菊川 恵(きくかわ めぐみ)

ソーシャルワーカーの🐣です。福祉分野での学び、当事者としての学びをつらつらと書いていき…

菊川 恵(きくかわ めぐみ)

ソーシャルワーカーの🐣です。福祉分野での学び、当事者としての学びをつらつらと書いていきます。家族にまつわる福祉や心のことに興味があります。

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最近の記事

誰のための「理想の子育て」なのか

妊娠6ヶ月になりました🤰妊婦生活も半分きったところです。   こんなnote書いてるのに、子どもが生きて産まれなかったら、どうしよう・・・と思い、怖くなりながら書いてます。   コロナ禍の中での出産は、正直、マイナスなことも多いと思うのですが、そんな中で大切な気づきがあったので、残しておきます。   ✱ ✱ ✱ ✱ ✱   わたしは、人との関わりが苦手です。怖くなって、逃げ出したくなります。   でも、子育てには、たくさんの人に関わってもらって、「風通しのよい家庭」をつくりた

    • 本質的でありたいから、もぐることにした【引っ越した&転職したよ】

      実は3か月前に引っ越し&転職しました! 今回のハイライトは、当事者を降りて、就活したこと。 わたしは子どもの頃からずっと、自分の生い立ちのストーリーで、たくさんのものを得てきました。お金も、仕事も、人間関係も。傷でつながったものばかり。 今回は、久しぶりに自分の当事者性を語らず、ストーリーでの共感を得ない形で就活できました。   なんとなく、自分の人生にとっても、第2のステージに立ったのかな、というところです。     いまは名古屋で若年層を対象にした就労支援の仕事をし

      • 家族を安全な場所にできるように、家をひらくと決めた

        1月14日(月)に結婚しました。 家族って、むずかしそうだな、ってずっと思っていました。 距離が近いからこそ、相手と自分が一体化しやすいんじゃないか、と。 本当は、たとえ家族であっても、「あなた」と「わたし」は違う人間のはずなのに。 苦手なことや課題みたいに、気になるところほど、自分のことのように捉えやすいと思うんです。   指摘する内容が、本当に相手を考えてのことなのか、自分の思うようにコントロールしたいだけなのか。   「あなた」と「わたし」の境界線が、あいまいな

        • 仕事を「心の拠り所」にしない

          「変わらないもの 探していた あの日の君を忘れはしない」 奥華子さんの「変わらないもの」の一節を最近よく思い出す。 「時をかける少女」を見てから大好きになって、中高生の時に無限リピートしていた曲。 この曲を取り憑かれたように聴いていたわたしは、きっと「手放せない人間」だったのだと思う。 わたしは、関係性を手放せない。 来る者は拒まず、去る者は追わず。そんな凛とした人に憧れていた。 でも、実際のわたしは、来る者にはびびり、去る者に心奪われ・・・という、だいぶ湿っぽい

        誰のための「理想の子育て」なのか

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        • 当事者であること
          11本
        • 新しい家族の形
          6本
        • 心の揺らぎを探る
          20本
        • 人に寄り添う、ソーシャルワーカーの仕事を学ぶ
          3本

        記事

          目が醒めるような毎日

          「醒」 今年を漢字一文字であらわそうと考えたとき、真っ先に浮かんだのが「醒」だった。 2018年は、文字通り、目が醒めていくような1年だった。 年明け早々に「当事者とはなにか」の議論に心が揺らいだ。 わたしは、起きた出来事の大きさと、痛みの大きさは比例しないと考えている。 そもそも痛みはその人だけのもので、ほかの人が測ることはできない。 その前提に立ちつつも、「当事者」という記号が、自分を支えてしまっていたこと、同時に無意識の縛りになっていることに気づいた。 な

          目が醒めるような毎日

          クリスマス・イヴの日、ひとつ決めごとをした

          サンタさんは、気まぐれだと思っていた。 子どもの頃、どれだけ頑張ってお願いしても、ほしいものをもらえなかった。 きれいな字で手紙を書いてみたり、見えやすいように高い位置に手紙を貼ってみたり。 自分なりに工夫はしてみたけれど、クリスマスプレゼントはいつもお菓子だった。 サンタさんの正体は、おじいちゃんとおばあちゃん。ゲームばかり欲しがるわたしに、一切ゲームを与えなかった。 それも、ひとつの愛の形だったのだ、と思う。 ふと考える。おとなになった今、わたしはサンタさんに

          クリスマス・イヴの日、ひとつ決めごとをした

          主役になれなくても、心躍る瞬間はつくれる

          思い返してみると、主役になれない人生だったな、と思う。 子どもの頃から、なにか創ったり、表現したりすることが好きだった。 でも、絵の具づかいが絶望的に下手だったり、とにかく音痴でリズム感がなかったり、散々だった。 「好き」と「得意」はまったく別なのだ、と人生の割と早い段階で気づいてしまったように思う。 「大きくなったら、なにか変わるかな」 そう期待したものの、高校生や大学生になっても、自分が憧れるものには、ほとんど手が届かなかった。 それどころか、日々の生活を保つ

          主役になれなくても、心躍る瞬間はつくれる

          小さくてもいいから、本当のことがしたい

          子どもの頃から、嘘をつくのが苦手だった。 例えば、先生がテストの採点ミスをしたとき。たとえ点数が下がったとしても、言い出さずにはいられなかった。 そんな不器用さは、おとなになっても変わらずで、仕事の選び方にもあらわれた。 わたしは「やりたいこと」はもちろん、「どう在りたいか」を大切にしていた。 「小さくてもいいから、本当のことがしたい」 これが、はじめての就職活動のときに、心においていた言葉だった。 これは、わたしの言葉ではなく、『田舎のパン屋が見つけた「腐る」経

