弱さと私
よく言われる言葉がある。
「めぐみは、しっかりしているね。」
「めぐちゃんは、アクティブですごいね」
そう言われるたびに、違和感を感じることがある。
その言葉で、自分の気持ちを言えなくなることがある。
悩んでいること、できないこと、悔しいこと、悲しいこと、頑張ったこと。
それらを無視して言われているように感じることが、少し前まで、よくあった。
私には、「しっかりしている」自覚も、「アクティブである」という自覚も、最近まで本当になかった。
アクティブである、というのは割と最近になって少し自覚したものの、しっかりしている、という自覚はない。しっかりしている、というには、できないことが多いと感じるからだ。
例えば、やるべきことの計画立ては下手で、いつも締め切りギリギリだし、締め切りがなければ取り掛かること自体が難しいこともある。
整理整頓も驚くほどに下手で、常に床の上に物が散らかり放題。エアコンや電気のリモコンがない、と騒いでいることもしょっちゅうだ。
そんな状態なのに、本やCDなどさらに物を増やして、勉強や書き物などやりたいことも増やして、常に慌てている。
予定がない休みの日も、やるべきこと、やりたいことはたくさんあるのに、頭の中の整理がつかなくなって辛くなり、横になったら結局夕方、というのが毎回だ。
そんな感じの生活を送っているので、もうちょっと要領よく動けたらいいのに、と落ち込むことばかりだ。
それを知らない人たちが、冒頭のような言葉を言うたびに、私は悲しい気持ちになった。
私はしっかりなんてしていないし、むしろできないことも多いのに、ハードルを上げないで欲しい、と思っていた。私は私の弱いところを他の人にも分かって欲しい、と思っていた。
けれど、伝えられずにいた。
それには理由がある。
私は小さいころから、他の人の顔色を伺って、合わせてしまう癖があるからだ。
例えば、職場の同僚がイライラした雰囲気なら、頼みごとをしにくくなってしまう。
何か自分の考えがあっても、反論されること、反対されることを考えて言わなくなってしまう。自分が言わずにおけば、平和になると思ってしまうのだ。
いつからこういう考え方になったのかは分からないが、きっかけになったであろう出来事はいくつも思い出すことができる。
私の両親は、私が小学生の中頃に離婚している。
私は母に引き取られて今も母のところで生活しているが、実は父に引き取られることを希望するほど父のことが大好きな子どもだった。
だから、私は父が出ていくことを知らされてから父が出て行くまでの間、父の部屋で父と一緒に寝ていたのだが、ある時、母に「一緒に寝るのは良いけど、パパが出て行った後になって、寂しいって泣かないでよ」と釘を刺すように言われた。その時なんと答えたのかは覚えていないが、寂しい気持ちと泣いてはいけないという気持ちとが一緒になって、母に見つからないように注意しながら泣いた記憶がある。
大人になった今、我が家の離婚は母のせいではなく、母もきっととても辛かったのであろうということは分かる。ここから先は私の想像だが、その辛い状況の中で、身体に障害を持っている必死に育ててきた娘がたまの休日に遊ぶだけの父のところに行きたいと言ったらいい気持ちではない、ということも分かる。
でもその時の私には分からなかった。ただ、母に怒られるから泣いてはいけない、ということだけが残っていた。この頃から母の顔色を伺うようになった。
その後両親ともに再婚をし、私にも新しい父が出来ることになった。
ただ、母の再婚の方は離婚から長い期間を置いたわけではなかったため、私は新しい父を父と認識することを嫌がった。さらに母の精神的な病気も手伝って、母の私に対する態度はきつくなったように思う。
私も結局は父のことを受け入れなければ、と折れていた。また、多少きつい態度を見ても、私の自立のためなのだ、と思うようにしていた。
中学・高校と母の病状はあまり良くなく、明らかに当たられている、と思う言動も増えた。そんなことが続くうちに、辛いこと、嫌なことがあっても両親には分かってもらえない、と言わない癖がつき、次第に自分の気持ちを誰かに伝える、ということをしなくなっていった。
伝えることをしなくなって、自分の気持ちを認識することも難しくなった。
正確に言えば、「辛いけど〜しなければならない」、「嫌だけどものごとを円滑に進めるために〜をする」という考え方で、自分の感情を無視するようになった。
無視することにもなれた、と思った頃、私は高校を卒業し、就職をして、慣れない環境と仕事で体調を崩してしまった。
それまでは、出来ない自分が悪い、もっときちんとしなければ、と思っていたが、体調を崩してやっと、自分の心が出していた、辛い、苦しいという感情や、自分が発達上苦手なことなどの弱さときちんと向き合うことになった。
感情に向き合い始めた当時の私の伝え方はとても下手だった。話していると感情が高ぶってしまうのか、勝手に涙が出て止まらなくなり、叫ぶようにしないと伝えられない。この人に聞いてもらえる、と思うとその人にばかり言って相手に嫌な思いをさせてしまう。
今でも緊張していたり、体調が良くなかったりすると多少高ぶるけれど、この頃は特にそうだった。幸い、かかっている病院の先生や友人達が支えてくれているので、ゆっくりではあるが、体調は落ち着き始めている。
体調が落ち着き始めた今、時々考えることがある。
私と母は、似ているな、ということだ。
母もきっと、私と同じようにどこかで感情を抑えることで平静を保っていたのだ、と思う。
でも、どこかで我慢することが出来ずに、弱さを受け止めてくれる場所で発散してしまったように思う。そのことによって、私はとても傷ついたし、今も母を許せなくなってしまう時がある。
しかし、私は母を他人だとは思えない。優しくされたい、とどこかで期待を寄せている。
また、育ててもらったことに関する感謝が消えているわけでもない。ただ、それを伝えるには、少し躊躇する。傷ついた経験があるためだ。
今怖いのは、私が母と同じように人に接してしまうのではないか、ということだ。
自分の弱さでいっぱいいっぱいになって、大切なものや人を傷つけてしまわないだろうか。
そうならないようにどうしたら良いのだろうか。
たくさん考えたり、友達と話したり、本を読んでみたりするけれど、これだ、という答えはまだ私の中で見つかっていない。
ただ、今は好きなこと、興味のあることをゆっくりと、たくさん経験したい。
そうすることによって、きっと自分の考えの幅が広がると思うからだ。
私は以前、弱いことは悪いことだと思っていた。強くならなければ、期待に応えなければ、と必死に頑張ろうとした。けれど、強くなったり応えられるようになったりするのはとても難しい。
ならば、自分の弱さを少しずつでも落ち着いて伝えていけるようになりたい。伝えることによって、弱さを自覚して、進んでいけるきっかけになると思うからだ。きっと人に伝えることが出来たら、伝える前よりずっと自分らしく生きられる気がする。もちろん、伝えたからといって甘えすぎるのもいけないけれど、伝える前よりは生きやすくなるのではないだろうか。
また、自分の弱いところを自覚して工夫していくのと一緒に、他の人の弱さも受け入れられるようになっていきたい。
自分の弱いところで悩む人は私や母だけではないはずだ。きっと同じように悩む人もたくさんいる。
お互いの弱さを受け入れて一緒に話していく中で、新しく発見することがたくさんあると思っている。
そうなるのには、まだまだたくさんの時間が必要だし、きっとまた私の弱さとも向き合わなければならないけれど、ゆっくりと焦らず進んで行きたいと思っている。
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