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100分で名著『モモ』② 〜灰色の男たちから学ぶこと〜

第2回では、ようやく「悪役」とも「敵」とも言える灰色の男たちが登場する。

河合先生は、「『モモ』における文明批評の核心部分」と呼んでいる。というのも、灰色の男たちは「われわれの心の虚無が生み出した存在」だという。

虚無とは?

虚しさってどこから生まれるんだろうか。

例えば、みんなが大好きなある「夢の国」から家に帰宅するとき。

そこに行くまでは、ワクワクし、盛り上がり、到着してから帰宅するまで、夢の世界に浸れる。刺激で溢れ、全く飽きることがない。一日があっという間に過ぎる。

しかし、帰る時間になり「夢の国」を出発し、電車乗り込むと、少しずつ「楽しさ」が「儚さ」に変わっていく。

そして「あの時間は何だったんだろう。何も残らなかったのでは」という虚しさにも。

楽しい時間、頑張った時間、努力した時間、誰かと過ごした素晴らしい時間…。自分にとっては大切だった時間が何かのきっかけで意味を失い、「何も残らなかった」と感じてしまうことが虚しさなのかもしれない。

でも本当はその時間はある

そして、灰色の男たちはそれを知っている。

彼らの口説き文句は、「時間を節約してそれを貯めること」。

まるで時間がどこかに保存されることが可能だと言っている。

スキマ時間は楽しむためのもの

これほど便利な世の中になったのに、忙しいのはなぜだろうか。

それは細切れ時間でできることが増えたからかもしれない。

東京に住んでいたとき、よく誰かと会う時間の前や後に大きな駅で買い物をしたり用事を済ませたりしていた。

地方や田舎など、少し不便な場所に住んでいると、丸々午前・丸々午後を費やさないと出来ないことが、東京にいれば幾つもの用事がいっぺんに終わらせられる。

じゃあ、その空いた時間はどこへ?

その空いたはずの時間で、また別の人と会ったり、別の用事を済まそうとして、忙しかった。

矛盾しているかもしれないが、忙しいから一気に用事を済ますのではなく、一気に済まそうとするから忙しかった。分刻みのスケジュールを作ってしまっていた。

他にも、本来誰かと外でミーティングをするとしたら、準備や移動する時間を含めて前後1時間ミーティング以外の時間がかかるとする。

もしこれがオンラインでのミーティングになったら、この前後の1時間というのは、ある意味節約できた時間だ。大事なのは、この時間をどう過ごすか、ということ。

1時間あれば色んなことができる。散歩したり、家族と一緒にコーヒーを飲んだり。読みかけの本も、1章分ぐらい読めるかもしれない。

自分の心の栄養になることに使うのだ。

一人ではたどり着かない場所

灰色の男たちは、彼らの真実を知ったモモを捕まえようとする。

そして、モモに直接手をかけるより、モモの友達を捕らえて、彼女を一人にさせる方法を選ぶ。河合先生は、灰色の男たちは大事なことを知っているとし、

真実は誰かと共有していなければ意味がありません。[中略] 人と何かを共有することが、豊かな時間を作り出す。

と言う。

この文章を読んだとき、ある映画を思い出した。

『イントゥ・ザ・ワイルド』という、実際に起きた出来事を書籍・映画化した物語。

アメリカのアラスカ州の山奥で、一人生きていくことを選択した若者の話だが、彼の最期の言葉が、

Happiness only real when shared. 

だった。

私たちは、アラスカの山奥で生きている訳ではないが、、現代社会の中で孤立して生きているかもしれない。

早く行きたければ、ひとりで行け。 遠くまで行きたければ、みんなで行け。

こんなアフリカのことわざがある。

矛盾をしているようだけど、誰かと共に生きることの深遠さを教えてくれている。

早さ(時間の節約)を考えるのか、それとも遠さ(時間の深さ)を取るのか。

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