          小さくてもいいから、本当のことがしたい

          もう一度、人の力を信じてみたくなった #soar応援

          こちらの記事には、ウェブメディアsoarの3周年に向けて、soarメンバーやsoarライター・これまで記事に登場した方たちがsoarへの思いを綴ったコラムを掲載しています。 「#soar応援」キャンペーンのお誘いをいただいて、いろいろと昔のことを思い出した。 そのひとつが中学時代のことだった。 わたしは中学生のとき、ラジオが大好きだった。ちょうどその頃、家も学校もなんとなく楽しくなくて、どこか居場所がない感じがしていた。 加えて、わたしは、うまくしゃべれない子どもだっ

          もう一度、人の力を信じてみたくなった #soar応援

          分かりやすさへの危機感

          子どもの頃、好きなことにしか興味を持てなかった。 大人になってからも、子どもの頃と変わらず、興味関心の幅は狭いまま。 人の尺度はどうでもよくて、自分が心踊るものだけが大好きだった。 本を読むときも、同じようなジャンルばっかり読んでいた。 それでも、もちろん楽しいのだけれど。 でも、なんだか、自分が触れたものが、自分の幅を決めるような気もする。 だから、自分の幅を広げるために、今年はいつも読まないような本にも、積極的に手を出すようになった。 最近は、SNSで著名な

          分かりやすさへの危機感

          選択肢は「知る」ことから始まる

          社会的マイノリティの人々の個別の物語を通して、可能性が広がる瞬間を描くメディア「soar(ソア)」。 この前、soarで自分の生い立ちと経験からの気づきを書く機会をもらった。 “生きづらさ”もちゃんと見つめたい。だって私の大切なアイデンティティのひとつだから。親との関係に苦悩した子供時代を経て、菊川恵さんが気づいたこと soarで書こうと思ったのは、「ひとつの事例になりたい」と思ったからだ。 その背景には「どう生きていくかを選べるのは、本人だけだ」という思いがある。

          選択肢は「知る」ことから始まる

          「暗闇の中にいる人」に届きますように

          あー、こんなに「誰も置いてけぼりにしない」本には初めて出会った。 この前、『暗闇でも走る 発達障害・うつ・ひきこもりだった僕が不登校・中退者の進学塾をつくった理由』という本を読んだ。 これは、不登校・中退・引きこもりなどを経験した人に向けた個別指導塾「キズキ共育塾」を運営されている安田祐輔さんの半生を描いた本だ。 内容紹介にも書かれているように、安田さんは起業までに様々な経験をされている。 発達障害に加え、父のDV、一家離散、家なし、非行……暗闇から抜け出す手段は唯一

          「暗闇の中にいる人」に届きますように

          ドキュメンタリーに生きたい

          社会福祉士の勉強を始めたり、こども宅食という新しい取り組みに加わったり。2017年は自分が広がった年だった。   時代に逆行してる感があるけど、2018年は深める年にしたい。もっとリアルに触れて、掘り下げていきたい。   でも、それは、社会というより、自分へのアンチテーゼだと思う。 いつも早く何かを手に入れたくなって、見えない誰かに追われている自分自身への。 1)そばにいる人を深める スピードや意外性があるものばかり求められるけれど、ちゃんと光を当てないと見つからない、一

          ドキュメンタリーに生きたい

          心の痛みは誰にも測れない

          当事者は語れない、と言われる。 「語れない」という言葉には、困っている人は「自分が何に困っているのか分からない」「困りごとを言葉にできない」という意味が込められている。 自分が何に困っているのか言語化して伝えられる人は、「真の当事者ではない」と言われることもある。 この表現には、心が痛む。 なぜ心が痛むのか。 それは、真の当事者こそがサポートすべき人であり、それ以外は対象者ではない。そう読み取ってしまったからだ。 本当に必要なサポートは何なのかたしかに自分の困りご

          心の痛みは誰にも測れない

          「つなぐ」のその先を考える

          「サポートにつないだ後、どうなるんだろう?」と思う。 困りごとを抱えた人のサポートをする「ソーシャルワーク」。 ソーシャルワークには、目の前の人に向き合うことや、地域や社会に働きかけるなど、いろいろな側面がある。 現場から遠いところで働いている人には「サポートにつなぐ」という意味で使われることが多いように感じる。 もちろん、何かのサインに気づいて、つなぐ役割を担うことは重要。 ただ、少しだけ気になっているのは、「つなぐ」のその先をどう考えているのだろう、ということ。

          「つなぐ」のその先を考える

          乗り越えた自慢を聞かせてくれ

          「幼いころに“虐待”を受けた子どもは、脳が萎縮する」 「子ども時代に家庭で傷ついた経験が、大人になってからの人格形成に影響する」 それは、分かったからさ。 じゃあ、大人になった私たちは、どう生きればいいんですか? 「事実を伝える」という名目で生まれた、虐待やDVのルポタージュ。 クリックされるために、煽るかのように「鬼畜」「罵る」「悲劇」という衝撃的な言葉ばかり並べられたタイトル。結末はきまって、バッドエンド。 彼らはこの先、どうやって奪われた自分を取り戻すんですか?

          乗り越えた自慢を聞かせてくれ