廣川めぐみ
最近、よく中学受験したときのことを思い出す。自分の中の大きな曲がり角で、たくさんの「思い込み」や「トラウマ」が生まれたときでもあった。 田舎の小学校に通っていた私は、中学受験とは全く縁がなく、毎日放課後には自転車で学校に戻ったり、友達の家で遊ぶような活発な子どもだった。 改めて振り返っても、「中学受験は、私がしたかったことじゃない」と思う。 正確には、中学受験というより受験塾に通うのが嫌だった。想像以上の苦痛を経験したし、自分に対する認識も変わってしまった。 塾に通う
昨日、面白い本を図書館で借りた。 元々借りるつもりは無かったのだが、オンラインで他の本を予約したときに、たまたま「お気に入り」のタブの中に入っていたので、ついでに予約をした。 どういうきっかけでこの本を知ったのか覚えていないのだが、病気と、どのように自分自身や世界について認識しているかの関係性を知りたくて、保存していたんだと思う。 そういう出会いは、いつもタイミング。 というのも、元々借りようと思っていた本も、病気とトラウマとの関係についての本だったからだ。 友人に
noteと自分のHPの記事との棲み分けが上手くできないけれど、こちらではそのとき心に浮かぶ所感、書くことで自分の「ことば」が浮かんできたらな、と(今の所は) ただただ、文字を綴りたい。 誰かへ。自分へ。 最近心がザワザワすることが多くて、このinstability、不安定さはなんだろうか、とじっと観察したい。 ただ春だから、土用だから、という言葉でも片付けられるけど、これもきっと何かのサイン。 「整地する」という言葉を見かけたけど、色々かき混ぜて、ぐちゃぐちゃにして
先日、鎌倉パーマカルチャーランチというイベントで、素敵なごはんをいただきながら、1年を振り返る機会がありました。 振り返りのために使われたシートはNVC(共感コミュニケーション)で使われるニーズシートのみ。これだけ。 http://reminiscences.jp/wp/wp-content/uploads/NeedsSheet.pdf この中から、「今年、どのニーズが満たされたか」「来年どのニーズを満たしたいか」に印をつけて、それぞれ発表していきました。 私が今年一
第2回では、ようやく「悪役」とも「敵」とも言える灰色の男たちが登場する。 河合先生は、「『モモ』における文明批評の核心部分」と呼んでいる。というのも、灰色の男たちは「われわれの心の虚無が生み出した存在」だという。 虚無とは?虚しさってどこから生まれるんだろうか。 例えば、みんなが大好きなある「夢の国」から家に帰宅するとき。 そこに行くまでは、ワクワクし、盛り上がり、到着してから帰宅するまで、夢の世界に浸れる。刺激で溢れ、全く飽きることがない。一日があっという間に過ぎる
私の本は、分析されたり解釈されたりすることを望まない。それは体験されることを願っている。(子安美知子『エンデと語る』朝日選書) 数字では測れない時間の豊かさを題材にした『モモ』を、忙しい現代人のために100分で解説することは、矛盾しているかもしれない。 そして、作者が解釈されることを望まない本を、あえて解説することにも抵抗があるだろう。 それでも、これをきっかけに『モモ』を手に取る人が増えたら、そのような矛盾や難しさも必要なことだと思う。 番組・テキスト・作品を通して
今日、ロバート・ゴンザレスのNVC講座のペアワークをした。 テーマは「self-responsibility, 自己責任」。 講座の中でロバートは「自己責任は、自己否定や自己批評と捉えられやすいが、そうではない。自己に対する慈悲の気持ちと、同じものに向けられるもの」と解説していた。 自分の中で起きている、自分の感情に対して、責任を持つこと。 冷ややかにも感じる指摘だが、「自分が選択できる力やスペースを認識すること」と私は受け取った。 というのも、その反対が、reac
「ことば」には不思議な力があって、 文字に、音にすることで 自分でも気づかなかった「物語」を知ることができる。 腹の中でうごめていた「怪物」も 思い切って太陽の下にさらしてみると、あれほど怖かった感情が、半分消えることがある。 怖がっていた自分がどこか愛おしく、 もうそのときの自分ではないことに、ふと気付かされる。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 今、NHKの「100分で名著」でミヒャエル・エンデの『モモ』をやっている。 私は『モモ』の話が大好
