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思考と時間の関係。

「年々、1年経つのがあっという間になるね。」

大人になってから、こういう会話を耳にすることが増えた。

たしかに小学生の頃なんかは、
今よりずっと早く眠りについていたはずなのに、
1日1日が、とても長かった。
どんなに友達と遊んで帰っても、
夕方から始まるアニメが見れたし、
友達と喧嘩した日は、早く仲直りしたくても、
明日はとても遠かった。

1年間を振り返ろうと思うと、
その1年が壮大に広がるような感覚があって、
歩いてきた道は、地球を一周するんじゃないかと思うくらい、
わたしの背後に続いていた。

科学的にも、体感時間と身体細胞の老いは関係するみたいな話を聞いたことがあるけれど、
個人的な感覚としては、毎時間あたりの思考量によって体感時間が変化するような気がしている。

毎秒毎秒隙間なく考え事が続くと、
1時間はあっという間にすぎるし、
「することないなぁ」と暇を持て余した1時間はとてつもなく長い。
だれかを待ち遠しく思うとき、
同じことばかり、無限にループして考えているときも、
そこで思考がストップしているから、ものすごく長く感じる。
たった10分が、30分にも1時間にも感じたりする。

「楽しい時間はあっという間。」と、
よく言うけれど、
自分にとって、楽しい時間であったり、
嬉しいことが溢れるほど、喜んでいる時間すらない。

まだ終わってもない今日の、
終わりを想像して悲しくなることの、
切なさといったらない。

時間という器に、思考のかたまりが、
積み込まれれば積み込まれるほど、器は重量を増して、
ものすごいスピードで落下していく。

かつて、わたしの背後に壮大に広がっていた記憶は、年を重ねるごとに、
更に遠いところにぽつんと丘のようにあり、
ここ1年過ごしてきた時間は、気が付けば少し手の届かないところに、
浮かんでいるような感覚に変わったいた。

大人になって、考えなければいけないことが増えた。
考えなければいけない気がしているだけかもしれないけれど、
幼い頃よりも、知っている感情が増えたからだと思う。
それは、必ずしも幸せな出来事から得たものではないけれど、
喜怒哀楽の4文字ではとても表すことのできない、わたしの財産だ。

多くの感情を知っていると、
素晴らしい作品に出会ったとき、
同じように、素直に素晴らしいと感じることができるし、
人の気持ちにも寄り添えることが増える。

賛否両論を生み出すものには、
感情認識のズレが原因で、起こるものも多い。

人は結局のところ、どれだけ理解しようとしても、
他人の感情を、自分の経験した感情の中でしか推し量ることができない。
感情の機微を見逃してしまうからだ。

だから、感情の豊かさは、人生の豊かさだと思う。

たくさんのことを経験して、
たくさんのものに触れて、
いろんな想いの詰まった1年を繰り返して、

思い返したとき、
きらいだったところも
好きになれたり、
変われてたり、
嬉しい発見がたくさんあるといい。

悲しい中にあった色んな想いを、
大切な想いを、大事にしまっておけるといい。

悲しい中にも忘れちゃいけない
あたたかさがあることもある。

今年もまだ始まったばかり。
たくさんの新しい体験が待っているといいな。

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