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保育士からライターになった私のこれまで

「これまで何をしてきた人なの?」と聞かれたときに、口頭でなかなか上手くお伝えできていないなあと反省し、テキスト化して整理することにしました。

保育現場で経験したこと、そこで学んだこと、なぜ保育業界からライターに方向転換したのか、などなど……覚えている限りを書いてみます。

特に保育の仕事に関しては現場を離れて時間が経ってしまったこともあり、自分のための備忘録にもなればいいなと。

▲ポートフォリオやお問い合わせ先などはこちらにまとめてあります。

2007年 大学で保育を学ぶ

茨城の実家を出て上京。東京家政大学に入学し、育児支援を専攻。
もともと「絶対に保育園の先生になりたい!」といった強い志を持っていたわけではありませんでした。
自分自身の幼少期を振り返ると、自己主張の苦手な子どもだったこともあり、「小さな子どもたちの声に気づいて、寄り添える大人になりたいなあ……」とボンヤリ考えながら保育の道へ。
池袋のデパ地下にあるクッキー屋でバイトをしながら、講義に試験に保育実習に勤しむ4年間でした。

ちなみに4年次に取り組んだ卒論のテーマは「LGBTファミリーの子育ての実情と課題」でした。当時、参考文献が少なすぎて四苦八苦したことも、夜行バスに乗って遠方に住む同性カップルさんを取材に行ったことも良い思い出。この時に買った取材用のボイスレコーダーはなんと今も現役です。

2010年 子ども家庭支援センターの非常勤職員になる

大学3年次のときに実習でお世話になった子ども家庭支援センターからお声掛けいただき、4年次の1年間、学業と並行する形で非常勤職員をやっていました。この1年間の経験が、私が保育を考える上での大切な基礎になっています。ここでの経験がなければ、早々に保育の世界から離れていたかもしれません。

職場の施設は、虐待相談窓口やレスパイトケアなども担う、地域の中核的子育て支援施設。保育士チーム・看護師チーム・心理士チームが常に連携を図り、私も保育チームの一人としてケース会議に参加していました。

私が主に担当したのは、0歳から12歳までの子どもたちを対象とする夜間の異年齢合同保育。放課後や降園後に子どもたちを学童や保育園に迎えに行き、22時までお預かりする仕事です。
利用者は厳しい家庭環境にある子が多く、信頼関係を構築するまでに長い時間がかかりましたが、それだけ学びの多い保育を経験できました。

当時の上司が「大学生で時間に余裕があるんだから、気になる研修があればどんどん行って!」という方針の人だったため、児童相談所や療育施設など様々な場所に行って研修をさせてもらえたこともありがたかったです。保育分野だけではなく、多角的な視点を持って子どもと保護者を支援することの重要さも実感しました。

退職を目前に控えた2011年3月11日には、夜間保育の最中に東日本大震災が発生し、緊急時の対応をすることに。その後、計画停電で真っ暗になった部屋の中で、ランタンの灯りを子どもたちと囲んだときの情景は、今も特別な記憶として心に残っています。

2011年 認可保育園に就職

大学卒業後の就職先を決める際、非常勤をしていた子ども家庭支援センターと、大学に求人が来ていた認可保育園の二択で迷い「保育士資格を取得するからには、一度は保育園を経験したほうがいい」という結論に至り、社会福祉法人が運営する認可園へ応募。内定を貰いました。

中国地方に本部を構える社会福祉法人が東京に進出し、その1園目のオープニングスタッフを募集していたのです。当時の私は、「1園目のオープニングスタッフ」という要素が放つ眩しさに惹かれていたのだと思います。

ここでの2年半の出来事を語り始めると止まらないので詳しいことは省略しますが、長時間労働と人間関係のストレス、その他の諸々(気になる方は直接聞いてください)がじわじわと蓄積し、心身を蝕み、入職3年目を迎えた2013年の夏のある日、血尿が出てリタイア。まったく円満退職ではありませんでした。

人生で初めての大きな挫折でした。
当時担任していた0歳児クラスの子どもたちが成長していく姿を見たかったのに。
1、2年目に持ち上がりで担任したあの子たちが卒園する姿を見たかったのに。
情けなくて不甲斐なくて、体も痛くて熱もずっと下がらなくて、たくさん泣きました。

思い返せば3年目の春頃から、「休憩時間に最寄りの内科で点滴を打ってもらい午後も頑張る。なぜなら人が足りないから」みたいな働き方をしていました。この辺りは自己管理ができていなかった私の問題です。

良くも悪くも、「どんなにひどい環境でもなんとかする(最後は倒れたけど)」という強めのバイタリティを培うことができた2年半でした。前向きに考えれば、このバイタリティがフリーランスとして起業したばかりの自分を支えていました。
でも、こんな働き方は二度としたくありません。