よく「どうやって英語を勉強したの?」とか、"Where did you learn English?"と聞かれる。 たぶん今までの人生で聞かれた質問トップ5ぐらいに入っているが、一度もうまく答えられた試しがない。 "Where?"に関しては、最初は日本の学校教育だし、留学したのはアメリカ・イギリス。通訳をしたピースボートに関しては「船の上」。なので、「ここ!」とピンポイントで示すことができない。 "How"に関しても、試した方法がたくさんありすぎて、一体どれが良かったの
新しい生徒さんとレッスンを始めるとき、まず聞く質問がある。 「どうして英語を習いたいんですか?」と。 ある人にとっては、愚問かもしれない。 「今のグローバル社会で英語ができないとやっていけないじゃないか」 そんな声が聞こえてきそうだ。 でも、この質問に対して同じ答え方をした人は、今までにいない。 もちろん、英語が必須の社会になってきたことも英語を習いたい理由の一つだと思うが、それだけじゃない。 「英語を話せるようになって・・・。」その続きに、その人が心底大事にし
最近のテーマ。 これもロバートさんの講座での気付き。 NVCで過去を振り返っていると、よく「素敵だなって思える女の子に近づけない」というパターンが出てくる。恋愛っぽく聞こえるかもしれないけど、この場合は「かわいくて明るい憧れのあの子と友達になりたいけど、自分がみすぼらしくて絶対釣り合わないから、近づけない」ということ。 小学生あるあるかもしれないが、クラスに1人はいる、明るくて楽しい人気者のあの子。その子と友達になりたいけど、ファッションも、家庭環境も違い過ぎて、引け目
誰にも言いたくない経験。 怒り、惨めさ、孤独、悲しみ…。 ドロドロした「それ」を見たくなくて、ただ蓋をして無かったことにしていたこと。 前回の記事で書いたロバート・ゴンザレスの講座で体験したペアワークの内容と、その中で得た気付きを書いておきたい。 その内容は、過去に自分が心を揺さぶられた経験を思い出したときに自然と湧き上がってくる感情を、大事なゲストとして自分の心のリビングルームに迎える、という方法。 自分が傷ついた、もう思い出したくない経験で湧き上がってきた感情、
今日、計5回に亘って続いたロバート・ゴンザレスさんのNVC講座が終わった。 毎回3時間の非常に濃い時間の中で、何度も涙が流れた。 感じたもの・もらったものがあまりにも大きすぎて、まだまだ言葉にならないけど、この生き生きと胸に広がる感覚を後から思い出せるようにいくつか書き留めておきたい。 体の感覚に気付くNVC歴が浅いので、他の講座とあまり比較にならないが、「体の感覚」から感情やニーズとつながることができる、というのは大きな発見だった。 そしてその感じる感情によって、体
この「メモと気付き」も3記事目になった。①と②での大きな気付き「自分の『あり方』についてのそこはかとない安心感」が、日常生活に定着してきた気がする。 というのも、この1,2週間の生活を振り返ってみると、テーマが「無理をしない」ことだった。正確に言うと、無理をしない自分も受け入れられるようになった。 当初、周囲がコロナで変化していく中、私自身は外部の情報に対してずっと受け身だった。何が正しいのか、何が起きているのかを知りたい余りに、色んなブログや情報を漁った。そして「このコ
前回の記事を書いて以来、今までどんな「BE」だったかな?と、ふとした時に考えるようになった。 人間って不思議なもので、「受験に合格した」とか「いじめられた」とか、大きな出来事に対して意味付け(ラベリング)をし、そこから自分の価値を決めてしまいがちということに気付いた。 たとえば「受験に合格した自分はすごい」とか「いつもいじめられっ子な自分はダメなんだ」といったように。 勇気を出して、思い出したくない記憶を辿っていくと、実はいつもそこに「がんばっている自分」がいたことに気
どこで読んだか忘れてしまったが、あるブログで「このコロナ禍で、元々その人が持っていた問題が助長されている」といったニュアンスの内容を読んで、とっても納得した。 人生や他人に対する怒りや悲しみ、責める気持ちなど、元々その人が抱えていた感情のタネが、ドラえもんのビックライトに照らされたかのように、大きく感じる。 私の抱えていた問題は「自己肯定感の低さからくる気の遣いすぎ」だ。人生が上手く行っていないときに感じやすいこの問題と、今あらためて向き合っている。 「気の遣いすぎ」