
車椅子で生活をしていると様々な悪意に出会う。悪意とまではいかなくても、無意識に世界に私が想定されていないことを意識する。入り口が階段だけの飲食店やお店、狭くて他の人に気を遣う電車やバスなど。私が子どもだった20年ほど前はまだ乗車拒否もあって、公共交通機関を使
障害とともに生きる私の、魂と肉体
魂と肉体、どちらを優先して生きてきたかと言われると、肉体と答える。
もちろんそうではないこともあったけれど、私はほとんど無意識に私の身体を常に気にしている。車いすでも行けそうなところ、脳機能に障害があり手足や体幹に麻痺があって、マルチタスクと整理整頓が絶望的で、人より体力が少なくてもできそうなこと。
こんな発想になるのはある程度仕方ないような気がしてくる。現実問題としてできることには限りがあるし、
終わりのことばかり考えていた私が、終わりに思いを馳せなくなった。
私は、始まりとともに終わりを考えてしまう少しめんどくさい生き物だ。楽しみにしているイベントがあって、あと何日!とカウントダウンしている時ですら、それと同時にそのイベントが終わるときや終わった後のことを考えている。イベントなら、ああ終わっちゃう。卒業なら、もうすぐこの生活も終わりだな。友人たちとの食事でさえ、いつかみんなでご飯を食べなくなってしまうかもしれない、と考えていた時期もあった。ここまで行く
もっとみる私が彼女を連れていく
ファンタジーと聞いて、最初に思い浮かんだのは、「ドラえもん」だった。とはいえ、私は小さい頃からドラえもんを観ていたわけではないため、秘密道具もそんなに数を知っている、ということもない。パッとイメージできるのは歌に出てくるタケコプター、どこでもドアとかタイムマシン、あと数個連想できたらいい方である。そのくらい見たことがない。
このテーマをもらったとき、ふと、今の私の生活を就職したてのときの私が知っ
恋が教えてくれること
恋の効果はなんですか?ともし人に尋ねられたら、私はなんと答えるのか。
ここ数日の考え事はそればかりだった。
その人にとても会いたくなることだろうか?
普段はあまり聴かないラブソングにとんでもなく共感してしまうことだろうか?
可愛くなりたいと思うようになることか?
どれも事実だけれどしっくりこないな、と思いつつ、なぜだろう?と考える。
少しでも会いたいと思うのに。
普段は聴かないバンド
働きたくないと働きたいの間で
働きたくない。というか、もう何も考えたくない。
仕事と私、がテーマなのに何を言っているのかと思うけれど、これもある意味正直な気持ちだ。
私にとって働くことは、親から経済的に自立することと、人の役に立つことだった。
高校を卒業してそのまま就職して、5年と少し。
親から早く離れたくて就職することを選んだ私は、身体障害のこともあり、就活は難航すると周囲から心配されていたのにもかかわらず、自分でも
「障害者は頑張っている」という感情から抜け出せない私たち
親切という言葉は、「相手の身になって、その人のためになにかをすること。思いやりを持って人のためにつくすこと。また、そのさま。(goo辞書より引用)」という意味らしい。
車椅子を使用して生活している私は、親切に囲まれて生きている。
毎朝決まった時間の電車の乗降介助をしてくれる駅員さん、コンビニで私の会計を手伝ってくれる店員さん、言葉は交わさずとも、見守ってくれる地域の方々。
おそらく、挙げれば
大人にうらやましがられたくなかった10代の私へ
学生の頃、大人に学年を聞かれ、答えるとよく言われる言葉があった。
「○年生かぁ。良いなあ、今を大事にするんだよ。何でもできるから。」
「うらやましいなあ、私もその頃に戻りたい。」
こんな風に、大人は学生を羨ましがっていたように思う。
私は、そんな言葉を聞くたびに、まただよ、と感じて思っていた。
何でもできるのは、大人の方ではないか、と。
この言葉を一番よく聞いたのは高校生の時だった。
普通ってなに?〜車椅子に乗っている私に、あなたのことを教えてください〜
2020年3月中旬、私は会社を1週間休んだ。
診断名は腎疾患となっていたものの、それ単体ではないことは私にもわかっていた。
だいぶ前から、会社に通勤することが苦痛になっていたし、3月の年度末の忙しさと負の感情が相まって疲れてしまったのだ。
別に、業務内容が嫌なわけではなかった。高卒で障害者雇用として働き始め、今の部署はもう6年目。
自分の担当している業務の面白さは見えていたし、他の部署の業
高校の夏スカートを着続けられなかった私との決別
いたずら心と聞いたとき、私が一番持ち合わせていないものだと思った。
自分で言うのもおかしいが、私は真面目だ。
決められたルールからはみ出るとそわそわするし、これくらいいいや、という考え方があまりできない。
だから、高校時代、校則に違反して先生に怒られてまで髪を染めたり、地味な冬服とは異なるチェック柄の夏服のスカートを、指定期間外の冬もはいてみたりすることを、私はしなかった。
夏服のスカート
不自由な中で見つけた、私の自由
自由と聞いたとき、私には同時に不自由が思い浮かぶ。
車椅子で生活している私にとって、なにも気にすることなく、本当に自由に選べることはめったにない。私の自由にはいつだって条件が付いている。車椅子でも不自由なくアクセスができる立地だとか、建物のつくり、介助者がいなくても問題ないかどうかなどなど。そういう類のことを気にするのは私にとってはもはや日常で、そういう確認を取ることも当たり前だ。
時々面倒になっ
電動車いすに乗って生活する私が「一人暮らし」を見つけるまで
私は12月初旬に生まれて初めての一人暮らしを始めたばかりだ。電動車椅子で生活しているため、家事援助や身体介護など、ヘルパーさんを毎日夜に2時間頼みながら生活している。初めてに囲まれた暮らしはとても楽しい。当たり前だが、ヘルパーさんを頼んでいる時間帯以外はすべて一人の時間である。今まで実家や施設にいて、人と過ごしている状態が当たり前だった私にとってはそれだけでとても嬉しい。
でも、一人暮らしを始め