※これは、保育士の働き方がまだそれほど問題視されていなかった2011〜2013年頃の業界のエピソードです。現在は業界で様々な改革がなされ、当時よりも働きやすい環境になっているはずです。そうであってほしいです。

2013年 夏 3ヶ月間のキャリアブレイク

保育園を退職して3ヶ月ほど療養。保育現場ではもうしばらく働きたくない……という思いを抱きながら転職先探しをスタート。

千葉県某市の公設学童の求人を発見して応募し、圧迫集団面接でボコボコに怒られたけどなぜか合格しました。

しかし、内定を貰った直後に千葉県内の子育て支援拠点事業施設の保育士の求人を発見。非常勤時代のことを思い出し、一時失っていた保育への意欲がまた少しだけ芽を出しました。
そして、公設学童の内定を蹴って採用試験を受けてみることに。
熱意と共に前職の退職理由も正直に伝えた上で、無事に内定を貰いました。

2013年 秋 子育て支援拠点事業施設に就職

転職先の子育て支援センターは、自治体の指定管理制度で運営され、相談事業、交流事業、講座事業など多機能的に子育て支援を行う場所。1日に100組以上の親子が訪れる日もある大きな施設でした。

遊びに来た親子に楽しんでもらえるように、読み聞かせやパネルシアターをしたり、歌を歌ったり、ふれあい遊びの講座を企画したり、先輩に教わりながら色々なことに挑戦する毎日。遊びの実技面では保育園で働いているときよりも引き出しが増えました。

先輩たちも40〜70代とベテランが多く、定年退職後の園長先生や保育園で30年以上経験してきた看護師の方もいて、保育とはなんたるか、保護者支援はどうあるべきかについてたくさん勉強させてもらいました。
(一人暮らしをしていたこともあり何かと気にかけてもらったのは本当にありがたかったです。あったかい人がたくさんいました。元気かな)

そして何よりも、勤務中に1時間休憩が確保されていることや、有給を申請しても怒られないことに驚きました。「当たり前よ。労働者の権利よ」と先輩に言われて初めて、これが当たり前なんだと気づきました。前職では「私用で有給を取るのは社会人として非常識」といった指導を受けていたので……。(違法です)

2015年 フリーランスになることを考え始める

働き方に余裕が生まれたことにより、今後の自分の生き方や本当にやりたいことについて、たっぷりと考える時間が訪れました。

昔から書くことが好きだったこと。
ピアノも工作も運動も苦手だけど、連絡帳と研修報告の文章は褒めてもらえること。
そういえば学生時代に編集者に勤める知人の手伝いをして、少しだけライティングや校正の仕事に触れたこと。
その経験がきっかけで、文字単価0.1円みたいなライティングのバイトもしてみたこと。ライターごっこのような単発のバイトだったけど、それが結構楽しかったこと。

身近にいた自営業の知人の姿を見て、私もこういう生き方をしたいなと考えるようになりました。
「きっとできるよ」と背中を押してくれた友人もいました。

とにかくやってみようと動き出した先に、保育関係のライターを探している企業の方たちと縁が繋がり、2016年春、施設を退職してフリーライターになりました。

この方向転換は、周囲の人に恵まれていたから実現できたことです。感謝しています。

2016年 フリーライターになった

開業してから2年間は必死でした。安定収入を得るために1日10本以上記事を書いていた時期もあります。
とにかくなんでもやってみよう、保育以外の世界にもチャレンジしてみようと思い、医療、IT、金融、不動産……Webも紙も、なんでも書きました。地方で取材の仕事があれば夜行バスやカプセルホテルも駆使してどこにでも行きました。色々な場所に行き、知らない業界の話を聞き、自分が書いた文章によって人の心が動く。それが収益に反映される。もちろん失敗したことも多々ありますが、それすらも新鮮でした。

そして、気づけばいつの間にか8年が経っていました。現在も、保育に限らず様々な分野で記事を書いていますが、やはり保育関係のご相談を受けることが多いです。保育士の仕事を離れてからも、こうして業界と繋がるきっかけをいただけることは幸せなことだと感じます。

振り返ると、起業したばかりの頃は恐れ知らずな走り方をしていたと思います。でも、ライターの仕事だけでここまでなんとか生きてこられたんだという事実が私の誇りとなって、足元を支えてくれています。

2024年 ライター8年目を迎えて考える、何を書きたいのか、どうありたいのか

出産と育児でバタバタしていた時期が過ぎ去……ってはいないけど少し落ち着き、改めて自分の仕事の在り方について考える今日この頃です。

自分の内面にあるものと向き合い深掘りを重ねる中で、かつて抱いていた「子どもの声を聞ける人になりたい」という想いが深い部分にあることに気づきます。
そうか。保育の仕事もライターの仕事も、自分の原動力の素はこれだったのかと。

かき消されてしまいがちな声を、しっかりと、大切に汲み取る。そんな仕事がしたい。そんな人でありたいです。

長い長い自己紹介になりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

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